教授と院生と金の斧・銀の斧
『教授、教授!』
『どうしたんだい? 院生君。そんなに慌てて。』
『「金の斧、銀の斧」というグリム童話、ご存知ですか?』
『そりゃ知っているよ。キコリが川に斧を落としてしまう話じゃろ。
そしてその川にはヘルメースという神様がおって...』
『では、こんな都市伝説知っていますか?』
『都市伝説とな?』
『ええ...聞きたいですか?...
聞きたいんですね?
そんなに聞きたいのなら仕方ない。あのですね...』
『いや、別に聞きたくは...』
教授の返事を無視した院生君。そのまま勝手に話し始めました。
『実は、こんなお話があるんです...
あの有名なグリム童話は実際にあったお話で、その現場となった川は日本にあるそうなんです。』
『....』
教授は上の空で聞いていますが、院生君はお構いなしに続けます。
『それも関東。埼玉県なんですよ。あれ?教授?聞いてます?
眠ってませんか?』
『zzz...
はっ!あ、ああ、聞いておるよ。聞いておるってば。眠ってないってば...
で?』
『それも熊谷市を流れるあの川なんです...』
『zzz...zzz...』
『教授!やっぱり眠ってるじゃないですか!!起きて聞いてくださいよ!!』
『はっ!すまんすまん..』
『まったく、これだからじいさんは...ぶつぶつ...』
院生君は聞こえないように悪態をつきました。
教授は寝ぼけながら、頬をつたうヨダレを白衣で拭い、ずれた眼鏡をかけなおしております。
院生君のお話によると、あの有名なグリム童話「金の斧、銀の斧」は現実にあったお話で、その舞台は埼玉県熊谷市を流れる「元荒川」だということでした。
『ほう、興味深いのう。ムサシトミヨで有名なあの元荒川か...』
『はい。僕もびっくりしました。あんな近くに世界的有名なお話の舞台があるなんて...』
『よし!早速調査に行こうではないか!』
『承知しました!!』
教授と院生君は、自分達の研究は後回しにして、ピクニックの準備を始めました。
そして電車で揺られること1時間。その後徒歩で目的地に着きました。
『ほお、ここがその現場か。』
『はい。おそらくこの辺りだと聞きましたが。』
『おや?川の中にご老人が立っておるよ。もしかしてあの人は...』
『確かに!あのご老人はもしかすると...』
教授と院生君は、元荒川の中にボーっと突っ立っている白髪のご老人を見つけました。
白い服を着て、いかにも神様のようです。
院生君が、その方に思い切って話しかけました。
『ご隠居様、ご隠居様!
あなたは「ヘルメース」様ですか?』
ご老人はゆっくりと2人を見つめ、虚ろな目でこちらに向かって歩き始めました。
『おいおい、院生君!こっちに寄ってきちゃったぞ!どうするんじゃ?
危ない人物かもしれん!!』
『うわー!どうしましょ?教授!』
慌てて逃げ出す2人。しかしご老人の足はとても速く、あっという間に教授と院生君は捕まってしまいました。
『君たち2人は何をしているんだ?』
『本当にすみません。教授がどうしても行こうと言うから...』
『何を!この院生が!院生のくせに!』
『まぁまぁ。喧嘩はやめなさい。
醜い顔がさらに醜くなる。』
ご老人は取っ組み合う2人を引き離しました。
『はあ、はあ...
教授、ちょっと離れてください。
仲裁ありがとうございます...ご隠居様...
ところでご隠居様は、ヘルメース様ですか?』
『さよう。わしの本当の名は「縁目 イシ」。
「へりめ いし」だよ。
いつの間にやら「ヘルメース」と呼ばれるようになった。
どうぞお見知りおきを...』
握手を求め、しわくちゃの手を差し出すご老人。その腕が妙に緑色っぽく生臭いのは、ずっと川に入っていたからでしょう。
かなり抵抗はありましたが、院生君は震えながら右手を差し出しました。教授は知らんぷりです。
握手を終え、院生君はハンカチで右手を念入りに拭いながら、横で口笛を吹いている教授を睨みつけながら言いました。
『教授、誰かが「ヘリメ イシ」さんを呼んだとき、「ヘルメース」さんって訛っちゃったんでしょうね。』
『うむ。そうに違いない。』
ご老人が久々のお客さんに浮かれたのか、ニコニコしながら2人に話しかけました。
『ところで客人、ちなみに2人がこれからこの川に落とすのは、この金の斧か銀の斧か?』
『あれ?突然始まっちゃいましたね。それも未来形で質問ですか。
すでにちゃっかり金と銀の斧を持って、準備していますし...』
『ほとんど押し売りじゃな。
最近斧を持ってほっつき歩いている人間なんか、この辺にいないんじゃろ。
ご隠居さんにも仕事がないんじゃろうな...』
哀れそうにご老人を見つめる教授。少し涙ぐんでいます。
『早く落としてくれい!もう何十年も待っているんだが、誰も落とさないんだよぅ!
