中途半端な呪い? では対抗するために極端な呪いを用意しましょうね……
「アリア。すまない。私との婚約を解消してもらえないだろうか?」
そんなことを言い出した第一王子イージスに対して、婚約者である公爵令嬢のアリアはわずかに首を傾げた。
「突然、どうなさったのでしょうか、イージス様?」
「……実は、呪いをかけられてしまったようなんだ」
心の底から苦々しいという表情でイージスはそう言った。
この国ではふたりの王子が王位を争っていて、まだ王太子が決まっていない状態だった。
王都の貴族たちは皆知っていた。
第一王子イージスと第二王子エイゼスは、能力、人望、実績、どれをとっても優劣をつけがたい、まさに互角のライバルだった。
二人とも優秀ではあったが、それぞれの陣営の力の差を決めているのは、彼らの隣に立つ女性の存在だった。
イージスの婚約者は、公爵令嬢アリア。
冷静沈着で明晰な頭脳を持ち、どんな難題も論理的に解決する才女だ。社交界での立ち居振る舞いは完璧で、王国の財政改革案においても卓越した洞察力を示し、早くも王妃としての器量を見せていた。
一方、エイゼスの婚約者ウルスラは、美しい容姿と温和な性格で人々に愛されていたが、政治的な手腕や実務能力においてはアリアに遠く及ばなかった。
『アリア・オカタイ公爵令嬢がいれば、イージス殿下の勝利は揺るがない』
これが貴族たちの共通認識だった。
そのバランスを崩したのが、この呪いだ。
「呪い……ですか?」
「そうだ」
「いったいどのような? 婚約を解消するほどの呪いなのですね?」
「二日で三日分の歳をとるという、呪い、だ」
「それはまた、何というか……」
ずいぶんと中途半端な呪いだとアリアは思ったものの、それを口にしなかった。
「……中途半端な呪いだろう?」
「ええ、その……申し上げにくいのですが……」
アリアが言わなかったことをイージスが口にした。これにはアリアも苦笑いで応えるしかなかった。
ふぅ、と軽く息を吐き出して、アリアは背筋を伸ばす。
「……ですが、婚約を解消するようなことにはならないのでは?」
「普通なら、な。だが、今は……その絶妙に微妙な呪いでさえ、わずかに天秤を傾けてしまう」
ぴくり、とアリアの眉が反応する。
天秤――それは王位継承争いの暗喩だ。
優劣つかないふたりの王子のうち、片方に呪いがかけられた。
大した影響はないものであっても……それは瑕疵とはなってしまうだろう。
「二日で三日分というと想像しにくいかもしれないが、二年で三年分の、二十年で三十年分の歳をとることになる。在位期間を考えると、どうしても、な……」
「それは理解できます。とはいえ、婚約の解消は納得できません」
「アリア……しかし、君ほど王妃にふさわしい令嬢は他にいないんだ」
「私、イージス様でなければ嫌でございますもの」
そう。
アリアはイージスのことが幼い頃から好きで、今ではすっかり愛していたのだ。未来の王妃としての努力は全て、イージスのためでしかなかった。
「そもそも、あちらにはウルスラ様がいらっしゃるではありませんか」
「……エイゼスはすでにウルスラとの婚約を破棄し、強引にアリアを自らの婚約者にしようと考えているようなんだ……」
「……あの方のそういうところが嫌なのでございます。ウルスラ様のお立場やお気持ちを考えることもなくそのような……」
アリアは扇で口元を隠した。不満がある時のアリアのクセだった。
イージスは静かに目を閉じ、そして開いた。視線の先には、愛するアリアの姿があった。
「アリア」
イージスは絞り出すように言った。
「私が王位を継ぐことはもうないだろう。これ以上、私と共に歩んでも、君の未来は閉ざされるだけだ」
彼は静かに、しかし明確に、彼女に告げた。
「婚約を解消してほしい」
「お断わり致します」
アリアは即答した。
「私は王妃になりたい訳ではございません。イージス様の妃になりたいのです」
「だが、この国は……」
「第一王子も守れず、呪いに晒すような国など……」
「それ以上はいけない、アリア……」
滅べばいい、と言いかけたアリアは口を閉じた。
