第9話 断罪の晩餐会
運命の夜がやってきた。
王宮の大広間で開催される、国王陛下主催の晩餐会。
表向きは春の祝祭だが、誰もが知っている。
これがオスカー王太子と、宰相ディルク様の、政治生命を懸けた最終決戦であることを。
「……準備はいいか、メル」
厨房の通用口で、正装したディルクが声をかけてきた。
今日の彼は、いつもの実務的な服装ではなく、宰相としての正装――金糸の刺繍が入った黒い礼服姿だ。
息を呑むほど美しいが、その瞳は戦場に赴く指揮官のように鋭い。
「はい、万全です。裏厨房の総力を挙げてサポートします」
私はコックコートの襟を正した。
今日の私の戦場は、大広間のすぐ裏にある配膳室だ。
◇
晩餐会が始まった。
前半はオスカー様陣営の担当だ。
次々と運ばれてくるのは、芸術品のように飾り立てられた前菜の数々。
氷の彫刻に乗った魚介、金箔をまぶしたテリーヌ。
見た目は素晴らしい。
……けれど、現場は地獄だった。
「おい、皿が大きすぎて通路を通れないぞ!」
「ああっ、ぶつかる!」
ガシャン! と食器の割れる音が響く。
オスカー様が見栄えを重視して特注した巨大な皿が仇となり、給仕たちの動線が詰まって大渋滞を起こしていたのだ。
結果、客席に届く頃には、魚介は生ぬるく温まり、テリーヌは乾燥してひび割れている。
会場の空気は、見る見るうちに重苦しいものになっていった。
年配の貴族たちは、見た目だけの料理に手を付けず、疲れたように水を飲んでいる。
オスカー様とリリアン様だけが、自分たちのテーブルの豪華さに陶酔し、会場の惨状に気づいていないのが滑稽だった。
「……よし、交代だ。俺たちの出番だ!」
後半戦。私たち裏厨房チームのターンだ。
「メル、作戦開始!」
「はい!」
私は配膳室の中央に立ち、並べられた料理の皿に手をかざした。
運ばれていくのは、決して派手ではない温かい肉料理やスープ。
だが、湯気は出ていない。
私の固有魔法『状態保存』で、鍋から出した瞬間の「熱」と「香り」を時間凍結してあるからだ。
「A卓、B卓、配膳完了!」
給仕係たちが、冷めた料理のように手際よく皿を並べていく。
貴族たちが「なんだ、これも冷めているのか」と落胆の表情を浮かべた――その瞬間。
「――解除」
私が指をパチンと鳴らした。
シュウウウッ……!
広間中の皿から、一斉に猛烈な湯気が立ち上った。
封じ込められていた香草と肉汁の香りが、爆発するように会場を制圧する。
まるで、今この瞬間に調理されたかのような鮮度。
「な、なんだ!?」
「熱い! 出来たてだ!」
「……おお、香りが生きている!」
カチャカチャと、フォークとナイフの音が軽快に響き始める。
さっきまでの沈黙が嘘のように、会話が弾み、笑顔が溢れる。
給仕係の動きもスムーズだ。私が事前に動線を整理し、皿のサイズもテーブルに合わせて最適化したからだ。
その光景を見て、壇上の国王陛下が深く頷いた。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「――勝負あったな」
陛下の厳かな声が響き渡り、会場が静まり返る。
「オスカーよ。其方の料理は美しかった。だが、晩餐会とは国政の縮図だ。兵站(給仕)を滞らせ、民(客)の状態を見ず、ただ己の虚栄心を満たした。……その無能さは、万死に値する」
「ち、父上……! しかし、これは最高級の食材を……!」
「黙れ。民を養うとは、豪華なものを与えることではない。確実に、温かいものを届ける『仕組み』を作ることだ」
陛下はディルク、そして配膳室にいる私の方へ視線を向けた。
「宰相、そしてメル・リズリーよ。見事であった。魔法と知恵を組み合わせたその采配、余の冷え切った心まで温めてくれたわ」
「光栄でございます」
ディルクが優雅に一礼する。
私は配膳室の陰で、震える膝を抑えながら深く頭を下げた。
「オスカー、其方には王としての資質が欠けている。……廃嫡とし、辺境での再教育を命じる」
「そ、そんな……! 父上! 嘘でしょう!?」
「リリアン嬢も同様だ。その浪費癖、修道院で矯正してくるといい」
リリアン様が悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。
オスカー様は近衛兵に両脇を抱えられ、引きずられていった。
「メル! メルぅぅ! 俺が悪かった! 戻ってきてくれぇぇ!」
最後まで私の名を呼ぶ情けない声が、扉の向こうへ消えていった。
会場からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
それは新しい時代の幕開けを祝福する音だった。
◇
宴が終わり、静まり返った厨房。
全ての片付けを終え、ピカピカに磨き上げられた調理台の前で、私は大きく息を吐いた。
終わった。
本当に、終わったんだ。
「……お疲れ様」
背後から、優しい声がした。
ディルクだ。
彼は礼服の上着を脱ぎ、ラフなシャツ姿になっていた。手には二人分のコーヒーカップを持っている。
「大成功でしたね、ディルク様」
「ああ。君の魔法と、指揮のおかげだ」
彼は私にカップを手渡すと、隣の丸椅子に腰掛けた。
そして、真剣な瞳で私を見た。
「メル。……話があるんだ」
「は、はい」
「私はこれまで、国を回すのはシステムと法だと思っていた。だが、君に出会って知ったよ。最後に人を動かすのは、温かい食事と、それを届ける『心』だと」
彼はポケットから、小さな箱を取り出した。
シンプルな、けれど星空のように美しい輝きを放つ銀の指輪。
「君の管理能力と、その優しさが、私の人生には必要だ。……公私共に、私のパートナーになってくれないか。君の作った『居場所』で、私も生きていきたい」
心臓が止まるかと思った。
これは、プロポーズだ。
かつて「在庫管理係」として左遷されたこの場所で、国の頂点に立つ人からの、最高に贅沢な契約の申し出。
私は涙で視界が歪むのを感じながら、精一杯の笑顔で答えた。
「……はい。謹んで、お受けいたします」
指輪が、私の薬指に収まった。
その温もりは、どんな魔法よりも温かく、私の心を保存してしまったようだった。