さあ!!早く!落とすんだ!!!頼む!落としてくれ!
この通り!そうしないと給料が出ないのだ!!』
2人の袖を掴み、泣き出すご老人。
『ちょっと仕事が強引になってきていますね...
ところでこの仕事は給料制なのですね。』
ご老人は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、大きく鼻をすすってこう話しました。
『この仕事は役所の環境課が担当していて、わしは何を隠そう地方公務員なんだよ。
この辺も森林伐採でキコリが減って。
環境破壊がグリム童話にまでも影響を及ぼしてしまった。
「金銀斧払い戻し係」の担当は、わしたった1人になってしもうた。』
オイオイ泣きだすイシさん。
『ねえイシさん。泣かないでください。
公務員なら安定しているじゃないですか...
それにしてもこんな仕事、いやこのような立派な仕事に我々の血税がつぎ込まれているなんて。
それに現在の日本で斧を持ってフラフラしていると、かなりの確率で銃刀法違反となり、警察にしょっぴかれます。
あっ、そうだ!斧は無いですが、僕の友人で「小野くん」がいますが、そいつではダメですか?
ねえ教授!』
『院生君!「小野くん」はダメじゃ!
うちの教室に来るように言ってあるから、まだここに就職はさせられない!』
『じゃぁ「大野くん」はどうでしょう?教授?』
『うーん..そうじゃな。「大野くん」なら良いじゃろ。
あいつならいくら川に落としても構わんよ。
イシさんとやら、良かったな!』
『グス...グス...「大野くん」とやらは斧のように切れるのか?』
『そうじゃのう。頭はそんなに切れないが、怒るとすぐキレる。
そのキレる程度は「小野くん」よりも凄まじいことは間違いない。
よし、イシさんとやら、明日「大野くん」を連れてくるから待っていてくれい。』
次の日、何も知らない「大野くん」は、教授と院生君と一緒に元荒川にやってきました。
『イシさん!イシさーーん!これから落としますよ!!』
いつものように川の中に立っているご老人に、教授と院生君は呼びかけました。
『えっ?何を落とすの。院生君?教授?』
『大野くん!ごめん!!えいっ!!』
『うわーー!何をする!ご乱心か!?』
教授と院生君は力を合わせ、思いっきり「大野くんを」川の中に、しばき落としました。
待ってましたとばかり、イシさんはあの名文句を唱え始めました。
『そなた達が落としたのは、この金の大野か、銀の大野か...』
『よし!これでイシさんの仕事は成立じゃ!良かったのう!!』
『やった!やりましたね!教授!イシさん!おめでとう!!
これでお給料が振り込まれますね!!』
『ありがとう!3人とも!!これで日本国民に給料泥棒とは言わせんよ!』
抱き合う4人。生臭さを教授と院生君はかなり気にしておりますが、イシさんは屁のカッパです。
大喜びの輪の中に、ただ1人納得いかない人物がいました。
大野くんでした。
『びしょびしょだよ!どうしてくれるんですか!!』
『キレた!大野くんがキレたぞ!!逃げるんじゃ!!』
斧のようにキレまくる大野くんを川の中に置き去りにし、3人は散り散りに逃げていきましたとさ。
【金の斧、銀の斧】
言わずと知れた、グリム童話の大傑作。
この物語の舞台は、あのムサシトミヨで有名な、熊谷市の「元荒川」だという話題が浮上してきている。
童話に出てくる神様ヘルメースは、地方公務員である「縁目 イシ」だという説が、現在では最有力である。
縁目さんが参加していた合コンで、東北出身の同僚が
「おおい!ヘリメイシ!そっちはトイレじゃないよ!」と呼びかけた際に、
「おおい!ヘルメース!そっつは便所じゃねえべよ!」と発声したのが、ヘルメース誕生の瞬間だと言われているが、日本もドイツもそのことには決して触れず、国家機密にしている。
川に落とした中古の斧を金か銀の斧に払い戻ししてくれるこの仕事は、市の環境課が担当していて、そこに属する「金銀斧払い戻し係」が、その業務の責任を全て引き受けている。
悲しいかな、最近では森林伐採の影響でキコリが減り、かつては人員が100人くらいいた花形の「金銀斧払い戻し係」であったが、今では担当者は縁目さんただ1人になってしまった。
さらには銃刀法の存在のため、ずいぶん肩身の狭い仕事となってしまったが、今後の縁目さんのご活躍を期待したい。 (グリム童話研究会熊谷支部長 山田 タロウ 談)




