第6話 嫌がらせの茶会と、揚げたてドーナツ
真っ白な封筒に、香水の匂いがキツすぎる招待状。
差出人は、リリアン・バーネット男爵令嬢。次期王太子妃(予定)。
『親愛なるメル様へ。貴女様の新しい職場でのご活躍をお祝いしたく、ささやかなお茶会を催しますの』
白々しい。
裏厨房への「兵糧攻め」が失敗した腹いせに、直接呼び出して叩こうという魂胆が見え見えだ。
でも、断るわけにはいかない。
私が逃げれば、次はガルバン料理長や部下たちにどんな難癖がつくかわからない。
「……行くしかないわね」
私はエプロンを外し、久しぶりに令嬢らしいドレスに袖を通した。
もっとも、華美なものではない。動きやすい紺色のシンプルなデイドレスだ。
手土産には、朝の仕込み中に揚げておいた『ハニーグレーズ・ドーナツ』を持参することにした。
お茶菓子としては庶民的すぎるけれど、材料費は安く、カロリーは高い。今の私(兵站管理者)にはこれがお似合いだという皮肉も込めて。
◇
王宮の中庭は、春の日差しに包まれていた。
白いテーブルクロスに、銀のティーセット。
テーブルには色鮮やかなマカロンや砂糖菓子がタワーのように積まれているが、乾いてパサついているのか、誰の手も伸びていない。
着飾った令嬢たちが十数人、扇子を片手に談笑している。
その中心に、ピンク色のフリルたっぷりのドレスを着たリリアン様がいた。
「あら、メル様! よくいらっしゃいましたわ!」
彼女の声は高らかで、周囲の注目を一瞬で集めた。
視線が一斉に私に突き刺さる。
値踏みするような、嘲るような目。
「お招きいただき、光栄です」
私は淑女の礼をとった。
「まあ、そのドレス……ずいぶんと質素ですのね。ああ、裏厨房での作業着ですか?」
くすくす、と周囲から笑い声が漏れる。
「機能的で気に入っておりますので」
「うふふ、そうでしょうね。地味な貴女にはぴったりですわ」
リリアン様は扇子で口元を隠しながら、冷ややかな目で私を見下ろした。
「でも、少し臭いますわね。……油と、生ゴミのような臭いが」
大げさに鼻をつまんでみせる。
実際には、私は入念に風呂に入ってきたし、漂っているのは揚げたての小麦と蜂蜜の香りだけのはずだ。
これは「お前は汚い」というレッテル貼りの儀式なのだ。
「あら、手土産を持ってきてくださったの? ……まあ、これは?」
彼女は私が差し出したバスケットを覗き込み、顔をしかめた。
「揚げ菓子……? そんな下品な庶民の食べ物、王宮のお茶会にはふさわしくありませんわ!」
バシッ、と。
彼女の手が「滑った」ふりをして、バスケットを薙ぎ払った。
バスケットが宙を舞い、芝生の上にドーナツが転がり落ちる。
「ああ……」
私は小さく声を上げた。
早起きして、発酵時間を調整して、一番いい色に揚げたドーナツ。
食べ物を粗末にされるのが、料理人として一番許せない。
「ごめんなさいね、手が滑ってしまって。でも、ちょうどよかったですわ」
リリアン様は冷酷に微笑んだ。
「そこの池の鯉にでもあげましょう。……あるいは、貴女が拾って召し上がりますか? お似合いですわよ、泥にまみれたお菓子なんて」
周囲の令嬢たちが息を呑む。
これは完全な侮辱だ。
私が怒って泣き出せば、彼女の勝利。
私が拾って食べれば、一生の笑い者。
私は深呼吸をした。泣くつもりはない。
ただ、可哀想なドーナツを拾おうと膝を折った――その時だった。
「――道を空けろ」
空気が凍りついた。
絶対零度の声。
中庭の入り口に、数名の文官を引き連れた男が立っていた。
銀髪をなびかせ、手には分厚い書類の束。
移動中の宰相、ディルク・ヴァン・アレンだ。
「デ、ディルク様!?」
リリアン様の顔が引きつった。
宰相がこんな所にいるはずがない。
しかし、ディルクは私の方へ真っ直ぐ歩いてきた。
「……メルか。探したぞ」
「ディルク様……どうしてここに?」
「例の『臨時購買部』の月次決算について確認事項があった。裏厨房へ向かうためにここを通ったのだが……これは、何事だ」
彼の氷のような視線が、散らばったドーナツと、リリアン様を行き来した。
リリアン様が悲鳴のような声を上げる。
「ち、違いますの! 彼女が、こんな泥のようなお菓子を持ち込むから……!」
「泥、だと?」
ディルクは眉をひそめ、バスケットの中に残っていた――奇跡的に汚れなかった一つを、無造作に手に取った。
そして、あろうことか、そのまま一口かじりついたのだ。
サクッ、と。
軽やかな音が響いた。
「……美味い」
彼は目を細め、心底美味しそうに呟いた。
「外はサクサクで、中はふんわりとしている。蜂蜜の甘さが脳の疲労回復に最適だ。……これが泥なら、王宮の菓子は砂利以下だな」
彼は残りを一口で食べきると、リリアン様を一瞥した。
「彼女は現在、私の直轄下にある『購買部責任者』だ。彼女が作る糧食は、騎士団と文官たちのパフォーマンスを支えている。それを『下品』と断じるとは……王宮全体の生産性を否定するつもりか?」
「そ、そんな……ただの在庫係では……!」
「認識を改めたまえ。……行くぞ、メル」
彼が私の肩を抱こうとした時、周囲の空気が変わった。
漂う甘い香りに、一人の令嬢が我慢できずに声を上げたのだ。
「あ、あの匂い……お兄様が言っていた『幻の裏弁当』と同じ……?」
「えっ、あの美味しいと評判の?」
「宰相様があそこまで絶賛なさるなら……」
一人の令嬢がおずおずと手を挙げた。
「あ、あの……落ちていないものを、私もいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。バスケットの中にはまだ無事なものがありますから」
私が差し出すと、彼女はドーナツを口にし、「美味しい!」と目を輝かせた。
パサパサのマカロンに飽き飽きしていた令嬢たちが、それを皮切りに雪崩を打った。
「私も!」「一つください!」
あっという間に、バスケットは空になった。
取り残されたのは、リリアン様ただ一人。
「な、なによ……! みんなして……!」
彼女は顔を真っ赤にして、扇子をへし折らんばかりに握りしめている。
自分の主催したお茶会で、主役の座を奪われ、一番見下していた相手に客を奪われたのだ。
「……行こう」
ディルクは私を促し、その場を後にした。
背後でリリアン様のヒステリックな叫び声が聞こえた気がしたが、もうどうでもよかった。
回廊を曲がり、人目がなくなったところで、彼は小さく息を吐いた。
「……すまない。君が囲まれているのが見えて、つい介入してしまった」
「いいえ、助かりました。……でも、本当に美味しかったですか? 庶民の味ですけど」
「世界一だ」
彼は真顔で即答した。
「君が泥団子を出したとしても、そこには必要な栄養素が含まれていると信じて食べる自信がある」
「それは……究極の信頼ですね。光栄です」
私は吹き出した。
この人は、どこまでも合理的で、そして私を信じてくれている。
胸の奥が温かくなるのを感じながら、私は思った。
この人の隣なら、どんな泥沼の戦場でも生き抜いていける気がする、と。




