表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残り物には福がある、宰相様の胃袋も掴めます  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話 深夜の訪問者と、復活のポトフ

 王宮の裏厨房に異動して、一週間が経った。

 私の生活は激変した。


「おいメル! 昨日の残りの玉ねぎ、どこだ!」

「三番棚の下段、左の木箱です! 痛みかけていた部分は切り落として、ペーストにしてあります!」

「おっ、気が利くじゃねえか! こりゃソースに使えるな!」


 怒号と熱気が飛び交う戦場。

 それが昼間の厨房だ。

 最初は「貴族の娘に何ができる」と懐疑的だった料理人たちも、私が整理した在庫表と、魔法で鮮度を保った食材を見るやいなや、手のひらを返したように仲間として受け入れてくれた。


 私の固有魔法『状態保存スタシス』は、派手な攻撃魔法ではない。

 けれど、足の早い葉物野菜をシャキッとさせたり、古くなったパンのカビ進行を止めたりするには最強だ。

 おかげで廃棄率は劇的に減り、私は密かに「在庫の魔術師」なんて呼ばれ始めているらしい。


 ――そして、深夜。

 嵐のような夕食の時間が終わり、料理人たちが帰宅した後。

 ここからが、私の密かな楽しみの時間だ。


 静まり返った厨房。

 換気扇の回る低い音だけが響く。

 私は残り物の整理をしながら、自分用の夜食を作る準備をしていた。


「今日は冷えるわね……」


 石造りの王宮は、夜になると急激に冷え込む。

 こんな夜は、温かいものがいい。

 私は在庫の隅にあった、少し硬くなった黒パンと、形の悪いカブや人参を取り出した。


 その時だった。


 ズズ……ッ、と。

 裏口の重い扉が、引きずられるように開いた音がした。


「……え?」


 振り返ると、そこには闇が立っていた。

 いや、人だ。

 長身の男が、扉の枠に寄りかかるようにして立っている。


 ヒッ、と息を呑んだ。

 幽霊かと思った。

 顔色は青白いというより土気色。

 目の下には墨を塗ったようなくま

 美しい銀髪はボサボサで、高級そうな衣服は皺だらけだ。


「……ここまで来れば、近衛騎士も追ってこれないか……」


 男が掠れた声で独り言ちた。

 そのまま、糸が切れた操り人形のように、床へ崩れ落ちそうになる。


「危ないっ!」


 私は慌てて駆け寄り、その体を支えた。

 重い。大柄な男性の体重がのしかかる。

 そして、体温は氷のように冷たい。


「しっかりしてください! 大丈夫ですか!?」

「……すまない。めまいが……」

「ここへ座ってください。いま、お水を」


 私は彼を近くの丸椅子に座らせ、急いで水を汲んだ。

 男は震える手でコップを受け取ると、一気に飲み干した。

 ふう、と深い溜息をつく。


 改めて見ると、ただの迷子ではないことは明白だった。

 シャツの袖口に付着しているのは、最高級のブルーブラックインク。あれは宰相府の高級官僚しか使わない特注品だ。

 それに、着ているシャツの生地。くたびれているが、光沢からして王族御用達のシルクだろう。


(宰相府の高官……いや、もしかしてご本人?)


