LV.059 二人の親友
次の日の朝。
俺と姉さんは首都官邸へと向かった。
出陣式までは残り六日――。
アーシャは一般人として式を見守り、その後故郷のグレイスキャットへと帰還するらしい。
「ふふ、アーシャも夫の帰りを待つ妻みたいな気分になるのかしらね」
「もう、姉さん……。昨日からその話ばかりじゃないか……まったく……」
嬉しそうな姉さんの横顔を睨みつけ、それでもまんざらではない顔をする俺。
あの後姉さんは『魔王を倒したら結婚式かしら』などと言うから、ティアラがそれに乗って『おお、出陣式に続き結婚式とはな!』とか言いながら酒を飲んではしゃいでいたし……。
「そういえば二人とも、お揃いの指輪をしていたわよね。婚約指輪?」
「だから! ……あの指輪には魔力が宿っているから、お互いの居場所や状況がある程度分かるようになっているんだよ。アーシャがねだるから仕方なく買ったんだよ」
連邦国にある装飾店で購入した『通信の指輪』。
通信可能距離は術者でなければこの街の中くらいしか届かないが、居場所や状況が分かるだけでもアーシャを安心させることは出来る。
「あら、でもそれじゃあ浮気とかできないじゃない」
「しないよ! そんなこと!」
「ふーん、しないんだ。へー、そうなんだ」
「な、なんだよ……その顔は」
「別にー」
何か言いたげな表情の姉さんだったが、そのまま何も答えずに先に進んでしまった。
……これは一体どういう意味なのか。
命令の力を使って強制的に聞き出したい衝動に駆られてしまう――。
「お待ちしておりましたぞ。アルル様、ユフィア殿」
つい右手を姉さんの後頭部に伸ばそうとしたところで、俺と姉さんを呼び止める声が聞こえた。
官邸の入口で共和国兵と共に俺達を出迎えてくれたのは――。
「お久しぶりです、ゼバス総長。本当は昨日のうちにご挨拶に伺うべきだったのですけれど」
姉さんが俺の代わりにゼバスに頭を下げてくれる。
出来れば姉さんにこういうことをして欲しくないのだが、これも従者としての姉さんの務めだから仕方がない。
「いいえ、レイヴンからすでに連絡がきておりましたからな。それと――アルル様」
姉さんの後ろに立っている俺に視線を向けたゼバスは片膝を突き頭を垂れた。
それに続き共和国の兵士たちも膝を突く。
「いいよ、ゼバス。兵士たちも頭を上げてくれ。そういうのは性に合わないんだ」
「承知の上の行動で御座います。これから我らを導いて下さる勇者様への最低限の礼儀だと思っていただければ」
顔だけ上げ、そう答えたゼバス。
後でこっそりとその『礼儀』とやらを命令の力で封印してしまおう。
いちいち大げさにやられると、こっちが恥ずかしい思いをするだけだ。
「首相がすでにお待ちです。それと来客もお二人ほど」
「来客?」
「ええ。ぜひ出陣式の前に勇者様にご挨拶がしたいとのことでしたので」
立ち上がったゼバスはそのまま俺達を官邸の中へと案内してくれた。
首を捻った俺と姉さんだったが、まあ会ってみればわかることだ。
◇
「お待ちしておりましたぞ、アルル殿。連邦国のリノン首相からも先ほど連絡が来ましてな。今後の連携強化の再確認と、全軍の指揮を我が国に一任してくれるとの確約を――」
豪華な装飾が施された応接室で、初老の男が興奮気味に話している。
ラグーンゼイム共和国首相、オルタス・マーレルド。
武神と謳われたリノン首相や重戦士のゼバスとは違い、国民投票で選ばれた異色の首相だ。
しかし、俺はオルタスの言葉がまったく耳に入って来なかった。
その理由は、彼の傍らに仏頂面で立っている二人の少女にある。
「ああ、これは失礼を。つい興奮してしまいましてな。詳しい話は後にゼバスからあるでしょう。どうぞお座りください」
オルタスに促されソファに腰を下ろす姉さん。
しかし俺は固まったままだ。
「(アルル……? どうかしたの?)」
姉さんが俺の服の裾を引っ張り、ようやく我に返る。
――いや、これは予想できたはずだ。
過去の世界で勇者であった姉さんが、出陣式の前に彼女らと面識があってもおかしくはない――。
「……何だ? 私の顔になにか付いているのか?」
「ふーん。勇者とかいうから、どんな奴かと思ってきてみたけど……。大したことなさそうだニャ」
腕を組み、俺を睨む大柄な少女。
