壊れる前に、優しさを
陽射しの冷たさが残る午後、風に混じって子どもたちの笑い声が遠くから届く。
その音を背に、二人は公園のベンチに腰を下ろしていた。
彼の手には、キンと冷えた缶コーヒー。自販機の前で「なんとなく」選んだそれは、思いのほか指先を刺す温度だった。
「うーん……冷たい」
「……それ、さっき『冷たいのが一番』って言ってたダーリンのセリフだったと思うけど」
彼女は隣で、ほんの少し眉を上げながら、自分の缶を傾ける。温かい紅茶だった。
「いやほら、マイハニー、あれは気分の話だよ。選んだ時点では冷たいのが正解だった」
「なるほど。決断の正当化ね。人間って、思い込みの動物だもの」
そう言いながらも、彼女の声はとても静かで柔らかかった。茶色く擦れたベンチの隙間から、どこか土の匂いが漂ってくる。
ふと、彼女の視線が向いた先には、色褪せた遊具たちが並んでいた。
「……あのうんてい、まだあるのね」
「うんてい? ああ、あれか。懐かしいな」
「子どもの頃、あれを一段ずつ進むのが誇りだったのよ。落ちたら悔しくて泣いて、でも翌日にはまたぶら下がってた」
「そう言えば、うんていって筋トレにも使えるよね? ぶら下がるだけでも、腕がプルプルするもん」
「その通り。あれ、自重トレーニングって言って、筋トレの中では結構基本的なのよ」
「へぇ……じゃあ、俺もそろそろ始めてみようかな、ベンチでコーヒー飲んでるばっかじゃなくて」
「始めるなら覚悟してね。筋トレって、“壊す”ことから始まるんだから」
彼が首をかしげる。
「壊すって?」
「筋肉ってね、トレーニングで細かく傷つくの。微細な断裂が起きる。それを身体が“このままじゃダメだ”って判断して、修復するときに強く、大きくなっていくのよ」
「なるほど。つまり、壊れた分だけ強くなるってことか」
「ただし、回復する時間がなきゃ意味がない。壊すだけで終わったら、ただの怪我人」
彼は思わず、缶コーヒーを見つめた。苦い液体の向こうに、どこか自分の生活が透けて見えるようだった。
「筋トレって……人生っぽいな」
「少しずつ、壊れて、また直して。そうやって人は変わっていくのよ」
沈黙が訪れる。風がひときわ冷たくなった気がして、彼は肩をすくめた。
「なぁ、マイハニー。俺が筋肉痛になったら、優しくしてくれる?」
「気が向いたら、ね。ダーリン」
彼女はふふっと微笑んで、少しだけ缶を揺らした。カランと氷が鳴る。
「でもね、筋肉と違って――心は、壊れる前にちゃんと休ませてあげなきゃダメよ?」
彼は一瞬だけ目を見開いて、それから照れたように笑った。
「はい、肝に銘じます、マイハニー」
ベンチの下では、春の気配がまだ遠く、砂の冷たさだけが足元に残っていた。