【怖い話】ノック
ホラーです。
連載作品の冒頭に書いていた「よくある怖い話」をアレンジしたものです。
ヒタ…… ヒタ…… ヒタ……
(まただ……今夜も、あの足音が聞こえる……)
ヒタ…… ヒタ…… ヒタ……
僕のアパートの前で、足音がぴたりと止まった。
コン、コン、コン。
ドアを叩く音が静かに響く。
僕は布団を頭までかぶり、震えながら息を殺した。
「いないの……いないの……」
女性の、か細い声がする。
それは扉のすぐ向こう、僕の名を知っているかのように、親密で、哀れで──ぞっとするほど冷たい声だった。
(う、うそだろ……毎晩毎晩……)
「いない……本当に……いないの……?」
ドン、ドン、ドン、ドン!
突然、扉を激しく叩く音に変わった。
そして、ドアノブがガチャガチャと乱暴に揺さぶられる。
(やばい……今日は、違う……)
恐怖が限界を超え、僕は思わず布団から飛び出した。
その瞬間、音が、止んだ。
(……行ったのか……?)
恐る恐るドアに近づき、ドアスコープを覗いた。
……真っ暗だった。
街灯の明かりが差し込むはずのそこに、闇が溢れていた。いや、「闇」ではない。「黒」だった。
(まさか……これ……瞳孔……?)
そう気づいた瞬間、黒が動いた。
ドン、ドン、ドン、ドン!!
再び、激しい衝撃音が襲いかかる。
ドアに体を寄せていた僕には、振動が直接伝わってくる。
目を逸らせない。逸らしたら、何かが入ってくる気がして──。
血まみれの女が、髪を振り乱してドアを叩いていた。
鬼の形相。血走った目が、まっすぐこちらを見ていた。
(……やばい、やばい、やばい!)
恐怖が限界を超えたとき──
「なんだ……いるじゃない……」
男とも女ともつかぬ、地の底から響くような声。
その瞬間、意識が途切れた。
目を覚ますと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
……夢、じゃなかった。あれは、確かにいた。
全身が汗で濡れ、身体は鉛のように重い。
それでも僕は、ドアの方へと這うように近づいた。
ドアスコープを見るのが怖かった。
けれど、それ以上に──まだそこに何かがいる気配のほうが、怖かった。
勇気を振り絞って、ドアスコープを覗く。
……廊下には、誰もいなかった。
(……消えた? 本当に?)
安心した、その瞬間。
カラン……
足元で、何かが落ちた音がした。
ドアの隙間から、一通の封筒が差し込まれていた。
黄ばんだ紙。赤黒く滲んだ文字が、不気味に歪んでいる。
『あなたにだけ、見える』
指が震える中、封筒を開いた。
中には、一枚の古びた写真──集合写真だった。
その中央の女だけが、目の部分を焼き潰されたように黒く塗りつぶされていた。
……昨夜の「それ」だ。
次の瞬間、もう一枚、小さな紙片がひらりと舞い落ちる。
手書きの文字。
『つぎは、あけてね。
さもないと、ずっと、ノックするから』
心臓が、凍りついた。
そして──
コン、コン、コン……
また、ノックが始まった。
もう逃げられない。僕は、静かに立ち上がり、鍵に手をかけた。
カチリ。
ドアを開けると、誰もいなかった。
薄暗い廊下。静まり返った空気。
ただ、足元に一枚の写真が落ちていた。
拾い上げると、それは集合写真。中央の女性の顔だけが、焼け焦げていた。
見覚えがある。あの、血まみれの女だ。
ふと、背後に気配を感じて振り返る。
……そこには、いつもの自分の部屋がなかった。
見慣れたアパートの内装が、いつのまにか古びた木造家屋に変わっていた。
壁には黒カビが這い、床は抜けかけている。天井には、縄のようなものがぶら下がっていた。
僕は、違う場所にいる……
いや、違う時間なのかもしれない。
一歩後ずさると、床板がギシリと鳴った。
その音と同時に、室内の鏡を覗いた……
いや、覗いてしまった……。
鏡の中には、女がいた。
長い髪、焼けた目、血の気のない唇。
彼女は、鏡越しに微笑み、口を開いた。
「やっと、見てくれたね」
僕の視界が、真っ赤に染まった。
後日。
アパートの一室で、変死体が見つかった。
住人の青年は、部屋で立ったまま絶命していた。外傷はなかったが、目の周りだけが黒く焼け焦げていた。
部屋には古びた封筒が残されており、こう書かれていた。
「あなたにだけ、見える」
その部屋は、数年前に「自殺があった」として、しばらく空き室になっていたという。
けれど、誰が彼に「貸した」のかは、いまだにわかっていない。
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