#80 不良ではない
「ああもうヒビノ! あのクソ中村なんとかしてくれ!」
「えええ……」
音楽準備室に来るなり『ミト中の不良』はそう大声で憂いた。
「そういう相談会じゃないんだけど」
「同僚じゃろ? ヒビノからなんとか言うてくれ、俺は『アマ高』しか行く気ない、ちて」
「え……どういう意味?」
『不良』だったはずのこの生徒はどうやら本当に不良ではなくなったらしい。
「試しに受けろ、ちてやかましいから嫌々受けた私立高校に、まあなんちうか、受かってまって。そしたら今度はその高校へ行け、ちてクソやかましいんじゃわ」
「へえ……。ちなみにそれ、どこ?」
耳を疑う超名門高校名を告げられて僕は眉根を寄せたままその場で固まった。まじか、久原 誠司。不良でモテ男でそのうえ秀才なんて反則すぎだぞ。
「なんで授業出てなくてそんなとこ受かるのさ」
「しらんわ」
四文字で片付けないでほしい。秀才ならちゃんと説明できるだろ。
「いや、それは『行け』って言われても仕方ないと思うけど」
「勘弁! 俺はアマ高で吹奏楽やるって決めとんじゃわ、誰が勉強なんしに高校行くか!」
普通は勉強をしに高校に行くんだが。
「あそこにも吹奏楽部はあるでしょ、たしか結構強豪じゃない?」
「あかん! 全っ然あかん!」
「なんで」
久原くんはバン、と両手で机を叩いて真剣な瞳をこちらに向けた。
「あそこ男子校じゃろがいっ!」
「あ……、はは、なるほど」
モテ男でありながらかなりの女性好きだとも聞いている。根っからの浮気性……というのがこの無敵の不良の唯一の弱点なのかもしれない。
「まあ中村先生も久原くんのためを思って言ってるわけだろうから、そんなに煙たがらないで」
「はん? そんなわけないじゃろ。あいつやぞ? 自分が担任の生徒が有名校に進学したほが教師としての株が上がるち思うとるに決まっとるじゃろが」
「う……」
ぐうの音も出ない。
「はぁ気に入らん。中村は俺のことずっとクズ呼ばわりしよったくせによ。最後の模試でちょっと本気出したったら途端に手のひら返しや。あいつこそクズじゃろ」
指でコンコンと机の端でリズムをとる。はは、苛立っているんだろうがそのリズムが妙に正確なのは彼が優秀な打楽器奏者だからだ。テンポはAllegro(快速に)。
僕は微笑んで、そしてこんな助言をさせてもらった。
「僕が言ったって中村先生には言わないでほしいんだけど……」
念の為そう前置きをして。
「誰になにを言われても、自分の信じた道をつき進んでください」
見つめて「ふ」と笑いかけると、「あー、あんたは逆に昇進逃すタイプやな」と笑われた。つまり万年雑用か。参ったな。
演奏? 指揮? ええわい今更。と本人が言うので『特別指導』はこれにて。はは、彼らしい。
「あ、そうだ。ひとつだけ言わせてほしいんだけど」
準備室を出ようとする久原くんを呼びとめて僕は指揮棒ケースを手にした。「え、なに」と訝しむ不良をまあまあ、と手で制し、ゆっくりと棒を手にする。
「なんなん、わざわざ変わって」
「おまえいつもチューニングの時さ」
「あ」
途端にヤバ、という顔になる。
「ティンパニーの裏で後輩たちとバリボリ菓子食ってたろ」
「……あは。バレてたんや」
テヘペロ。じゃないから。
たしかに打楽器奏者にとってあの時間は暇なんだろう。わかるけど絶対だめだ。金銭賭けたトランプもだめ。将棋もリバーシもだめだから! せいぜい居眠りくらいにしとけっての!
いつか言っておきたかっただけだから、べつに今更どうこうするつもりはないんだがな。
「高校ではやんないでよ」
「あーい」
……では次の人、いってみようか。




