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#90 心配はない

 泣こうが喚こうが本番は始まる。顧問ではないが顧問経験者として、こんなばらけた気持ちのままの部員たちを舞台に上げるわけにはいかない。


 軽く息をつくとその場でパンパン、と二度手を打った。だいたいの吹奏楽部員はこれで静まる習性がある。


「みんな、少し聞いてください」


 そう言って咳払いをひとつした。部員たちの瞳がこちらに向く。


「……急にこんなことになって動揺するのは当然だ。不安だよね。僕もです。だけど僕はついさっきまで『観客』だった。だから今会場に来ているお客さんの気持ちはよくわかる。『アマ高はどんな演奏を見せてくれるのか』。幕が開くその時を今かと心待ちにしてる。こちらの状況をお客さんたちは知らない。情けはない。でもそんなものはいらないよね? 舞台に立つ以上キミたちはプロだ。プロは動じないし、プロは飲まれない。プロはただ全力で演奏をやり切る、それだけだ。……どう? それができるだけの練習を重ねてきたんじゃない? どうですか、部長の西野さん」


 慌て果てていた西野さんは一瞬キョトンとしたがすぐに引き締まった表情になった。


「……もちろん、たくさん練習してきました」


「そうでしょう。だからキミたちは大丈夫。コンクール支部大会まで行けたアマ高吹奏楽部がこんなことでなにをうろたえてる!? 松阪先生のためにも、ここまで来たらやることはひとつ。お客さんの期待に応える。一年間の集大成でしょ? だったらやり切る、それだけだ」


 部員たちの表情がとてもいいものに変わったのを感じた。うん、大丈夫だ。この子たちなら。


「改めて、僕もアマ高吹奏楽部の仲間に入れてください。……お願いします」


 頭を下げると、「お願いします!」と大きな返事がもらえた。


 舞台袖に移動してゆっくりと指揮棒に触れる。すると僕も『プロ』へと変わる。目を閉じて、深呼吸をひとつした。


 ピンチがあるから人生はおもしろいんだ。期せずして得た本番の空気、たまらない。俺に任せろよ。眩しい舞台に、一歩踏み出す。


 大きく拍手が鳴る。鳴る。鳴る。



 オープニングとなる一曲目はなんだと思ったら名曲『宝島』だった。吹奏楽曲として有名なこの曲は掴みとしてはノリが良く勢いもあるが一般人の認知度はそれほど高くはない。


 客席の反応はどうだろうか、と思ったが。


 ……うまいな。

 曲目の認知度うんぬんよりもまずその感想が先行した。


 三年生が卒業して一学年分人数は減っているはずなのにこの迫力。コンクール練習の時からさらに個人個人のレベルも上がっているように感じた。


 さすがは支部大会出場校。しかしこのレベルでも支部大会より先への切符は得られなかったんだ。全国大会のレベルの高さが思い知らされる。


 全国大会……か。


 ふいにこの高校で顧問が出来たなら、などという考えがよぎって自分でも驚いた。


 まったく。どれだけ飢えているんだ。


 無事に一曲目を終えて、マイクを握った司会進行役の西野さんを迎える。部長は大変だ。


 開演前は慌て果てていた彼女。大丈夫だろうかと心配で横目に見るが、スポットライトを浴びる姿は堂々としており凛とした佇まいは『プロ』の気迫を感じさせた。さすがだ。いらぬ心配だったらしい。


 彼女が喋る内容は簡単な挨拶と部の歴史、現部員の数、それから一曲目の曲紹介、二曲目の予告だけで僕については触れないでおくという段取りになっている。


 僕については後ほどあるという例の伝統だとかいう『顧問インタビュー』でやるつもりのようだ。……大丈夫だろうか。


 というわけで次にいく。

 二曲目は『ラプソディー・イン・ブルー』。これまた名曲だ。ハイレベルな演奏を要求される冒頭のソロはクラリネット。学指揮でもある石川さんだった。


 我らがミト中のクラリネット奏者、真知さんの師匠でもある石川さん。拍手喝采のさすがの演奏だった。真知さんもいつか、こんな風に堂々と舞台に立つ日が来るんだろうな。つい重ねて見てしまった。


 三曲目と四曲目は流行のポップス曲をテンポよく続けて演奏する。魅せる演出の『ベルアップ』のタイミングは僕はさっぱり知らなかったが生徒たちは戸惑うことなくきちんとこなしてくれた。ふう。


 前半第一部の最後となる五曲目は『情熱大陸』。バイオリンのイメージがある曲だがこれも吹奏楽曲として今や定番といえる。


 それにしても前半の最終曲がこれというのはなんとも受け入れ難い気持ちにならないでもない。


 だってこの後やるんでしょう? 『顧問インタビュー』を。


 これではまるで某テレビ番組のオープニングみたいじゃないか。もちろん狙ってそうしているんだろうが。


 はあ、とにかく逃げられるものでもない。腹を括って、曲終わりに客席に向かって深々と礼をした。



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