第10話 なろう系主人公になろう
カンカンカンと鐘の音が、ロリス砦の空を切り裂いた。まるで運命を急かすような、冷たく鋭い響きだ。噴水広場は一瞬にして混乱の坩堝と化す。色とりどりの屋台が倒れ、吟遊詩人の竪琴は悲鳴に掻き消される。先程まで楽しげだった子供達の笑顔は恐怖に歪んだ。舞台上では『光の勇者』を演じていた俳優──ヒカル役の男が、異様な姿で咆哮を上げる。黄色く光る目、獣のように大きな口を開け、そこから唾液が滴り落ちる。観客が逃げ惑う中、将太は舞台へと駆け上がった。
「くそっ、なんで俺がこんなこと……!」
毒づきながらも、将太はヒカル役の男を睨む。すると、視界に半透明の画面が浮かんだ。
『名前:ジェイク・ミンスター』
さらに近づくと、画面が広がり、詳細が現れる。
『Lv.12 職業:俳優 HP:120 MP:50 状態:混乱(ゴブリン化)』
「混乱状態だと?」
将太がその文字を凝視すると、新たな文字が輝いた。
『消去しますか?』
その時、舞台脇の役者たちが将太に向かって叫ぶ。
「危ねぇぞ!?下がれ!」
しかし将太は無視した。ジェイクの爪が空を切り、黄色い目が殺意を放つ。そして混乱状態のジェイクは将太に向かって走り出した。だが、将太は冷静に、力強く念じた。
『はい』
刹那、ジェイクの身体が糸の切れた人形のように力尽き、舞台の木板に崩れ落ちる。頭から倒れそうになる瞬間、将太は走って腕を差し出し、受け止めた。汗にまみれた俳優の顔は、混乱の痕跡を消し、ただ青ざめていた。将太はヒカル役ことジェイクをそっと横にし、息を整える。
ジェイクが大人しくなったのを見てその俳優仲間達が近付いてきた。
ジェイクが目をうっすら開く。
「大丈夫か?」
「もう、平気か?」
と、ジェイクを心配する役者仲間達。すると当のジェイクが将太に薄目を合わせて、微かな声で尋ねる。
「あ、あなたは……?」
その時、いつの間にか隣にいたヴォルンドが、目をキラキラさせて言った。
「勇者様ですよ!」
「は!?」
将太がヴォルンドを睨むが、少年の笑顔は無垢そのものだ。舞台脇の役者達がざわざわと囁き始める。
「勇者様?」
「本物かよ!?」
「え!?あの伝説の勇者様!?」
騒ぎは広場まで広がり、群衆の好奇な目が将太を刺す。奇しくも将太は舞台上にいるのだから、目立って仕方がない。将太は舌打ちし、ヴォルンドに囁く。
「ばらすんじゃねぇよ!」
文句を言うがもう遅い。甲冑の擦れる音と共に、ロリス砦の衛兵達が広場に駆けつけた。
「勇者様とお見受け致します」
髭面の衛兵が将太に頭を下げる。将太は無言を貫いた。
「勇者様、砦が危機です!ゴブリンの大群が迫っております。どうかお力添えを!」
将太は一瞬、躊躇した。テンプレじみた『勇者』扱いは、トールキンの荘厳な英雄とは程遠い。だがヴォルンドが拳を握り、将太に言った。
「やりましょう、勇者様!」
すると群衆が沸き、役者や衛兵達が期待の声を上げる。
「勇者様なら勝てる!」
「伝説が見れるぞ!」
「この話、芝居にしようぜ!」
将太は観念したように呟く。
「…ったく、しょうがねぇな……」
将太は渋々頷き、衛兵に作戦室へと案内された。
ロリス砦の通りは、混乱の爪痕を刻んでいた。石畳はひび割れた果物の汁や倒れた屋台の布で汚れ、白亜の壁には慌てて移動した荷車をぶつけたのか粉々になった木片が付着していた。スパイスと花の香りは、焦りと不安の匂いに押しつぶされ、笑い声は遠い悲鳴に変わっていた。
衛兵が先導し、狭い階段を登る。砦の中心、鉄と石で強化された塔へと続く道だ。階段の壁には、ロリス砦の歴史を刻むレリーフが並ぶ。剣を掲げる勇者と思われる男、竪琴を奏でる詩人、星空を見上げる王女。だが、レリーフに刻まれた人物達の目はどこか虚ろで、将太の胸に冷たい影を落とす。
「こんな派手な砦で、チート使って英雄気取りか……」
将太は自分の行く末を嘆く。自分が最も卑下していたなろう系の主人公に今からなろうとしているのだ。じゃあチートを使わなきゃ良いと言われても、自分がいざこの砦を、この世界を救える存在だと認識されてしまえば、使わざるを得ない。それがここでの将太の役割なのだから。
将太の好きな本格ファンタジー小説でも英雄と呼ばれる存在は無数に登場していた。彼等もまた大衆に期待の目で見られていただろう。しかし英雄達はその期待に応えられるかどうか間違いなく不安であっただろうし、強大な敵、謎の存在、不安ひしめく渦の中で、全身全霊をかけて立ち向かう。だが将太は女神からもらったチート能力を使って、あっという間に蹴散らせる。
──これのどこに胸をときめかせる要素があんだよ?