宮廷にはすでにエイゼス派の歓喜と、それに続く策略の実行の音が響き始めていた。
イージスにかけられた呪いは、エイゼスにとって千載一遇の好機となったのだ。
イージスからの婚約解消の申し出は瞬時に宮廷中に広まった。
アリアはちゃんと断ったし、これからも受け入れるつもりはなかったけれど、婚約解消は間近だという噂が流れる。
それは当然、エイゼス派の仕業だった。
エイゼスは迅速に行動した。
彼はすぐに婚約者ウルスラとの婚約解消を求めた。
カタノーニ公爵家は反発したものの、ウルスラがオカタイ公爵家のアリアに劣ることは理解していた。その上で第一王子イージスの婚約者として、アリアと交代するという形を提案されたのだ。
カタノーニ公爵としては悪くない妥協点ではあった。
返事を保留したものの、そういう方向で決着はつくだろうとカタノーニ公爵は考えていた。
そしてエイゼスは、まだウルスラとの婚約解消も決まっていないというのに、オカタイ公爵家に対してアリアを自身の婚約者へと変更するようにとの要求を突きつけたのだ。
「第一王子イージスは、次期王にはふさわしくなくなった。公爵令嬢アリアを次期王となる私の新たな婚約者とするべきだ」
それは、アリアの優秀さを誰よりも求めていたエイゼスによる、露骨な横取りだった。
エイゼスは、アリアさえ手に入れれば、イージスという障害を排除した上で、完璧な王位継承者になれると確信していた。
「アリア……おまえはどうしたい? いや、聞くまでもないとは思うのだが、一応、な?」
「お父様……アリアの気持ちは決まっておりますわ」
「そうか」
アリアの父であるオカタイ公爵は、エイゼスの強硬な働きかけに気分を害していた。
だが、アリアが王妃となる機会でもある。
オカタイ公爵家としてはアリアが王兄妃でも王妃でもどちらでもよい。そのくらいの差で揺らぐような公爵家ではない。
アリアの母のキャンベルは隣国であるクーロン帝国の公爵家の出身で、帝国との関係もあってオカタイ公爵家の影響力はかなり大きく、強い。
「アリアのやりたいようにやりなさい。必要なら帝国も動かすわよ」
「そうだ。アリアの望むようにすればいい」
オカタイ公爵夫妻は父と母の顔でアリアにそう伝えた。
「ありがとうございます。お父様、お母様」
両親の愛を感じたアリアは心の底から微笑んだ。
「全ては陛下の前で。きっちりとお返事致しましょう」
背筋を伸ばしたアリアには何の迷いもなかった。
国王との謁見の場には宰相などの国の重鎮と、第一王子イージス、第二王子エイゼス、そしてオカタイ公爵家とカタノーニ公爵家がそろった。
すでに宮廷の空気は一変していた。
エイゼスの周りには権力の欲にまみれた匂いを嗅ぎつけた貴族たちが集まり、エイゼスは勝利の確信に満ちていた。
イージスは諦めていた。
アリアの気持ちは嬉しい。だが、それはこの国のためにはならない。王位を安定させるために、アリアとの婚約解消は仕方がないことだとイージスは考えていた。
愛するアリアがエイゼスのものになる未来。見たい訳がない。
二日で三日ではなく、一日で百年、老化すればいいと思ってしまうほどの心痛をイージスは耐えていた。
そんなイージスを見て、エイゼスは表情には出さないようにして嗤っていた。
おまえの愛する女も、王位も、全ては俺のものになるのだ、と……。
「オカタイ公爵よ、返答やいかに?」
国王の問いはその場にそぐわぬ短かさだった。
「第二王子エイゼス殿下との婚約は……」
オカタイ公爵はもったいぶってチラリとエイゼスを見た。
それから国王へと視線を戻す。
「……固辞致します」
「なっ!?」
驚きの声を上げたのはエイゼスだった。
「なぜだ!? おかしいだろう! オカタイ公爵! もうすでにカタノーニ公爵にも根回しは終わっているのだ! 何の問題もないのだぞ!?」
「理由は、アリアから直接、伝えさせたいと思います。陛下、アリアの発言をお許し頂きたい」
「うむ。許そう」
アリアは半歩前に踏み出し、まずイージスを見て微笑む。
エイゼスに視線を向けることはない。アリアはそのまま国王へと目線を上げた。
「申せ」
「はい。陛下」
アリアは一礼してから口を開く。
