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第8話 トロール

 馬車の外、灰の谷と呼ばれるここの静寂が破られた。モルドレッドの「モンスターです」という声で、将太は勢いよく車外へ飛び出す。


 ──いや、何でだろう?


 何故自分がこんなにも意気揚々とモンスター退治に前向きなのだろうかと疑問に思った。豚も木に登るじゃないけれど、皆から勇者様と敬われていたせいで、自分が何とかしなきゃいけないと思ったのか?こんな設定ガバガバファンタジーの世界で?


 ──違う!そもそも馬車には女子供しかいねぇ!俺がやらなきゃダメだろ!?


 車外へ飛び出したは良いものの、将太の正面に立っていたのは2体のトロールだ。


 自分よりも一回りも二回りも大きく、巨大な死体袋が動いているようだった。灰緑色の皮膚は象の足のようにしわくちゃで、弾力性を帯びているように見える。しかしゆっくりと近づいてくるトロールを見てわかった。その皮膚は、硬く頑丈さが滲み出ていた。目は深く窪み、燃えるような琥珀色の輝きを放っている。愚鈍さの中にも狡猾な光が見てとれた。鼻は潰れ、口元からは涎がだらしなく垂れている。


 トロールは北欧に伝わる妖精のような存在だ。悪意に満ちた巨人としても登場する。トロールはノルウェー民話によくでてくる。主人公のアスケラッドがトロールを退治したり、知恵比べをしたりする物語が有名だ。この物語に出てくるトロールも巨大で醜い顔立ちで怪力だが知能が低いとされている。トールキンはこの物語を参考に『ホビットの冒険』を書いたとされている。また有名どころだとJ・K・ローリングの『ハリー・ポッター』にもトロールが出てくる。やはり巨体で怪力だが知能が低くく描写されている。因みに宮崎駿の『となりのトトロ』も山のトロールが元ネタだとか言われている。


 ──って!そんなこと説明している暇はねぇ!!


 このトロールは手に岩石の棍棒を握っている。それをこのトロールの怪力で振り払えば、一撃で樹木をへし折る威力がでそうだ。


 想像すると将太の心臓が締め付けられる。ゴブリンと初めて相対した時の記憶が蘇り、膝が震えた。


「こ、こんなの大したことねぇ!!」


 自分に言い聞かせながら恐怖を打ち消そうとする将太に馭者席から降りたモルドレッドが剣を構え、言った。


「トロールです!非常に力が強く、一撃が致命傷となります!どうかお気をつけて」


 その言葉が終わるや、1体のトロールが低く唸り、将太へ向かって巨体を揺らしながらやって来た。棍棒が唸りを上げ、将太の脳天を狙う。将太は咄嗟に脇へ飛び、地面に転がった。棍棒が地面を叩き、土と小石が飛び散る。


 先程まで楽しんでいた森の美しい景色──苔むした樫の木、朝霧の川、恵みをもたらす大地──が、今は敵となって将太を傷付ける。転がった地面の小枝が腕を擦り、地面の岩盤に膝を打つ。美しい自然は、擦り傷と痛みを与える刃に変わった。将太は息を荒げ、恐怖で頭が真っ白になる。


「なんでだよ!?なんで画面が出ねぇ!?」


 スキルが使えない。心臓がバクバクと内側から叩いてくる。


 その瞬間、過去の記憶がフラッシュバックした。


◆ ◆ ◆


 小学生の将太は、校庭の隅で震えていた。自分より背の高い虐めっ子2人が正面に立ち、行く手を阻む。


「逃げんなよ、弱虫!」


 笑い声が耳を刺す。将太は虐めっ子の股下を通り抜けて逃げる。校舎を駆け抜け、階段を一段飛ばしで駆け上がり、図書室に滑り込む。埃っぽい本棚の陰に身を潜め、息を殺した。廊下を覗き、追っ手がいないことを確認してホッと息をつく。


 ふと、背表紙に置いた手が気になった。


『ホビットの冒険』J.R.R.トールキン。


 将太は何となくその本を借りて帰ることにした。公園のベンチ、布団の中で懐中電灯を点け、将太はその小説を読み耽る。将太と同じく背が小さく、足が頑丈で靴入らずのホビット、ビルボの行きて帰りし物語に心を奪われた。


 読み終えた後、虐めっ子達が将太をまた囲む。


「今日も逃げんのかぁ?でも逃げたとしてもお前、父ちゃんに殴られるもんな?意味ねぇってわかんねぇのか?バ~カ」


 だが、将太の目には彼らが小さく見えた。将太は拳を握り、立ち向かう。


「うるせぇ!!」


 結果、ボコボコにされた。鼻血を流し、地面に倒れる。だが、将太は笑った。


「勝った……」


 惨めな自分に勝った瞬間だった。それ以来、何故だか虐めは消えた。


◆ ◆ ◆


 目の前にトロールが2体。トールキンの『ホビットの冒険』ならまだ序盤だ。後に書かれた『指輪物語』にもトロールが出てくるが、より凶悪に描かれている。追補編にもなるとトロールの上位種(オログ=ハイ)なんかにも言及されていたりする。将太は子供の頃にいじめっ子に立ち向かい、惨めな自分から解放された経験があった。その経験があるから今まで生きてこれた。社会人となり、一流企業にも勤めていた。


 あの時、虐めっ子達に立ち向かえたのはファンタジー小説のおかげだ。自分もホビットやドワーフのようにと夢を見た。そして今、本当に彼らと同じような境遇にいる。


 将太は覚悟を決める。トロールは攻撃を躱した将太に再び狙いを定めて、近付いてくる。恐怖を振り切り、落ち着きを取り戻した将太の視界に半透明の画面が浮かぶ。


『空気』


 意識を集中すると、


『消去して、創造しますか?』


 だが、ここでトロールが重たそうな足取りを一瞬軽やかなダンスを踊るように前へ2、3歩動かした。将太との距離を一気に詰めると、握り締めた棍棒が風を切り、もう一度将太の脳天を狙う。


 モルドレッドはもう1体のトロールに剣を振るい、援護ができない。ヴォルンドの叫びが遠く響く。


「勇者様ぁ!!」


 将太は画面に神経を集中させ、『はい』と念じる。画面が切り替わり、


『創造してね』


 という文字が浮かんだ。心臓が早鐘を打つ。将太は叫んだ。


「…空気!空気よ凍てつけ!」


 頭に熱が集まり、額に汗が滲む。


 トロールの棍棒が将太の頭頂部に迫るその瞬間、画面に文字が浮かんだ。


『氷嵐の吐息が、虚空を刺す。凍てつく刃は獣の咆哮を封じ、永遠の静寂に閉ざす』


 空気が一瞬で冷え、森の湿気が白い霧に変わる。トロールの棍棒が将太の髪をかすめる刹那、巨体が青白い氷に包まれた。琥珀色の目が驚愕に凍り、涎が氷柱となり、その口が開いたまま固まる。棍棒はトロールの手とくっつき、霜で覆われた。氷の結晶が陽光によってダイヤモンドの如く輝き、まるで彫刻のような静寂が森を支配する。


 将太は膝をつき、息を切らす。恐怖とスキルの負荷で全身が震えた。吐く息が白く、冷気が肺を刺す。だが、唇に氷の微笑が浮かんでいた。


「やった…やってやったぞ!俺の勝ちだ!!」


 モルドレッドがもう1体のトロールを斬り倒し、将太の方へ振り返る。


「な、なんたることか……」


 その呟きが、凍てついた森に響いた。

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