将太は隣のヴォルンドを見やる。少年は階段を一段飛ばしで登り「勇者様、早く!」と言いながら振り返った。その真剣で無垢な瞳に、将太はテンプレ展開やなろう系ファンタジー等と考えるのを止めた。
「ああ、直ぐ行く」
その時初めて、ヴォルンドのステータスが表示された。
『名前:ヴォルンド Lv.4 職業:勇者の付き人 HP:70 MP:15 』
よっわ!しかし、将太は思った。
──俺が初めてコイツをまともに見たってことか……
塔の頂にたどり着くと、鉄の扉が軋みながら開いた。作戦室は、円形の石造りの部屋だ。中央には巨大なオーク材の円卓が置かれ、羊皮紙の地図や木製の駒が散らばる。壁にはロリス砦の紋章──金の太陽と銀の星が刻まれたタペストリーが揺れる。天井はアーチ状に高く、色ガラスの天窓から陽光が差し込み、床に虹色の光を投げる。だが、部屋の空気は重く、不安と緊張が漂っていた。
円卓の向こうに、王女アイリーンと付き人リラゼルがおり、その隣に2人の男が立っている。
「ロリス砦の領主、ガルシア・ソルディスだ」
ガルシアは五十代半ばの壮年だ。銀髪はかつての金髪の輝きを留め、額の深い皺が戦いの歴史を物語る。青い目は凍てついた湖のように鋭いが、どこか疲弊した光を宿す。高い鼻と引き締まった口元は貴族の威厳を漂わせ、赤と金のローブが地位を誇示する。だが、指に嵌めた金の指輪が、わずかに震えているのが将太の目に留まった。
「軍事司令官のバルド・クレメンスです」
バルドは三十代後半の武骨な男だった。短く刈った黒髪と日に焼けた顔は戦士のそれである。右目の下の傷跡が、かつての戦を物語る。灰色の目は嵐の前の海のように揺らぎ、口髭は無骨に整えられている。革と鉄の軽鎧をまとい、自らも戦う意志が溢れている。声は低く、落ち着きながらも切迫した響きを帯びていた。
将太は円卓の前に立ち、名乗る。
「芹澤将太です。一応、勇者…らしいです。で、コイツが付き人のサム」
「ヴォルンドですってば!」
ヴォルンドがムッとして叫び、簡単な自己紹介を終えた。バルドが小さく頷く。
その時、扉が開き、モルドレッドが入ってきた。彼の鋭い目が将太とヴォルンドを捉え、わずかに安堵の色を浮かべる。
「お二人ともご無事で何よりです……」
領主であるガルシアが言った。
「失礼、我々の衛兵と入れ違いになってしまわれたようだな」
どうやらモルドレッドは将太とヴォルンドを呼びに街に行っていたようだ。
「問題ありません」
モルドレッドの落ち着いた声に、ガルシアが頷き、緊張がわずかに緩んだ。
役者が揃い、作戦会議が始まる。軍事司令官のバルドが円卓の地図を指し、説明を始める。
「敵の軍勢、凡そ1万のゴブリンが砦に迫っています。率いているのはホブゴブリンです」
将太は心の中で呟く。
──ホブゴブリン?トールキンでいうとウルク=ハイか……
ホブゴブリンはゴブリンの上位種として多くの者に認識されている。しかし、伝統的なホブゴブリンはゴブリンよりも小さく、悪戯好きな、家に住まう妖精であるとされている。
バルドが続けた。
「作戦は籠城戦です。砦の壁と弓矢で敵を足止めし、勇者様の魔法で一網打尽に──」
「は!?俺頼りかよ!?」
将太は思わず声を上げる。
──俺がいなかったらどうすんだ!?こんな作戦、本格ファンタジーじゃありえねぇぞ!?