「私、この度、重い呪いをこの身に受けてしまいましたもので」
「呪い、とな……?」
「アリアが……」
「呪い、だと……」
国王だけでなく、イージスとエイゼスのふたりの王子までが目を見開いて驚いている。
驚いたイージス様も素敵だわ、とアリアはにこやかにイージスを見つめた。そのまま、続きを口にする。
「私が受けた呪いは『イージス様の子しか身ごもることができぬ呪い』でございます」
「なんだって!?」
「ア、アリア……それは……」
怒りの赤い表情となったエイゼスと恥ずかしそうな赤い表情となったイージス。
ふたりの王子の表情は対照的でありつつもよく似ていた。さすがは兄弟である。
「……ほう。そのような呪いを受けたとは……」
面白そうに笑う国王。
「ええ。ですから、王位をお求めである第二王子殿下との婚約など、とてもとても……最も大切なお役目を果たせませんもの。ああ、そうそう。もし、第二王子殿下の王妃として務めたとしても、閨事は全てイージス様と行うのであれば……」
「ふざけるな!? そんな呪いがあるはずが……」
「あら、第二王子殿下はずいぶんと呪いにお詳しいようですわね?」
その一言は極冷の冷やかさでエイゼスを刺した。
そこに込められた意味を理解できない者はこの場にいない。
アリアは第一王子イージスを呪ったのが第二王子エイゼスだと考えているのだ、と。
エイゼスはぐっと奥歯を強く噛みしめた。
下手なことは言えない。
「……オカタイ公爵家がクーロン帝国に伝手があることは陛下も……皆様もご存知のはずですわ」
「ふむ」
「クーロン帝国一の呪術師を招いて、間違いなくこの身にその呪いを受けましたの。私、イージス様しか愛せませんもの」
「貴様!? そんな呪いを自ら受けたというのか!?」
「ア、アリア……君って人は……本当に、もう……」
「イージス様、そんなにお顔を赤くなさいますと、アリアは恥ずかしゅうございます」
重鎮たちは思った。もうすでにずいぶんとあけすけなことばかり聞こえているんだが、と。
「ああ、そうそう」
ぱん、と手を打って、そこで初めてアリアはエイゼスへと視線を向けた。
「ウルスラさまの婚約が解消されると聞いて、帝国との伝手であちらの第三皇子殿下との縁を繋ぎましたの。ご安心下さい、第二王子殿下。帝国にも、カタノーニ公爵にも、既に根回しはしておりますわ」
おまえにはもう婚約者はいないからな、というアリアの心の声が謁見の間全体に大きく聞こえるかのようだった。
「そういうことですので、第二王子殿下にふさわしい新たな婚約者が見つかることを未来の義理の姉として心から願っておりますわ」
にっこりと最高の笑顔をアリアはエイゼスへと向けた。
当然だが、既に王妃に相応しい令嬢など国内にはいない。
諸外国から迎えるとなると……いつになることか……。
ふたりの王子には優劣はつけがたい。だから、その隣に立つ者が重要なのだ。
しかし、エイゼスの隣からは……誰もいなくなってしまった。
アリアは切り替えて冷徹な視線を国王へと向けた。
「……要らぬ話もしてしまいましたけれど、これが第二王子殿下との婚約を固辞する理由でございます」
そして、アリアは深く、深く、カーテシーを行う。
「……頭を上げよ」
国王は笑顔でそう言った。
「よく分かった。第二王子エイゼスとカタノーニ公爵令嬢ウルスラとの婚約は予定通りに解消とする。また、第一王子イージスとオカタイ公爵令嬢アリアとの婚約は今まで通り継続させよう」
ああ、流石は次期王妃に最も相応しいと言われる令嬢だと、重鎮たちは思った。
第二王子は怒りで顔をますます赤くしているというのに、その隣の第一王子だけをどこまでも愛らしい表情でまっすぐにアリアは見つめている。
器が違う。
その一言だった。
それは恋する女の勝利でもあった。
後に国王と王妃となったイージスとアリアの治世は他の王たちよりも少し短かったけれど、王国はそれまでよりも豊かになったと言われている。
第二王子エイゼスは第一王子イージスが王太子と定められた時、気晴らしのために遠乗りに出掛けて落馬し、その際に馬に蹴られて亡くなったと言われているが真相は定かではない。