そしてその脇には猫耳の小柄な少女が俺を見上げている。
俺の大事な仲間――。
俺が過去に殺してしまった、仲間――。
デボルの腹部を貫く剣が見える。
熱い血が俺の手を濡らし、彼女は絶命する。
その横でシュシュが自身の心臓を抉り出し、俺に恨みの眼差しを――。
「アルル様。すでに噂はお耳に届いているかと存じますが、竜人族と獣人族のエースであるデボル・ラグナロクとシュシュで御座います。……お二人とも、まずはアルル様に頭を下げられよ。それとも、族長に非礼を報告されたいと申すか」
「……ちっ、仕方ねぇな」
「族長にチクるなんて、人間族の元代表も地に落ちたものだニャ」
ゼバスの言葉で嫌々ながらも頭を下げたデボルとシュシュ。
その姿を見て俺は我に返る。
――一体、俺はいつまで過去の因縁に囚われているのだ。
こんなことでは、先が思いやられてしまう。
「初めまして、デボルさん、シュシュさん。俺はアルル・ベルゼルク。まだ勇者になりたての新人だけど、どうか力を貸してほしい」
ニコリと笑い、俺は彼女らに右手を差し出した。
その手をまじまじと眺め、硬直する二人。
「……一つ聞く。勇者自ら、竜人族に手を差し伸べる意味がお前には分かっているのか」
「ああ。人間族と竜人族の過去の因縁など、とうの昔の話だ。それは獣人族も同じだろう?」
「……変わった勇者だとは聞いていたけど……ここまで変人だったとは驚きニャ」
そのまま視線を俺に向けた二人。
これは俺の本心だ。
そしてきっと、過去の姉さんも彼女らにそう伝えたと思う。
「……ふん、いいだろう。竜人族は貴様ら人間族に加勢する。最前線で盾として使うがいいさ」
「獣人族も同じニャ。どうせ私達の特殊能力が目的ニャのだろう? 生命力が強い私達は最前線で奴隷のように働かされるだけニャ」
俺の手を握ることなく、そのまま話を続けた二人。
仕方なく手を引っ込め、軽くため息を吐いた俺。
「誰がそんなことを言ったんだ? もちろん竜人族にも獣人族にも力を貸してもらうし、主力部隊は最前線に向かってもらう。しかし、先頭に立つのは俺だ。誰も死なない戦争など存在しない。だが、被害は最小限に食い止める」
「まさか……! 勇者自ら最前線に向かうなどと……!」
俺の言葉に横やりを入れるオルタス首相。
次の瞬間、俺は彼の目を見つめ『命令』を発動する。
「それが最善の策なのです、オルタス首相。理由は後で詳しく説明します」
白黒になる世界。
首相は口を開けたまま静止している。
「……あ……。……分かりました。その方向で戦術を練り直しましょう」
命令の力が発動し、そのまま何事もなく引き下がった首相。
デボルとシュシュが目を丸くしていたが、どうやら『命令の力』には気付いていないようだ。
これならば彼女らに力を使う必要はないだろう。
「君達もそれぞれの族長に伝えてくれると助かる。最前線には勇者自ら向かう。余計な戦死者を出すつもりはない、と。『竜化』と『獣化』は切り札だけど消耗するエネルギーが多すぎて頻繁には使えない。ここぞという場面で一気に解放して、魔王軍の進軍を止めたいと思っているんだ」
竜と白虎に変身した彼女らの強さは、俺が一番良く理解している。
彼女ら以外にも特殊能力を使える者がいるという情報も得ているから、奥の手として確保しておきたい。
「……お前、どうしてそんなに詳しいのだ。まるで実際に見てきたかのような口ぶりだな」
「……さあ、どうしてだろう。俺にも分からないよ」
鋭く睨むデボルを軽く流し、俺は後ろを向いた。
「どうしてこんなに悔しいのニャ……? 初めて会ったはずなのに、なんかこの勇者が無性に腹立つというか……悔しさがこみ上げてくるニャ。でも嫌な感じじゃニャい……。むむむ……」
背後からシュシュの呟きが聞こえた気がしたが、俺は聞こえないふりをした。
――彼女らに『死のフラグ』は立っていない。
だが、戦争は何が起こるか予想がつかないのも事実。
慎重なくらいがちょうどいい。
「(……またティアラに怒られるかもな。『ナーバスになりすぎるな』って……)」
ソファに座る姉さんと目が合い、彼女がにこやかに首を傾げるのを見てふっと笑ってしまう。
あと六日――。
――頭の中で何度も何度もシュミレーションを重ねてきた魔王軍との戦いまで、あと僅かだ。