第10話 幸福な朝食と、二人の契約
朝日が差し込むダイニングルーム。
私は湯気の立つポットをテーブルに運んだ。
「おはよう、メル」
新聞を読んでいた夫――ディルクが、顔を上げて微笑んだ。
数年が経ち、彼の銀髪には少し落ち着きが増したが、その美貌と鋭い知性は健在だ。
ただ一つ変わったのは、目の下の隈が完全に消え、健康的な肌艶をしていることだろう。
「おはようございます、あなた。……顔色は良好。睡眠時間は七時間確保。今日のコンディションも完璧ですね」
私は彼の顔を覗き込み、管理者としてのチェックを入れた。
「君の管理のおかげだよ。……独身時代の私が今の私を見たら、健康すぎて自分だと認識できないだろうな」
彼は苦笑しながら、カップにコーヒーを受け取った。
今日の朝食は、野菜たっぷりのオムレツと、焼きたてのライ麦パン。そして、あの出会いの日の思い出である『くず野菜のポトフ』だ。
「いただきます」
二人で手を合わせる。
ディルクはポトフを一口すすり、満足げに息を吐いた。
「……やはり、この味が一番落ち着く。どんな高級料理より、脳が活性化する気がするよ」
「ふふ、総料理長になったガルバンさんが聞いたら泣きますよ。『俺のフルコースより残り物スープがいいのか!』って」
「事実、コストパフォーマンスも栄養価も最高だからな」
私たちは顔を見合わせて笑った。
◇
あの「断罪の晩餐会」から、数年。
エストリア王国は大きく変わった。
ディルクの主導で行われた行財政改革。
そして、私が提案した「王宮職員健康管理プログラム(および胃袋掌握計画)」。
かつて「ブラック」の代名詞だった王宮は、今では定時退社が推奨され、栄養満点の食事が提供される「ホワイト」な職場へと生まれ変わった。
あの薄暗かった裏厨房は、明るく改装され、誰でも利用できる『王宮カフェテリア・メル』として賑わっている。
私の考案した「焼き飯おにぎり」や「具沢山弁当」は、今や王都のソウルフードとして定着していた。
「そういえば、北方の開拓村から手紙が届いていましたよ」
私はパンにバターを塗りながら言った。
差出人は、オスカー・エストリア(元王太子)だ。
「ほう? なんと?」
「読みますね。『……北の寒さは地獄だが、土仕事には慣れた。泥にまみれるのは相変わらず不快だが、自分たちで育てた芋の味だけは、認めてやらんこともない』だそうです」
「ふっ、相変わらず素直じゃないな」
「リリアン様も、『村の婦人会で、貴族流の刺繍やマナーを教えて感謝されていますのよ』と書いてあります。……ふふ、お二人とも逞しいですね」
廃嫡された二人は、平民として辺境へ送られた。
最初は泣き言ばかりだったそうだが、土に触れ、汗を流して働くうちに、憑き物が落ちたように変わっていったらしい。
皮肉なことに、今の彼らのほうが、王宮で虚勢を張っていた頃よりずっと人間らしく、幸せそうに見える。
「……彼らもまた、再生したということか」
ディルクは穏やかに頷いた。
「人間は、温かい食事と、自分に合った役割(仕事)があれば、何度でもやり直せる。……君が証明してみせたことだ」
彼は食器を置き、真剣な眼差しで私を見た。
「メル。食事が終わったら、バルコニーへ出てくれないか。……君に見せたいものがある」
◇
食後のコーヒーを持って、バルコニーへ出た。
眼下には、王都の美しい街並みが広がっている。
かつて市場調査で歩いた広場も、今は朝市で活気づいているのが見えた。
「見てごらん。王宮の正門横だ」
ディルクが指差した先。
そこに、真新しい看板を掲げた建物があった。
『王立余剰食材再配分センター 通称:メルの食堂』
「あれは……!」
「君がずっとやりたいと言っていた事業だ。今日、正式に予算認可が下りた」
彼は私の肩を抱き寄せ、その光景を見つめた。
「市場や王宮で余った食材を回収し、貧しい家庭や子供たちに加工して無償提供する。……君の『もったいない精神』を、国の福祉制度としてシステム化した」
「ディルク様……」
「慈善事業だけじゃないぞ。子供たちの栄養状態を改善すれば、将来の労働力確保にも繋がるし、犯罪率も下がる。……極めて合理的で、国益に適う事業だ」
彼はあくまで「合理的」だと言い張るけれど、その声が優しいことを私は知っている。
胸がいっぱいになった。
ただの地味な在庫管理係だった私が。
残り物でスープを作っていた私が。
まさか、国の仕組みを変えることになるなんて。
「ありがとう、ございます。……最高のプレゼントです」
「礼を言うのは私の方だ。君がいなければ、この国はとっくに破綻していたし、私は過労で死んでいただろう」
彼は私の左手を取り、その薬指に口づけをした。
そこには、あの日の銀の指輪が輝いている。
「君への愛は、私の人生において最も『費用対効果(ROI)』が高い投資だ。……これからも、私の人生を管理してくれないか?」
「もう、どこまで仕事人間なんですか」
私は涙を拭って、彼の胸に飛び込んだ。
そして、最高の笑顔で答えた。
「ええ、喜んで。……貴方がおじいちゃんになっても、その健康状態、私が完璧に管理し続けてみせますから」
「それは頼もしいな。……では、行こうか」
「はい?」
「新しいセンターの視察だ。君の現場指揮が必要だろう?」
彼は悪戯っぽく微笑み、私の手を引いて歩き出した。
爽やかな風が吹き抜け、私たちの背中を押す。
これからも色々なことがあるだろう。
国難も、忙しい日々も続くだろう。
でも、大丈夫。
温かいスープと、最強のパートナーがいれば、私たちはどんな「在庫の山」も綺麗に片付けていける。
私は愛する夫の手を握り返し、新たな「仕事場」へと踏み出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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