#85 継ぎたくないわけではない
「悩み事……、言うてもええですか」
「え、どうしたの」
ガキな部長副部長を陰で取りまとめている『総長』はなにやら深刻な悩みを抱えているらしい。
「演奏のこと?」
「いや……」
「じゃあ部員?」
「ちがう……」
「ん?」
予想が外れて困った。見つめると真知さんは少し照れながらこちらを見上げて教えてくれた。
「……進路、かな」
進路、というと高校受験のことかと思うが今回の相談はそれとは少し違うものだった。
「私ね、家、継がなあかんのです」
「……柏木商店?」「うん」
彼女の家が営む『柏木商店』は小さな個人の商店。しかしコンビニのないこの辺りでは貴重な『なんでも屋』だ。掃除用品やキッチン用品はもちろん、蛍光灯や電球、電池、おもちゃに文房具、菓子、野菜、卵に牛乳、そして酒とタバコも、種類も豊富に揃う。奥の方まで見ると食器や衣服、自転車、花の苗や種まであってもはやホームセンター並みの無敵さだ。
真知さんはそこの一人娘。将来は婿養子をとってあとを継ぐことを幼少期から刷り込まれて育ったらしい。
「……継ぎたくないちわけやないんよ。柏木商店は私にとっても大切なお店やし宝物。けど、けどね先生」
なんとなく、言わんとすることはわかった。
「ほかの道を、知りたくなった?」
「……うん。でもあかんよ、だって私、一人娘やし」
この悩みは僕の責任でもある。彼女に『音楽』を教えてしまった。目覚めさせてしまったのはどんな理由だったにせよ僕だ。
夢を持つ権利は誰にだってある。だけど、夢は苦しい。その苦しみが彼女の場合はたぶん特別に大きい。
「今すぐに決めんくてええんはわかっとるんです。けどヒビノ先生に、いっぺん聞いてもらいたくて。ごめんなさい、こんな話……」
「いや、嬉しいよ。聞かせてくれて」
緩く笑って不安げなその目を見つめた。すぐ決めなくていいこの悩み。だけどだからといってもやもやした気持ちをこのまま、いつか本当にその進路を決めるその時まで抱え続けていてもいいとは言えない。
「いつか辞めると決まっていたら、真知さんの部活への姿勢は変わる?」
「え……」
「どうせ高三で辞めなければならない、だとしたら、辞めるその時に自分が辛くないように、好きになり過ぎないように深入りせず適当に過ごす? ……それとも、合併や高校入学を機に、いっそ辞めてしまう?」
「そ、そんなこと出来ませんっ」
「そうだよね」
「えっ、……はい」
大きく反応したが僕が静かに応えるとその勢いはすぐになくなった。
真知さんがそう答えると僕はわかって問うている。理由はこうだ。
「なら全力でやればいいよ。進路を決めるその時まで、とにかく全力でやる。『今しかない』そう思って中学高校を過ごしてほしい。全力で楽しむことも、全力で磨くことも、『今しか』。そうやって過ごして、それから決めればいいんだ。それまでに身につけたことを、今度は周りのために、家族とお店のために活かそう。そう決意して『あと継ぎの道』へ進む、というのがひとつ」
人差し指を立てた。そして続ける。
「もしくは、まだ続けたい、なにを犠牲にしてもやり抜こう。貫こう。そう決意して『挑戦の道』へ進む。それがもうひとつ」
人差し指とともに中指を立てた。
「どちらの道も間違いじゃない。これから過ごす数年で、真知さんに身についたことは必ずその先の人生で役に立つ」
その瞳から、迷いが薄れていくのを感じた。彼女はいい奏者だ。だけど少しメンタル面で弱いところがあって、それが演奏に出やすい。だから今あるその迷いは持ち続けてほしくなかった。
「吹奏楽部で学べることは、音楽だけじゃないよ。真知さんならそれはもうわかってるよね? この先、今よりもっといろんなことを学んで、自分をたくさん磨いてください」
彼女はまっすぐこちらを見ると、「やっぱりヒビノ先生に話してよかったです」と少し涙ぐんだ目を細めて微笑んだ。
「演奏も聴かせてよ」
ねだるように頼むと、真知さんは「お手柔らかにお願いしますね」と緊張して言うから僕は思わず笑う。
コンクールのソロに悩んでいた頃の彼女を思い出した。あれからまだほんの数ヵ月だと言うのに。ほら、もうこんなに成長しているんだ。
「うん。やっぱ音に出やすいね」
「えっ、どんなふうに?」
「すっきり迷いがなくなってる。ふはは」
では次の人、いってみようか。




