第4話 氷の宰相の不器用な休日
週末の王都は、朝から活気に満ちていた。
石畳の広場には色とりどりのテントが並び、商人の呼び込みと客の笑い声が響いている。
「……人が多いな」
隣を歩くディルクが、少し居心地悪そうに眉を寄せた。
今日の彼は、いつもの堅苦しい官服ではなく、シンプルな濃紺のシャツにスラックスという装いだ。
それでも隠しきれない高貴なオーラと、彫刻のような美貌のせいで、道行く女性たちが振り返っていく。
対する私は、動きやすさ重視のコットンのワンピースに、日除けの麦わら帽子。
どう見ても釣り合っていない気がするけれど、彼は気にする素振りもない。
「すみません、付き合わせてしまって。……市場調査、でしたっけ?」
「ああ。最近、小麦と乳製品の価格が高騰しているという報告があってな。現場の状況をこの目で見ておきたかったんだ」
「なるほど。それなら、あちらの東エリアへ行きましょう。農家直送の屋台が集まっていますから」
私は自然と彼の半歩前を歩き出した。
人混みを縫って進む。
「おじさん、このチーズ、いつもより二割高いわね」
「へへ、お嬢ちゃん目ざといねえ。北の街道が雨でぬかるんでて、輸送費がかさんじまってさ」
屋台の主人が言い訳をする。
私はチーズの断面と、屋台の裏に停めてある荷馬車の車輪を一瞥した。
「嘘ですね」
「え?」
「車輪についているのは赤土です。北の街道の土じゃない。貴方、関所税の高い東の山越えルートを使ったでしょう? 北の橋が落ちたから迂回したのね。……でも、山越えなら日陰を通るから、氷魔法による保冷コストは浮いているはず。二割増しは便乗値上げよ。一割増しが適正価格だわ」
私の指摘に、店主が口をあんぐりと開けた。
隣でディルクも目を見開いている。
「……まいった。お嬢ちゃん、何者だい? 役人の査察より厳しいや」
「ただの、家計に厳しい一般市民です。……で、一割増しにしてくれるの?」
「へいへい、負けたよ!」
適正価格でチーズを購入し、私は振り返った。
ディルクが、メモ帳を持ったまま固まっている。
「……メル。君は魔法使いか?」
「いいえ。ただの観察と計算です。物流コストを考えれば当然の帰結ですよ」
「……素晴らしい。今すぐ君を財務省の次官に任命したい」
彼は本気だった。目が笑っていない。
私は苦笑しながら、彼にチーズを差し出した。
「お仕事の話はまた今度。ディルク様、食べます? 味は一級品ですよ」
「……あ、ああ。頂こう」
彼は爪楊枝に刺したチーズを口に入れ、頷いた。
そして、ポケットからジャラリと音を立てて小銭袋を取り出した。
「今日は学習して、小銭を大量に崩してきた。……銀貨一枚。釣りはいらない」
「もう、またそうやって適当な計算をする!」
「君が正せばいい。……これからも、私の隣で」
さらりと凄いことを言われた気がする。
私が赤くなっていると、彼は満足げに次のお店へと歩き出した。
歩き疲れた頃、広場のベンチで休憩することにした。
手には、屋台で買った揚げたての『串揚げ肉』。
貴族の令嬢と文官が道端で買い食いなんて、王宮の人が見たら卒倒するかもしれない。
「……ん」
肉にかぶりついたディルクが、不器用そうに口元を拭った。
まだソースがついている。
「ふふ、反対側です。ついてますよ」
私は無意識にハンカチを取り出し、彼の口元を拭ってあげていた。
――ハッとしたのは、その後だ。
あまりにも自然にやってしまった。
オスカー様の世話をしていた頃の癖だ。
「す、すみません! 失礼なことを!」
慌てて手を引っ込めようとすると、彼の手が私の手首を掴んだ。
強い力ではない。けれど、逃さないという意志を感じる強さだった。
「……謝るな。不快ではない」
彼の顔が近い。
澄んだ青い瞳が、私を分析するように見つめている。
「不思議だ。他人との接触はストレスでしかないはずなのに、君だと……むしろ安らぐ。……これは、どういう理屈だ?」
「そ、それは……私が地味で、害がないからでは?」
「違う」
彼は断定した。
「君の能力への敬意と、人としての……好意だ」
心臓が破裂しそうだった。
彼は私の手を離さず、そのまま自分の指を絡めてきた。
いわゆる、恋人繋ぎ。
「えっ、あの、ディルク様!?」
「人混みが増えてきた。はぐれたら困るだろう? 私の『優秀な案内役』を失うわけにはいかない」
彼は澄ました顔で前を向いた。
でも、繋いだ手は熱く、耳の端がほんのりと赤いのを私は見逃さなかった。
合理的な理由をつけているけれど、これは完全に確信犯だ。
「……あの王太子は、本当に見る目がない」
雑踏の中で、彼がポツリと呟いた。
「君は『地味』なのではない。『堅実』という得難い宝石だ。……私が必ず、正当な場所に飾り直してみせる」
その言葉は、単なる口説き文句には聞こえなかった。
もっと重く、強固な決意表明。
私は何も言えず、ただ握り返された手の強さに、胸を締め付けられていた。
――帰り道。
私たちは手を繋いで歩いた。
市場調査という名目はどこへやら。
ただの、甘酸っぱいデートの帰り道だった。
けれど、王宮の門が見えてきた頃。
私たちの浮かれた気分は、一瞬で吹き飛ぶことになった。
「なんだ、あれは……?」
ディルクが鋭い声を出した。
裏口の通用門が封鎖されている。
そして、我が物顔で指示を飛ばしているのは――リリアン様の侍女たちだった。
彼女たちは『王太子妃教育係』の印章が入った書類を門番に突きつけている。
「本日より、裏厨房への食材搬入ルートを制限します!」
「衛生管理の徹底という、リリアン様のご慈悲ですよ! 不潔な裏口は封鎖です!」
そんな金切り声が聞こえてくる。
私はディルクの手を離し、走り出した。
「待ってください! 搬入を止められたら、今夜の食事が作れません!」
私のささやかな居場所が、また理不尽な「無知」によって踏み荒らされようとしていた。




