第5話 元婚約者の横やりと、お弁当の兵站術
「ふざけるな! 飯を作るなだと!?」
ガルバン料理長の怒号が、夕暮れの裏厨房に響き渡った。
彼の拳が調理台を叩き、鍋がガシャンと跳ねる。
周囲の料理人たちも殺気立っていた。
「予算凍結に、搬入停止だと? 俺たちに干上がれってことか!」
「リリアン様の気まぐれだろ! やってられるか!」
事態は深刻だった。
午後一番に通達された命令書。
そこには『経費削減のため、裏厨房の運用を一時停止する』と書かれていた。
実質的な閉鎖命令だ。
明日の朝食用のパンも、肉も、新鮮な野菜も届かない。
「……メル、お前が狙いなんだろうな」
ガルバン料理長が、静かに私を見た。
私は唇を噛んだ。
間違いない。私をここから追い出すための、兵糧攻めだ。
「申し訳ありません。私のせいで、皆さんにご迷惑を……」
「馬鹿野郎! 誰が謝れっつった!」
彼は私の頭をガシガシと乱暴に撫でた。
「俺たちが腹立ててんのは、お前に対してじゃねえ。現場を知らねえ上の連中が、俺たちの誇りである『飯』を人質に取りやがったことだ!」
「そうです! メルさんは悪くない!」
「俺たちで王太子に抗議に行きましょう!」
若い料理人たちが包丁を握りしめて立ち上がる。
「待ってください!」
私は声を張り上げた。
ここで暴動を起こせば、それこそ相手の思う壺だ。
「野蛮な料理人たち」として解雇されるのがオチだろう。
「抗議よりも先に、やるべきことがあります」
私はエプロンの紐をきゅっと締め直した。
「腹を空かせた騎士さんや文官さんたちが、もうすぐここへ来ます。彼らに『今日は飯抜きです』と言えますか?」
全員が黙り込んだ。
料理人としての矜持。
客を空腹で帰すことほど、屈辱的なことはない。
「でもよ、材料がねえんだ。肉も魚も……」
「あります」
私は倉庫の扉を指差した。
「新鮮な高級食材はありません。でも、ここ一週間、私が『状態保存』をかけて溜め込んでおいた、端材や規格外の野菜なら山ほどあります」
私の目には、勝算が見えていた。
以前、下町の繁盛店で見かけた「あの」スタイルなら、この危機をチャンスに変えられる。
「皆さん、今夜はコース料理も定食もやめます。……『お弁当』作戦でいきます!」
◇
翌朝。
王宮の裏口には、異様な光景が広がっていた。
「なんだこれは!? こんなに美味いものが、たったの銅貨三枚!?」
「こっちの『日替わり爆弾おにぎり』も最高だぞ!」
早朝出勤の騎士や、徹夜明けの文官たちが、長蛇の列を作っていた。
彼らの手にあるのは、竹皮や木の器に入った「お弁当」だ。
メニューは三種類。
一つ目は『根菜たっぷり辛味煮込み飯(ドライカレー風)』。
形が悪くて売り物にならなかった人参やレンコンを細かく刻み、挽肉の代わりに豆を潰して混ぜ込み、スパイスで煮込んだもの。
スパイスは倉庫の奥で香りが飛んでいた古物だが、フライパンで空炒りすることで香りを復活させた。
私の魔法で保存していた古米(少しパサつく)も、この汁気と合わせれば絶妙な食感になる。
二つ目は『野菜屑の黄金揚げ(かき揚げ)丼』。
普段は捨ててしまう野菜の皮やヘタを千切りにし、少ない小麦粉でカリッと揚げて、甘辛いタレをかけたもの。
肉が入っていなくても、油のコクとタレの味で満足感は抜群だ。
三つ目は『携帯用・即席スープ玉』。
乾燥させた野菜と、東方の交易品である『発酵豆ペースト(味噌)』、魚粉を丸めた玉にお湯を注ぐだけ。
忙しい彼らが、執務室でも片手で栄養補給できるように開発した。
「すごい……飛ぶように売れていく」
配膳を手伝っていた若い料理人が目を丸くしている。
「ああ。高級なステーキより、今はこういう『ガッツリ飯』が求められていたんだ」
私は補充の指示を出しながら、確信していた。
リリアン様たちは知らないのだ。
現場で働く男たちが、上品なフランス料理よりも、こういう茶色い弁当を愛していることを。
「メル嬢!」
列の先頭に、あの騎士団長が立っていた。
彼は『かき揚げ丼』を二つも抱えている。
「素晴らしい! これなら巡回中でも食べられる。部下たちの士気も上がっているぞ!」
「良かったです。食材が尽きるまでは続けますから、安心してください」
一方、表の食堂では――。
「本日のメニューは、予算の関係で『パンと薄いスープ』のみとなります」
どうやらリリアン様たちが今夜の『特級肉食べ比べ夜会』のために、通常食費の九割を転用したらしく、一般職員の食事が犠牲になったらしい。
結果として、王宮中の職員が裏厨房へなだれ込む事態となっていた。
「……見事だな」
ふと、背後から声をかけられた。
振り返ると、柱の陰にディルクが立っていた。
彼は人目を避けるように帽子を目深に被っていたが、その口元は笑っていた。
「ディルク様!」
「兵站の基本だ。『現地調達』と『加工による付加価値』。……君は、優秀な軍師になれるよ」
「買い被りすぎです。ただの、もったいない精神ですよ。それに、勝手に販売したとなると後で怒られそうで……」
「安心しろ。その件なら手を回しておいた」
彼は懐から一枚の書類を取り出した。
『臨時購買部・設置許可証』。
日付は昨日のものになっている。また捏造……いや、迅速な仕事だ。
「この売上金は、全額『次期予算の補填』として国庫に計上する処理にしてある。君は王宮公認で、堂々と彼らの腹を満たせばいい」
「ありがとうございます……!」
「礼を言うのはこちらだ。それに、表の食堂の惨状を文官たちにリークしておいたのは私だ。……君の弁当の宣伝部長といったところかな」
彼は悪戯っぽくウィンクした。
この人には敵わない。
「さて、オスカーたちの『兵糧攻め』は完全に裏目に出た。この騒ぎで、予算横領の証拠も掴めそうだ」
「すべてお見通しだったんですね」
「君なら乗り越えると信じていたからね。……それに、君の作る『茶色い弁当』を私も食べてみたかった」
彼はちゃっかりと、私の手元にあった最後の一つ、『辛味煮込み飯』を指差した。
「……予約、できるか?」
「ふふ、もちろん。特別大盛りにしておきますね」
こうして、裏厨房閉鎖の危機は去った。
むしろ、王宮内での「裏厨房支持率」は爆上がりし、リリアン様たちへの不満はマグマのように溜まっていくことになった。
でも、彼女がこのまま黙っているはずがない。
私は空になった鍋を見つめながら、次の波乱の予感に気を引き締めた。




