LV.040 無言の愛情
グレイスキャットの街を出発してから丸一日。
俺たちはクライム草原を抜け、ルーガンド渓谷を渡った。
渓谷の目と鼻の先にはリベリウス連邦国の国境線が見える。
天まで聳えんばかりの、厳重な網目構造の国境線。
外敵の侵入を防ぐとともに、通行許可を得たものであれば自由に出入りできる、魔法で作った『檻』だ。
俺たちはそのまま国境の街シグルドへと足を踏み入れる。
「あー、もう足がパンパンー」
大きく伸びをしたアーシャがため息交じりにそう話しかけてくる。
後ろを振り向くと、疲労した顔のミレイユと平然と笑顔で返してくる姉さんの姿が見える。
「丸一日、戦闘続きで休憩もなしだったからな。宿を探してくるから、今夜はもうそこに泊まろう」
もうすっかり夜が更けているというのに、周囲は昼間のように明るい。
リベリウスへと入国しようという様々な種族で、この街も昼夜問わずにごった返しているからだろう。
「それにしても最近、急にモンスターが活発になってきたわよね。魔王軍にも不穏な動きがあるって情報だし、やっぱり私たちも早めに軍本部に合流したほうが……」
俺の顔色を窺うように姉さんが聞いてくる。
魔王軍襲来の時期を知らない彼女だが、やはり持ち前のセンスで危険が迫っていることを察知しているのだろう。
「そうだね。リベリウスでティアラを見つけたら、すぐにゼバス総長に連絡するよ。そんなに長く滞在するつもりもないし、予定もあるからね」
姉さんに優しく答える俺。
数週間後に大軍を率いてくるはずの魔王軍――。
奴らと戦う前に、ティアラをこちらに引き入れておきたい。
「予定……ですか?」
首を傾げて口元に人差し指を立てながら質問するミレイユ。
昔からこの癖だけは直っていないようだ。
「うん。まあ、こっちの話だよ。宿を探してくるから、待ってて。3人とも」
それとなく愛想笑いで誤魔化し、俺は宿を探すため3人と分かれる。
「あ、ちょっと! 私も一緒に探すわよ……!」
慌てて俺の後を付いてくるアーシャ。
別に俺一人で十分なのだが、どうやらあの様子では言っても聞かなそうだ。
俺とアーシャは姉さんとミレイユを残し、人ごみを掻き分けるように中央通りへと向かった。
◇
「それにしても凄い人の数よね……。これだけいると酔っちゃいそう……」
通行人と何度もぶつかりそうになりながら、俺の後を必死に追ってくるアーシャ。
何軒が宿を回ったが、どこも満室で空いている部屋は見つからなかった。
「だから待ってろって言ったのに。こういうのはいつも俺の仕事……おっと」
危うく前世の話をしようとして、ストップをかける。
勇者となった現世では、アーシャやミレイユの尻に敷かれることも少なくなったのだ。
いつもの癖で『宿を探す』と言ってしまったが、長年染みついた癖はそう簡単に直るものではないらしい。
「……なんか今、言いかけたでしょう? 正直に話しなさ――きゃっ! ご、ごめんなさい!」
ついに通行人とぶつかってしまったアーシャ。
顔を真っ赤にしながら平謝りをしている。
通行人が苦笑いをしながらその場を去ったあと、俺はため息を吐きながら彼女の前に右手を差し出した。
「ほら、手を貸せよ。前を向いて歩かないからぶつかるんだぞ」
「手を貸せって……。私、別に転んでもいないし……」
「いいから」
「あ……」
強引に彼女の手を掴み、そのまま黙々と人ごみを縫うように歩く。
すっかり大人しくなったアーシャは、頬を染め下を向いたまま黙って俺についてくる。
彼女の柔らかい手の感触に、俺は複雑な想いを馳せる。
しかし、すぐにそれを打ち消した。
(……もう、同じ過ちは、決して犯さない……)
少しだけ力を込めて彼女の手を握る。
すると、それに呼応するかのように彼女も強く手を握り返した。
その瞬間、互いの目と目が合った。
「あ……ええと、ごめん。痛かった?」
「……ううん」
そのままそっと目を逸らしたアーシャ。
俺は意を決し、ずっと彼女に言いたかった言葉を胸に、口を開く。
「あの、アーシャ」
「ええとね、アルル」
お互いが同時に口を開き、目を丸くしてしまう。
そのまま互いが遠慮し、相手に先を促してしまった。
「……ぷっ」
「……あははっ」
ついに我慢しきれずに笑ってしまう俺とアーシャ。
普段、真面目な顔など見せないのに、どうしてこんなに2人とも改まっているのだろう。
「ほら、先に言いなさいよ。なにか私に言うことがあるんでしょう?」
何故か嬉しそうに俺のわき腹を肘で突く彼女。
「そっちこそ、そんなに顔を赤くして俺に何を伝えるつもりだったんだ?」
負けじと虚勢を張る俺。
「べべべ別に赤くなんてなっていないわよ! もう……馬鹿……」
しおらしくなった彼女は、再び俺の手をぎゅっと握る。
俺は周囲を振り返り、すぐ脇にある畳んだ露店の陰に彼女を誘う。
俺の意図を汲んだのか、耳まで真っ赤にしたアーシャが下を向いたまま黙ってついてきた。
言葉は――まあ、あとでもいいか。
あんなに真剣な表情で語り合うのは、俺たちの性に合わない。
彼女を露店の壁に寄せ、彼女の顎に手を触れる。
潤んだ瞳で俺をまっすぐに見つめたアーシャ。
「アルル……」
そして、彼女はそっと目を閉じた。
その姿にデジャヴュを感じ、心を絞めつけられた俺は――。
――全てを打ち払うかのように、彼女の唇に自身の唇を重ね合わせたのだった。