第7話 緑色の光
早朝、将太は軽い二日酔いで目を覚ました。頭がズキズキし、口の中が砂のように乾いている。村の簡素な小屋の外では、鳥のさえずりと朝霧の冷気が漂う。目をこすりながら外に出ると、ヴォルンドとその両親が家の前で話しているのが窺えた。母親は涙ぐみ、父親は息子の肩を叩いて励ます。
「お前なら大丈夫だ。村の誇りだぞ」
ヴォルンドは小さく頷き、そばかすだらけの顔を無理やり笑顔にする。
将太は胸がチクリとした。昨夜の軽い気持ちで「コイツを連れてく」と言ったことが、こんな別れを引き起こした。罪悪感と同時に、なぜだか苛立ちが湧く。
「なんでこんな家族、俺には……」
その瞬間、記憶が蘇る。
◆ ◆ ◆
薄暗い部屋で膝を抱えていた。父親の怒号が響き、母親が叫ぶように許しを乞う。
「やめて!お願い!」
将太は耳を塞ぐが、人間を追い詰める足音、人間を叩く音、人間が床に叩きつけられる音、様々な不快な音が振動となって身体に侵入してくる。
父親の拳が将太にも飛ぶ。意味などない。たまたま将太がそこにいたからだ。
「お前なんか生まれてこなけりゃよかった!」
顔が熱くなり、涙が溢れる。母親は泣き崩れ、将太が寄り添っても無視をされる。本当は、将太が寄り添ってほしかったのに。自分の悲しみを理解してほしかっただけなのに。
殴られた衝撃で、視界の端から閃光が走り抜け、次の瞬間、世界は深い緑色の残像に染まった。それは、網膜に焼き付いた蛍光塗料のようで、何を見てもその上に緑の膜が重なる。歪んだ緑色の光が視界を支配し、目の前の現実が曖昧になっていく。
将太はその深い緑色を手で掴むようにして、空虚を握った。
◆ ◆ ◆
将太はヴォルンドの両親を見つめる。父親が息子を抱きしめ、母親がハンカチで目を拭う。苛立ちが再び湧く。
理想の家族の在り方を見せつけられた。いや、将太は押し付けられたと感じた。
村人然としたヴォルンドの笑顔が、何故だか胸に刺さる。そしてそんなヴォルンドを連れて将太達は馬車に乗り込み、村を出発した。
森は朝霧に包まれ、苔むした樫の木々が湿った空気を放っていた。針葉樹の間を縫う風は、松脂と土の匂いを運ぶ。川は馬車の脇を流れ、透明な水面に朝日がキラキラと反射し、岩にぶつかって白い泡を立てる。空は淡い青に染まり、雲が薄絹のように漂う。遠くの山々は紫がかった影をまとい、頂の残雪が光って見えた。森の奥から鹿が一瞬顔を出し、馬の蹄音と凸凹の道を走る車輪の音に驚いて、どこかへ走り去った。
村を出た将太達の目的地はここ灰の谷を抜けて、一先ずロリス砦へと向かう。そこで休憩をした後、王都を目指すとのことだ。
移り変わる景色に見とれていた将太は馬車の中に顔を戻す。将太は車内のメンバーを眺めた。
王女アイリーンはいびきをかき、付き人の膝枕で寝ている。鼻ちょうちんが揺れていた。付き人は静かに本を読み、モルドレッドは馭者として手綱を握る。ヴォルンドは元気がない。昨夜の鶏肉を頬張る笑顔は消え、窓の外、後方を見つめて自然と村を名残惜しむようだった。会話はない。
ふと、昨日のスキル『創造』を思い出す。あの時、炎を鎮めた雨。あれはおそらく将太がこのスキル『創造』を使ったから起きた出来事だ。
将太は外の川に目を凝らし、意識を集中する。しかし、あの半透明の画面は現れない。
──チッ、気まぐれかよ……
諦めて馬車内に視線を戻す。何気なく視線を天井に移すと、そこに画面が浮かんでいるのを発見した。
『ゴダート王国、王族専用馬車』
文字に触れようと手を伸ばすが、その動作をする前、触れたいと思ったその時だ、画面が拡大し、馬車の説明文の下に新たな文字が現れた。
『消去して、創造しますか?』
将太は一瞬、息をのむ。仕事で使ったパソコンで、誤って『全消去』を押した時の恐怖が蘇る。
──消去って…馬車ごと消すってことか?
恐くなり、慌てて天井から目をそらした。今度は目をそらした先に半透明の画面。
『空気』
と刻まれている。意識を集中すると、また現れた。
『消去して、創造しますか?』
唾を飲み込み『はい』と念じかけた次の瞬間、ヴォルンドが将太の顔を覗き込む。
「さっきから何してるんですかぁ!?」
将太は飛び上がる。
「びっくりさせんなよ!なんだよ急に!?」
「なんか勇者様、様子がおかしくて気になっちゃいました」
ヴォルンドは笑う。
「う、うるせぇ!てか、お前さっきまで落ち込んでたんじゃねぇのか!?なんでそんなにテンションたけぇんだよ!?」
「テンション?まぁ、両親と別れるのは寂しいですけど、いつまでもウジウジしてられないっていうか…それより、勇者様達と旅に出られてワクワクしてるんです!」
ヴォルンドは目を輝かせる。
「昨日の、あの勇者様の魔法、凄かったなぁ~」
「魔法?」
「え?あの雨を降らせたのって魔法じゃないんですか?」
将太は眉をひそめる。
「いや、そうじゃなくて…魔法って、この世界にあるのか?」
「え?あるんじゃないんですか?僕、見たことないですけど……」
その時、王女のイエスマン──じゃなくて付き人が、膝に王女の頭を乗せたまま口を開く。ソプラノの歌うような声だった。
「魔法なら、ありますよ」
将太は驚く。
「あるの!?え~っと…」
名前がわからない。
まごついた将太に付き人は微笑む。
「私はリラゼルと申します」
将太は内心絶叫した
──はっ!?リラゼル?ダンセイニの『エルフランドの王女』の!?なんでモブキャラにそんな名前ついてんだよ!?
オホンと咳払いし、仕切り直すように問うた。
「どんな魔法があるんだ?」
リラゼルは静かに説明する。
「人々には魔力があり、訓練すれば魔法を顕現できます。炎を呼び、風を操り、傷を癒すことができます。しかし、1人に対して1つの属性魔法しか使えません。たまに2つや3つの属性を操れる者もおります。また、魔力を使い切ればしばらく使えませんが、休息で回復致しますね」
将太は心の中でつっこむ。
──はぁ!?要はMP消費で魔法使うってことだろ!?ゲームじゃん!!
本格ファンタジーなら、魔法は精霊や言霊の力を、借りて唱えられ、代償や強い縛りがあるのが基本だ。トールキンの『指輪物語』やル=グウィンの『ゲド戦記』も似たような縛りや代償がある。後は、魔法の力を宿した武器や道具、装飾品なども鉄板だが、それらを使用した者達やその界隈では、何か良からぬことが起きたりする。ゲーテの『魔法使いの弟子』が寓話としてしばしば用いられることも有名だ。
まあ、何にしても魔法とはそうポンポン唱えられるものじゃない。
──ゲーム世界を模すから、こんなチープな魔法設定になるんだよなぁ……
リラゼルの説明が終わった瞬間、馬車が急停止した。王女の鼻ちょうちんがパチリと割れる。するとモルドレッドが馭者席より落ち着いた声で言った。
「モンスターです」
将太はさっきの『空気』の画面を思い出し、試したいことが閃く。そして勢い良く馬車の外へと飛び出した。