あの鐘が鳴る時
この街ではどこにいても、あの鐘が見える。
街のど真ん中にある大鐘。それは、街のシンボル。
ただ、一つだけ妙なルールがあった。
落とし物をしては、いけない。
鐘が、不要なものだと思って消してしまうのだ。
猶予は一時間ごとに鳴る鐘が、三回鳴るまで。
今日もまた、誰かが何かを落とす。
「あれ……手袋が、無い」
由紀乃が気付いたときには、コートのポケットから消えていた。
彼女は何かの間違いだと思ってもう一度、ポケットを確認した。
続いて、反対側のポケットも見る。トートバッグの中もくまなく探す。だけど、見つからない。
「どこかで、落としたんだ。探さなきゃ」
そう決意したその時。
ゴーンゴーン。一回目の鐘が鳴った。
由紀乃は今日、隣街から遊びに来ていた。落とし物をしたのは、この街に入ってからだ。それはほぼ確実。
脳裏に鮮やかに浮かぶのは、手編みの青い手袋。昔の、プレゼント。
そして次に浮かぶ、あの人の顔。
もう、秋も終盤。だいぶ寒くなってきている。でも、冬にはまだ早い。
由紀乃は、道を引き返すことにした。まずは、さっきランチをしたレストラン。店員に尋ねた。
「青い手編みの手袋、忘れたかもしれないんですけど……」
「申し訳ないですが、そういう報告は届いておりません。残念ですが、すぐに消えてしまいますしね」
ゴーン、ゴーン。二回目の鐘が鳴った。
ランチの前に寄った、路地裏を探す。ゴミ一つ落ちていない。
鐘が消してしまうから、綺麗な街が保たれているのだ、と由紀乃は思った。
最初に立ち寄った、雑貨屋も行った。たくさん売られている売り物に紛れてないか、くまなくチェックしたけれど、やっぱり無かった。
「諦めも、肝心ですよ」
やや迷惑そうに、レジに立つ店長さんに言われ、由紀乃はすごすごと失礼しました、と言ってまた、道を戻る。
由紀乃は腕時計を見た。
もう、鐘が鳴るまで、五分しか無い。
ついに、街の端のほうまで舞い戻ってきてしまった。
「もう……見つからないのかな」
手袋は見つけないと駄目だ、と思った。ここで見つけなければ。
彼女は、思う。もはや手袋に、取り憑かれていると言っても良かった。
由紀乃は冬生まれだからだろうか、寒さに強い。この時期はまだ、手袋なんて必要ない。
なのに、持ち歩いている理由は、一つだけだった。
頭によぎる、あの人の儚い笑顔。
彼女は最後の執念を振り絞って、あたりを探した。
腕時計を、見る。あと、一分。
「……あれだ!!」
青い手袋は、あった。街と街の境目ギリギリ。地面に堂々と落ちていた。
だけど、しっかり鐘の街側に存在していた。急がないと、消えてしまう。
由紀乃は、走った。
もう、一分を切っている。
目の前に迫る、手編みの青い手袋。
伸ばした右手の指先が、手袋に触れた。
暖かい。だけど、少しチクチクもする。そんな感触だった。
ゴーン、ゴーン。
鐘が、鳴る。
由紀乃は手袋を……拾わなかった。
青い手袋は、プレゼントされたものじゃない。かつて由紀乃自身が作って、贈ろうとしたものだった。告白とともに。
でも、断られて、返された。そして彼女は今まで大事に持ち歩いていたのだ。渡す機会なんか、もう二度と訪れないだろうに。
青い手袋は、鐘の音と一緒に消えていった。
「……さようなら」
彼女は、手袋が消えてからもしばらく、地面を見つめた。
やがて、背を向ける。振り返ることは、無かった。
歩いて行く由紀乃の顔は、少し晴れ晴れとしていたのだった。
終わり。