領主のガルシアが穏やかに言う。
「勇者様の力は伝説です。ロリス砦の民は、あなた様の力を信じております」
王女アイリーンは言った。
「問題ありませんわ。もし勇者様に何かあれば私の愛の力で限界を越え……リラゼルが回復させますわ」
将太はいつものように心の中でツッコんだ。
──お前の愛の力はどこいったんだよ!?
リラゼルが言った。
「殿下?そこは殿下の力で好感度MAXパワーを発揮させるってことにしませんか?」
「それ!良い考えね!!頂きだわ!」
アイリーンはコホンと咳をしてから言い直す。
「問題ありませんわ。もし勇者様に何かあれば私の愛の力で、勇者様の好感度MAXパワーを引き出させますわ。これで破滅エンド回避ですわ」
将太は思った。
──もう、時間返せよ……
ヴォルンドが拳を握って言った。
「勇者様ならやれますよ!」
モルドレッドは黙って地図を見つめ、軍事司令官のバルドが「準備を急ぎます」と席を立つ。
将太は内心で毒づく。
──こんなんで勝てるのかよ…でも今まで勇者が何とかしてきた世界なんだよな?だとしたらコイツらの期待はしょうがないのかも……
将太、ヴォルンド、モルドレッド、アイリーン、リラゼルはロリス砦の外壁へと急ぐ。壁の高さは7mはある、頂には弓兵が並び、鉄の弩砲が設置され、いつでも放てるよう構えられていた。だが、壁の向こう、平地の彼方から響く地響きに、兵達の顔が強張る。
将太は壁の上へと続く階段を登り、ヴォルンドが後を追う。モルドレッドは下で兵達を鼓舞し、リラゼルはアイリーンをおぶりながら階段を登った。将太は壁の頂に立ち、平地を見下ろす。霧が薄く立ち込め、ゴブリン達の行軍する足音が空気を乱す。
1万の影が、まるで蟻の群れのように平地を埋め尽くす。灰緑色の皮膚が陽光に蠢き、錆びた剣や槍が乱雑に揺れている。だが、その中心に、ホブゴブリンが立つ。ゴブリンより一回り大きく、筋肉質な身体は鉄の鎧に覆われ、目は燃えるような赤だ。手には戦斧を握っている。ホブゴブリンが咆哮し、ゴブリンの軍勢が一斉に雄叫びを上げた。
将太は1万の軍勢に息を飲む。
ヴォルンドが隣で言った。
「ゆ、勇者様…いけますよね!?」
兵達も将太を見つめ、期待と恐怖の目が突き刺さる。ヴォルンドの手前、何故だか格好をつけなければならないと思った将太は大見得を切った。
「当然だ!」
将太は息を吞み、大地を見つめ半透明の画面を呼び出す。
『大地』
『消去して、創造しますか?』
軍事司令官のバルドの声が響く。
「勇者様、ご準備を!!」
モルドレッドが下で兵を整え、ホブゴブリンが戦斧を掲げる。ゴブリンの軍勢が砦へと殺到した。
将太はいつでも創造できるように準備をした。こんな俺頼りの単純な戦い、嫌いだけど…やるしかねえ!
作戦が今、始まる。




