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湯気のむこう、香る記憶

畳の上に差し込む朝の光は、すこし緑がかっていた。

和室に漂うのは、ほんのりと甘い香りと、静かな音。

しゃか、しゃか、しゃか。

細く立ちのぼる湯気の向こうで、彼女が茶筅をふるっている。


「抹茶って、見てるだけで落ち着くね」


「飲んでも落ち着くのよ、ダーリン。体も、心も」


その一言に、俺は目を細めた。彼女が静かに抹茶をたてる姿を見ていると、日常がどこか特別なものに思える。いつもならすぐに笑い飛ばしてしまうような日々が、今日は静かな美しさに包まれている。


「抹茶って、昔は苦手だったんだけどね。なんでこんなに美味しく感じるんだろう」


彼女は茶碗に手を添えながら、ゆっくりと答えた。


「子どもの頃は、苦味が身体に合わなかったからじゃないかしら。でも大人になると、逆にその苦味が落ち着くようになるのよ」


「なるほど……でも、なんで苦味が心地よく感じるようになったんだろう?」


「それはね、お茶には身体を温める成分があるから。特に抹茶にはカテキンが豊富で、体温を上げる手助けをしてくれるの。昔の人々は、これで体調を整えていたのよ」


差し出された湯呑みを受け取り、彼はそっと口をつける。

苦味が舌に触れ、すぐあとからじんわりとした甘みが広がった。


「……うまい。苦いのに、なんかほっとするね」

「でしょ。茶葉にはね、リラックス効果のあるテアニンが含まれているのよ」

「テアニン?」

「はい。テアニンはお茶の葉に含まれるアミノ酸の一種で、心を落ち着け、リラックスさせる効果があるの。緊張を和らげてくれるから、心が穏やかになるのよ」

「へえ、そうなんだ。それで、こんなに落ち着く感じがするんだ」


「そうなの。お茶の魅力は、身体を温めるだけでなく、心にも良い影響を与えてくれるところなのよ」


「じゃあ、お茶って身体にいいんだ」


「そうとも限らないけれど。ほら、紅茶、緑茶、烏龍茶、全部、実は同じ茶の葉からできているのよ」

「え、嘘でしょ? だって味全然違うよ」

「お茶の木自体は同じだけど、作り方で全然違うものができるの。緑茶は発酵を抑えて、葉のまま乾燥させる。紅茶は完全に発酵させることで、深い味わいになる。烏龍茶はその中間で、発酵の度合いが調整される。こうやって、それぞれに特徴を持たせることができたのよ」

「なるほど……じゃあ麦茶は?」

「麦茶はまた別物。あれは麦を炒って作るから、ノンカフェインで飲みやすいのよ」

「そうだったのか……子どもの頃、夏はずっと麦茶飲んでたなぁ」


「夏にはぴったりよね。でも、そんな風に人それぞれに好みがあるから面白いのよ」


俺はその言葉を胸に、ゆっくりと抹茶をすすった。苦味が口の中で広がり、何もかもがひとしずくずつ落ち着いていくような感じがした。


「でも、なんでみんなお茶を飲むようになったんだろう?」


「昔はね、そもそも人間はお茶を薬として飲んでいたの。水が汚れていたから、煮出して飲む必要があったのよ。香りづけの葉を入れたのが、はじまりとも言われているわ」


「なるほど……じゃあ最初は、生き延びるための味だったのか」


「最初は、飲み水として使うのが目的だったんでしょうね。そして、だんだんとその“特別さ”が広まったのよ。お茶には身体を癒す力がある、って気づいたんだろうわ」


「その“特別さ”が今でも続いているんだな。たしかに、俺も飲んでると落ち着くもんな」


「それは、体が覚えているからよ。お茶はただの飲み物じゃなくて、体に何かを与えてくれるものだから」


俺はしばらく黙って、その言葉を噛みしめた。


「……なんか、カッコいいな」


「ええ。でもね」


ふっと湯気を見つめながら、彼女はゆっくり言葉を落とした。


「今こうして飲むお茶は、生き延びるためじゃなくて、あなたと一緒にいるためにあるのよ、ダーリン」


彼は湯呑みを見つめ、ひと息ついて微笑んだ。

畳の上に広がる静寂が、ふたりの距離を、ほんのすこし縮めた気がした。



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