教授と院生と「無駄」
『教授!教授~!!』
『どうしたんだい院生君。そんなに慌てて。』
『いえ、今年ももう10月ですよね。
2014年が始まって10か月。
自分が今まで何ができたかな?って考えたんです!!』
『おお!
自分を見つめ直したんじゃな!
それはとても良いことじゃ!』
院生君の晴れやかな顔を見て頷く教授。
まるで我が子を見つめるかのような眼差しで、温かく彼を見つめています。
『で、どんな答えが出たかと思いますか?教授?』
教授に向かって院生君は体を乗りだしました。かなりの圧迫感です。
近すぎる院生君の顔を、グイッと教授は押しのけます。
『まあ院生君。とにかく元の位置に戻りなさい...
ああ...暑苦しい...
そうじゃのう...
院生君か...どんなもんかのう...
夜の街をほっつき歩いては女の子にちょっかいだすわ、3度も美樹くんに振られてるくせにまだ彼氏面しているわ、朝は遅刻が多いくせに家に帰るのだけはめちゃくちゃ早いわ...
口はくさいわ...酒癖は悪いわ....研究はしないわ...
おやおや...良いことは一つもないな...
あれ?院生君!?
院生君!!』
さっきまで教授の横にいた院生君は、遠く離れた北向きの窓際に突っ立っていました。
背中を小さく丸め、ぼーっと空を眺めています。
こんなにも院生君がちっぽけに見えたことがあったでしょうか。
教授の言葉がよほど堪えたのでしょう。小さな不細工な瞳からは涙がとめどなく流れています。
『どうした!?院生君?
気分でも悪いのか!?』
『...いえ...別に...
ただですね...少なくとも気分は良いわけないですよね...
教授の僕に対する評価がそんなもんだったとは...
ショックでした...』
『すまん!ちと言い過ぎた!』
『...大丈夫ですよ...教授...
美樹ちゃんの件でだいぶ打たれ強くなりましたから...』
『で、どんな答えが見つかったんじゃ?』
『その事は覚えていてくれたんですね...
はいはい...言いますよ...
自分には「無駄」が多かったと思います。』
ガックリうなだれる院生君の背中をそっと押し、あいていた椅子に座らせ、教授も前の席に腰を下ろしました。
『ほお...「無駄」かい。』
『ええ。「無駄」です。
必要のないことに時間をかけてしまい、重要なことに手が回らなくなることが多いのです。
ですからこれからの時間、「無駄」を徹底的に排除して、効率良く人生を送ろうと決心したのです!』
『おお!!素晴らしい!!
良いことに気付いたのう!!
よし!ガッカリさせてしまったお詫びじゃ!!
わしが院生君に「無駄」とはどんなもんか教えてあげよう!
いわば「究極の無駄」をじゃ!!
少しここで待っていなさい!!』
『えっ!?教授!?
教授ったら~!!』
教授は白衣をさっと翻し、研究室に消えていきました。
院生君はまたかと思いながら、大きくため息をつきました。
教授の今度の作品は、一体どんなものができるのでしょうか?
数時間後...
『院生君!院生君!!起きんか!!』
『...ふわ..
...あっ、教授...
いつの間にか眠ってました....むにゃむにゃ...』
『疲れてるんじゃな。
とりあえず実験室に入りなさい。』
院生君はヨダレを垂らしながら立ち上がりました。
外はだいぶ薄暗くなっています。
時計の針は午後6時半を指していました。
『これじゃよ!!究極の無駄は!!
見るが良い!!』
『うわーー!!
教授!!これは一体!?』
教授の指さす方向には、緑色の車両がありました。
どことなく懐かしいこの電車。
そうです!これはあの車両です!!
『山手線ですか!?』
『さよう!!
現在の山手線を購入し、レトロ調に作った「Yama・note・1000」じゃ!』
『やま・のーと・せん!?』
『そうじゃ!!』
『で、教授...これが一体!?』
『まあとやかく言わず、乗ってみるがいい。』
教授は口をぽかんと開けている院生君の手をひっぱり、Yama・note・1000に乗り込ませました。
車両はたった1両。
院生君は気付きました。
『教授!これはもしかして103系じゃないですか!
大変懐かしいです!!』
『おお!良くわかったね。
1963年から1988年まで走っていた103系じゃよ!』
『でも内部は今の山手線なのですね。』
『うむ。わしもそこまで予算を使うことはできなかったんじゃ...
くやしいがのう...』
『ふ~ん...て、教授!?