 これが噂に聞く、王宮のブラック労働の頂点か。

 私は、かつて王太子オスカー様の執務室で、徹夜続きの文官たちがよく屍のようになっていたのを思い出し、強烈な同情を覚えた。

 この人もまた、あの「無能な上司」たちの被害者なのだろう。


「……助かった。水がこんなに美味いとは」

 男は空になったコップを置くと、ふらりと立ち上がろうとした。

 正気とは思えない。


「待ってください! その体で仕事に戻るなんて自殺行為です」

「しかし、決裁書類が……山のように……」

「顔色が紙より白いですよ。最後に食事を摂ったのはいつですか?」


 私の問いに、男は虚ろな目で宙を仰いだ。

「……食事? いつだったか……。昨日か、一昨日か。砂のようなパンを齧った記憶はあるが」


 重症だ。

 栄養失調に、極度の疲労。

 相手が高位貴族だろうと関係ない。今の彼は、私の厨房テリトリーに担ぎ込まれた急患だ。

 元・世話焼き係の血が騒ぐ。


「座っていてください。何かお腹に入れないと、ここから出しませんから」

「いや、食欲はないんだ。何を食べても、泥の味しかしない……回復魔法も効かないんだ……」

「いいから座る! 医食同源です!」


 私は強引に男の肩を押して座らせた。

 男は抵抗する気力もないのか、大人しく従う。


 私はコンロの前に立った。

 弱っている胃腸に、油っこいものは厳禁だ。

 かといって、ただの粥では味気ないし、栄養も足りない。


 鍋に水を張り、細かく刻んだカブと人参、玉ねぎを入れる。

 ポイントは切り方だ。繊維を断ち切るように薄くスライスし、消化の負担を極限まで減らす。

 火は弱火。

 コトコトと煮込んでいる間に、硬くなった黒パンを一口大にちぎり、牛乳に浸す。


「いい匂いだ……」

 背後で、男がポツリと漏らした。

 先ほどまでの死んだような声に、わずかに色が戻っている。


 私は野菜が舌で潰せるほどくたくたになるまで煮込んだスープに、少量の塩と、整腸作用のあるハーブを散らした。

 最後に、隠し味のバターをほんの一欠片。

 これだけでコクが出るし、荒れた胃壁の保護にもなる。


「お待たせしました。これなら食べられると思います」


 湯気の立つ深皿を二つ、男の前に置いた。

 『たっぷり野菜のポトフ』と『ミルクパン粥』。

 男は呆然とそれを見つめている。


「……温かい」

「熱いので気をつけてくださいね」


 彼はスプーンを震える手で持ち、ポトフのスープをすくった。

 恐る恐る、口に運ぶ。


 ごくり。


 喉が鳴る音が、静かな厨房に響いた。

 男の動きがぴたりと止まる。

 長い睫毛が震え、見開かれた瞳が揺れた。


「……味が、する」


 信じられないものを見るように、彼は私を見た。

「味がするぞ。野菜の甘みと、塩の味が……」

「当たり前です。料理ですから」

「いや、違うんだ。ここ数ヶ月、何を口に入れてもゴムを噛んでいるようだった。なのに……これは……」


 彼は憑かれたようにスプーンを動かし始めた。

 次はカブを。口の中でほろりと崩れる柔らかさに、彼の眉間の皺がほどけていく。

 次はミルク粥を。温かい滋養が、喉を通って胃の腑に落ちていくのが見て取れた。

 一口食べるごとに、青白かった頬に赤みが差していく。

 まるで、枯れ果てた大地に水が染み渡るように。


 私は黙ってそれを見守った。

 料理人として――いや、ただの世話好きとして、食べてくれる人がいるのは嬉しい。

 それが、こんなにも切実な食べ方なら尚更だ。


 十分も経たずに、皿は空になった。

 彼は名残惜しそうに最後の一滴まですくい取ると、深々と息を吐いた。


「……生き返った」

 その言葉には、実感がこもっていた。

 彼は顔を上げ、私を真っ直ぐに見た。

 その瞳は、先程までの澱んだ灰色ではなく、氷のように澄んだ鋭い青色をしていた。

 

(綺麗な目をしているんだな……)

 私は不覚にも、少しドキリとしてしまった。


「君の名は?」

「メルです。ここの在庫管理係をしています」

「メル……。覚えておこう。私は……」


 彼は言いかけて、少し躊躇い、口元を自嘲気味に歪めた。

「……ただの通りすがりの、しがない社畜だ」

「ふふ、大変ですね。王宮のお仕事は」

「ああ、全くだ。無能な上司と、話の通じない部下に囲まれてね」


 彼は立ち上がり、服のポケットを探った。

 しかし、眉をひそめる。

「……しまった。執務室に財布を置いてきたか」

「あ、お代なんて結構ですよ! 余り物で作っただけですから」


 彼は首を横に振った。

 そして、袖口できらりと光るものを外すと、コトリとテーブルに置いた。

 サファイアのカフスボタンだ。

 裏厨房のランプの下でも、目が眩むような輝きを放っている。


「私の命の値段だ。ツケておくのは性に合わない」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! これ、国宝級じゃないですか!? スープ一杯の値段じゃないです!」

「釣りはいらない。……また来るための担保だと思ってくれ」


 彼は悪戯っぽく唇の端を上げた。

 その表情は、一瞬だけ年相応の青年のものに見えた。


「護衛が騒ぎ出す前に戻らねば。……ごちそうさま」

 

 彼は立ち去った。

 その足取りは、来たときとは別人のようにしっかりとしていた。

 

 扉が閉まる。

 私はテーブルに残された、とんでもない価値の宝石と、空っぽの皿を見つめた。

 綺麗に完食された皿は、洗うのが楽そうだ。


「……よし、私も食べよう」


 自分用に残しておいたスープを温め直す。

 一人の食事も悪くないけれど、誰かが美味しそうに食べているのを見るのも、悪くない。

 カフスボタンをどう保管するか頭を抱えながら、私は夜食を楽しんだ。


 翌日。

 王宮の一部で「氷の宰相ディルク様が、今朝は珍しく機嫌が良かったらしい」「しかも片方のカフスを失くしていたが、誰も指摘できなかった」という噂が流れたのを私は知らなかった。

 そして、その夜から、私の小さな部屋に「常連客」ができることも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