第3話 噂の夜食係と、騎士団の行列
深夜の裏厨房が、なんだか賑やかになってきた。
「おかわり! こっちにもくれ!」
「おい、押すなよ。メル嬢の手が追いつかないだろうが」
「うめぇ……生き返る……」
狭い厨房の勝手口付近に、屈強な男たちがひしめき合っている。
王宮の夜警を担当する騎士たちだ。
事の発端は、数日前。
いつものように「文官様」に夜食を出していたところ、匂いを嗅ぎつけた見回り中の若い騎士が、お腹を盛大に鳴らせて覗き込んできたのだ。
見かねて残り物のパンを渡したら、翌日には三人になり、五人になり……今ではちょっとした行列ができている。
「はい、お待たせしました。『焼き飯おにぎり』です。熱いので気をつけて」
私は大皿に山盛りにしたおにぎりを差し出した。
余った冷やご飯に、細かく刻んだベーコンと葱、そして少しの醤油を混ぜて炒め、握ったものだ。
ベーコンの脂を吸ったご飯は黄金色に輝き、醤油の焦げる香りが食欲を直撃する。
片手で食べられて、腹持ちがいい。夜勤の彼らにはぴったりの兵站メニューだ。
「おおっ、これこれ! この焦げ目がたまらん!」
「片手剣を持ったままでも食えるのがいいんだよな」
「メル嬢、あんたは女神だ!」
騎士たちは次々とおにぎりを掴み、豪快に頬張っていく。
彼らの笑顔を見ていると、作りがいがあるというものだ。
「……随分と繁盛しているな」
厨房の奥、いつもの指定席(丸椅子)で優雅にスープを飲んでいたディルクが、呆れたように呟いた。
彼は毎晩のようにここへ通ってきている。
顔色は随分と良くなり、目の下の隈も薄くなった。
ただ、その正体はいまだに「ただの文官」と言い張っているけれど。
「すみません、騒がしくて。落ち着いて食事ができませんよね」
「いや、構わない。……彼らの活力になるなら、それも国益だ」
ディルクは騎士たちを一瞥し、ふっと目を細めた。
「それに、君が楽しそうだからな」
不意に投げかけられた言葉に、心臓がトクンと跳ねた。
私は調理台に向き直り、照れ隠しに鍋をかき混ぜた。
「そ、そうですか? ただの在庫整理の一環ですよ」
「素直じゃないな」
彼は低く笑い、スプーンを口に運んだ。
その時、入り口の騎士たちがざっと左右に割れた。
カシャン、カシャンと、重厚な鎧の音が近づいてくる。
「――ここで油を売っているのは誰だ」
低く、威厳のある声。
現れたのは、歴戦の猛者といった風貌の騎士だった。
胸には騎士団長の紋章。
騎士たちが直立不動で敬礼する。
「だ、団長! これは、その……休憩中に栄養補給を……!」
「夜食か。匂いに釣られて任務を疎かにするとは、弛んでいる証拠だ」
騎士団長の鋭い視線が、私に向けられた。
私は思わず背筋を伸ばした。
怒られる。無許可でこんなことをしているのだから、当然だ。
彼は私をじっと見つめ、そして驚いたように目を見開いた。
「……貴女は、メル・リズリー嬢か?」
「は、はい。現在は在庫管理係として勤務しております」
「そうか……。王太子殿下との婚約破棄の噂は聞いていたが、まさかこんな所に」
彼の目から、険しい色が消えた。
代わりに浮かんだのは、敬意のような色だった。
「団長、彼女を責めないでやってください。彼女は俺たちに……」
若い騎士が庇うように声を上げる。
団長はそれを片手で制し、私の前に歩み寄った。
「すまない。部下たちが迷惑をかけた」
「いえ! 余り物ですし、私が好きでやっていることですから」
「……感謝する。現場の騎士たちは皆、貴女の補給支援に救われている」
彼はカウンターに残っていた『焼き飯おにぎり』を一つ手に取り、躊躇なく口に放り込んだ。
咀嚼し、ごくりと飲み込む。
「……美味い。合理的で、力が湧く味だ」
彼は満足げに頷くと、ふと厨房の奥に視線を走らせた。
そして、固まった。
「――ッ!?」
団長の目が限界まで見開かれ、顔色がサッと青ざめる。
その視線の先には、悠然とスープを飲むディルクの姿。
「さ、宰相かっ……」
「(シーッ)」
ディルクは表情を変えず、人差し指を唇に当ててみせた。
その瞳は笑っていなかった。『余計なことを言ったら、来年度の騎士団予算を半減させるぞ』と雄弁に語っている。
「……ぐっ、ふ……っ!」
団長は変な咳払いをして、直立不動の姿勢を取った。
大量の冷や汗をかいている。
「ど、どうされたんですか? お水、飲みますか?」
「い、いや! 問題ない! 総員、休憩終了! 直ちに持ち場に戻れ! ここは……そう、重要補給基地として認める! 以上だ!」
「「「イエッサー!!」」」
騎士団長は、逃げるように厨房から去っていった。
まるで幽霊でも見たような慌てぶりだった。
「……変な人ですね」
「そうだな。激務で幻覚でも見たんじゃないか?」
ディルクは何食わぬ顔でスープを飲み干した。
「さて、私もそろそろ戻ろう。……ああ、そうだ」
帰り際、彼は懐から何かを取り出し、テーブルに置いた。
カラン、と重たい音が響く。
金色の輝き。
王の横顔が刻まれた、大金貨だった。
「ちょっ、あの!? これ、一般市民の年収くらいありますけど!?」
「生憎、細かい持ち合わせがなくてな。財布の中身がこれしかなかった」
「お釣りなんてありませんよ! 持って帰ってください!」
「受け取れないなら、仕方ないな」
彼は困ったように肩を竦め、そして獲物を狙う狩人の目で私を見た。
「では、週末に付き合ってくれ。私の『買い物』に」
「買い物、ですか?」
「ああ。君のような庶民……いや、経済観念のしっかりした案内役が必要なんだ。市場価格の視察も兼ねて、君の知恵を借りたい」
それは仕事の依頼のようであり、デートの誘いのようでもあった。
拒否権はない。
手元には、お釣りの出せない大金貨があるのだから。
「……わかりました。お供します」
「そうか。では、楽しみにしている」
彼が去った後の厨房で、私はしばらく赤くなった顔を手で仰いでいた。
騎士団の騒ぎよりも、テーブルの大金貨よりも、最後の一言の破壊力が一番強かった。
王宮一のキレ者と呼ばれる宰相様が、実は「お釣りの計算もできない」なんて嘘をついていることに、私が気づくのはもう少し先の話だ。