研究費をこれに使ったんですか!?』
『まあ詳しいことは後にして、とりあえずシートに座りなさい。』
冷や汗を拭いている教授を白い目で見ながら、院生君は少しくたびれたシートに腰を下ろしました。
その瞬間ドアが閉まりました。
ふと横を見ると、教授はいつの間にか電車の外にいるではありませんか。
院生君は窓から見える教授に向かって叫びました。
『ちょっと待ってください!!
教授!?
どこに行くのですか!?』
『つべこべ言わず、行ってきなさい!』
『行くってどこに行くんですか!?
降ろしてくださいよ!!あっ!ドアが開かない!!
降してったら!!
教授!教授ーー!うわーーーー!!』
懇願も空しく、103系の山手線は動き出してしまいました。
しくしく泣いている院生君のそばに、一人の男性がやってきました。
そして彼は、院生君の肩をやさしく叩きました。
『お客様...
いったいどうされたのですか?』
院生君は声のする方に顔を向けました。
そこには黒い制服を纏った男の方がいらっしゃいました。
『あなたは車掌さん!?
車掌さんですか!?』
『はい。さようでございます。
山手線のご利用ありがとうございます。』
車掌と名乗るその男性は、やさしく微笑み丁寧に頭を下げました。
『この山手線はどこに向かっているのですか?』
『はい。
お答えいたします。
この電車は山手線内回り、次の停車駅は「上野」でございます。』
『へえ...
上野か...
で、今はどこから発車したのですか?』
『上野でございます。』
『ふ~ん...上野を出て次は上野か...
...って、なんで一周しちゃうのさ!?
他の駅には行かないの!?
説明してよ!!車掌さん!!』
『お客様...
これは究極の無駄な山手線「Yama・note・1000」です。
もちろん他の駅にも行きます。
そして停車もいたします。
ですが、ドアは開きません...』
『えっ!?
なんで!?
なんでよ!?
なんでそんな無駄なことをするのさ!!
車掌さん!!止まったらドア開けてよ!!お願いだから!!』
『お客様。
それだけはできません。
それだけはお許しください。
究極の無駄を追及いたしましたから...
電気も使いたい放題です...
ほら、LED電球なんか使っておりませんよ。ふふふ...』
『うわーん!うわーん!!
降ろしてよう!!降ろしてったら!!』
『ちなみに1周63分かかります。
私も時給50000円で雇われておりますので、任務はしっかりさせていただいております。』
『時給50000円!?それも研究費から出てるの!?なんて無駄な...』
『私の口からは詳しいことは言えませんが、じっくりと無駄な時間をおくつろぎください。
なお、外の景色を楽しめないように、暗幕のカーテンを閉めさせていただきます。
このカーテンは絶対に開きません。
もちろん車内販売などございませんし、トイレも存在いたしません。
携帯電話等の電波も、絶対につながらないように配慮してございます。
とてもつまらない無駄な旅を、どうぞごゆるりと...
それでは失礼いたします。』
『車掌さーーん!!車掌さんてばーーー!!』
車掌さんは泣いてすがる院生君を振りはらい、さっさと消えて行ってしまいました。
究極の無駄な「Yama・note・1000」は泣き崩れる院生君を乗せて、彼に無駄な時間を過ごさせてくれたそうです。
結局上野から上野まで、何もすることもなく景色も楽しめない、1周約63分の無駄な旅は終わりました。
この貴重な経験を、院生君は今後の人生の糧としたそうです。
【このお話で出てきた働く電車】
究極の無駄な電車:「Yama・note・1000」
国家予算から捻出される研究費を、惜しげもなく無駄に使用した車両。
日本国有鉄道(国鉄)の時代、1963年から1988年まで走っていた103系の山手線をモチーフにしている(ただの教授のエゴ)。
教授の話によると、現在の山手線を購入し、外観のみならず電車の内部まで改造も図ろうとしたが、予算の都合上そこまでは手が回らなかったとのことだ。
購入費用は明らかにされてはいないが、およそ1億はくだらないものと思われる。
車掌さん(一般市民から公募)の時給は50000円。これも研究費から出している。
なお車掌さんの任務は、お客様へかける最初の言葉だけ。
この車両の中からは外の景色を楽しむことは許されず、ただ電車の動く音を耳で感じるだけである。
携帯電話の使用も許可されず、いかなる電波も遮断する設計である。
たった1両の山手線(103系)が上野で止まっていたら、それはきっと「Yama・note・1000」だ。
この車両はどこかで密かに次の獲物を狙っている...




