#87 性格悪くはない
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
硬く挨拶をして数秒見つめ合ってから、どちらからともなくそれを緩めて笑った。
キウイ頭は刈ったばかりなのか綺麗に揃っている。一度ふざけ合うみんなに紛れて撫でさせてもらったことがあるがこれがもうクセになりそうなほど心地良い感触だった。おかわりを求めて「やめろや!」と怒られたのはいい思い出だ。
「じゃ、早速やろうか。指揮とラッパ、どっちからがいい?」
あえて気楽に訊ねた。梅吉は少し悩んで、やがて机の上の僕の指揮棒ケースを見て答える。
「……指揮」
「いいよ」
やり方は決めていた。僕はそっとその指揮棒ケースを開くとそれを、そのまま梅吉に差し出した。
「……え」
困惑の表情を見てニヤリと笑ってやる。
「トランペット、貸して」
指揮棒と交換に例の輝きのない楽器を受け取ると、口をつけるマウスピースを軽く拭いて本体から抜き取り、簡単に口慣らしをしてまた差し込んだ。
「曲は校歌。僕がトランペットの1stパートを吹くから、指揮してみて。違うと思ったらとめるなりして声をかけていい。普段僕がやってるのと同じだ、わかるね?」
挑むように笑いかけると、若い指揮者は緊張しながら頷いた。僕は頷き返して正面に立つと楽器を構えて指揮者を見つめた。「いつでもどうぞ」そう声をかけると、少し震える指揮棒が挙げられた。
「じゃ、いきます、……いち、に、さん、はいっ」
「ふは、もっと堂々としてよ」
「え?」
「だからいつも頭が揃わない。意外と単純なんだ。『信じて、振る』。どうぞ」
「……はい!」
出だしから華やかなのが美音原中学校校歌の特徴。トランペットパートは途中で高音のファンファーレ部分があり梅吉が苦しんでいたことはよく知っている。曲調は古い校歌らしいよくある雰囲気だけど、なんだか親しめるフレーズが印象に残る、僕個人としても結構好きな曲だった。
途中でとめてもらう気満々で吹いていたのに、演奏はそのまま終わりを迎えた。やはりこうなるか。まあ想定内だ。
「気づいたことは?」
「え……」
言いづらそうにしているので訊き方を変えてみる。
「僕はどこで梅吉を試したでしょうか?」
「な……え!?」
「まさか気づかなかったわけないよね?」
意地悪く訊ねると「なんとなくは……」とぼかした答えが来たので苦笑した。
「相手が自分より上手いとわかった上で指揮をすることはよくある。楽器だって全種類できるわけじゃないしね。だけどだからって『ちがう』と思ったことを言えないようじゃ指揮はできない。この人がミスをするはずがない、自分の勉強不足なんじゃないか、なんて思うようじゃダメなんだ」
それを踏まえて、と言いつつ梅吉を見つめる。
「僕の演奏はどうでしたか?」
梅吉はドキリとした様子を見せたあと、少しだけ目線を逸らせて考えるそぶりをしてからまたこちらを向いた。
「……テンポが、ちょっとずれたような」
「うん。どこで、どのくらい?」
「えっ、……そこまでは」
「ふふん。あとは?」
「あとは……。え、なに?」
「ええー?」
不満の意を示すと「わからんわ、上手すぎて!」と投げやりに褒められた。はは。
「『f(強く)』を落とした。それから最後のところ勝手に『rit.(だんだん遅く)』をかけた。梅吉の方が無意識に僕に引っ張られて指揮してたってことだよ」
その表情は『悔しい』というより、唖然としていた。
「じゃあもう一回同じように吹くから、注意して聴いてみて」
言って再び楽器を構える。梅吉は頷いて指揮棒を挙げた。
さて。今度はどうか。
「ヒビノ、……えっと」
困惑しつつ演奏をとめた梅吉に僕はニヤリと笑って応えた。
「うはは。楽しいな、この指導」
「たっ、楽しむなやっ。性格悪いぞ!」
怒る梅吉をまあまあ、となだめて改めて訊ねる。「わかった?」
「……『さっきと同じ』やない。今のはクレッシェンド(だんだん強く)が付いてなかった」
「おお、正解!」
拍手の真似をすると睨まれた。そして指揮者は自信なさげに手元の指揮棒に目線を向けた。
「……今のは言われてたから、なんかあるち思うてわかったけど、普段やったらどうか」
「それも50人近くを相手にね。時にはもっと多くも」
わざと助長してやると「励ますじゃろ普通」と求めていたつっこみがもらえて嬉しかった。
「じゃあ今度はちゃんと吹くよ」
そう言ってまた楽器を構えた。どうせまたなにかあるだろうと読んでいるらしい梅吉に向かって、演奏を始める。
「……えっと」
とまることなく、最後まで。当然だ。僕は今回は本当に楽譜通りに『ちゃんと』吹いたんだから。
自分が聴き逃したとばかり思っているらしい梅吉にまた「わかった?」とニヤリと笑いかける。そろそろ嫌われそうだが。
「……わからん」
「くはは、また『性格悪い!』って言われそうだ」
「ええ?」
まさか、と顔に書いてあったのでうんうんと頷いた。「今のはちゃんと吹いた」
「もうほんまに!」と憤る梅吉に追い討ちをかける。え? だから僕は性格は悪くないってば。
「というわけで梅吉。今の通りに、今度は吹いて」
「はああ!?」
マウスピースを拭いて楽器を差し出すとさすがに怒られた。うはは、面白いな本当に。
僕が指揮棒を持つと、さすがにすぐに真面目モードになったが。
「じゃあ演奏指導はこのくらいで」
「ええっ、けどまだ」
「ちょっと話そう」
椅子を勧めるとキウイ少年は渋々そこに腰を降ろした。
「……いろいろあったよね」
いろいろ。
甦る、日々。時間。景色。気持ち。
「ありがとう」
言うと「やめろや」と煙たそうにして怒られた。
「今でも、音楽の先生になりたい?」
訊ねると少しはっとして珍しく切なげな顔になった。
「……なりたいさ」
掠れた声で呟くように言うから、鼻の奥がつんとした。やめろよ、そっちこそ。夕日の色が、やたらと目に滲みる。
「『しょーもない』のに?」
意地悪く訊ねてやると、相手は「そーや」と乱暴に返して軽く笑った。
「じゃあひとつだけアドバイス」
僕が言うと意外だったのかそんな顔をした。途端に全神経を集中させて聞こうとしてくるから「大したことじゃないけど」と少し慌てて言う。
「指揮も、演奏も、僕のものは意識しないで。梅吉らしく、このままのオリジナルでいてほしい。今日の指導をもとに僕をひとつの目標としてもらうのは構わない。だけど僕と梅吉は同じじゃない。だから生み出す音楽も同じじゃないから」
「……響木先生のマネなん、やりたくてもできんわ」
ボソリと呟いた反論に苦笑いをした。
「いつか……、人前で堂々と演奏や指揮をする梅吉が見られるのを楽しみにしてるよ」
「おう」
名残惜しいけど、特別指導はこれにて終了。振り返ると、うん。実に有意義な時間だった。おかげでこの場に思い残すことはもう……いや、そりゃあるにはあるけどさ。
でも、たしかにいくらかすっきりした。
誰もいなくなった音楽準備室をひとり見渡す。先程まで眩しいくらいにオレンジ色に満たされていた空間は、いつの間にか薄暗くなり始めている。
すら、と机の端を軽く指で撫でた。古い机は所々が欠けてでこぼこだが、手に馴染む触り心地はそう悪くもない。
うん。
いよいよ残すは、最後のステージのみだ。
……と、思ったのだが。
その前にひとつ大きなイベントがあることを忘れていた。
まあそれはミト中としてではなくて、僕の個人的なことと言った方がいいものなのだが。




