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#74 罰ではない

 神社の最寄りのバス停は思っていたよりかなり寂れていた。なるほど先日来た天原あまばら中学校の最寄りのバス停でもあるようだ。


「……あ、そうだった」


 バス停から歩きだしたしたところで美咲先生がなにかを思い出したようにそう呟いた。


「なんですか?」


天原天神てんげんてんじんって、石段で有名なんだった」

「石段?」


「かなり段数あるはずですよ」

「え!?」


 薄笑いの目でこちらを見つめる。なにが言いたいんだ。だいたいわかるが。


「……やめときます?」

「ここまで来たのに?」


「のぼれるの?」

「のぼれるかって?」


 言う間に僕たちの目の前に冬の寂しげな木々の中、歴史を感じる古びた石段が姿を現した。


 頂上が霞んでよく見えない。というかこれはおそらく真っ直ぐ登りきった先にもまた方向を変えて石段が続くパターンのやつだ。


「いいですよ、行きましょう」

「えっ、本気? 大丈夫ですか?」


「初詣、したいんで」


 珍しく少しムキになっていた。僕にもプライドのひとつくらいはある。




「あああああああああ」

「ふふ。だから言ったのに」


 かろうじて登りきって呻く僕を見下ろしながら美咲先生は涼やかに笑っていた。


「……なんで、バテてないんですか? 美咲先生」


「まあ一応田舎育ちだし、運動は苦手じゃないからね」


 途中で何度「ちょっと休憩しませんか」と言ったことか。その度に彼女は「ええー、もうちょっとじゃない!」と言って僕の腕を引く。一体なんの罰だ。こんな敗北感は久々だった。そしてこんなに足の筋肉が震えているのも久々だった。


「これ帰り降りるんですよね……」


 今登ったばかりの石段を見つめて絶望する。下りでこの貧弱な足が言うことを聞く気がしない。美咲先生はそんなヘタレな僕を「ふふ」と笑って「降りないと帰れないからね」と愚図る子どもの母親のように諭した。


「とにかく参拝しましょうよ。初詣、したかったんでしょ?」


 本当に母親に見えてきたがその事実は受け入れ難い。「はあ」とため息をついて重い足を引きずり列にならんだ。すぐに順番が来て神様の前に立ち目の前の賽銭箱へ揃って五円玉を放り投げる。


 願うこと……。まあありきたりだが健康くらいしか浮かばない。仕事、プライベート、どれも先は見えていないが神頼みするのも違う気がした。


 美咲先生をちらりと見ると、なにやら真剣な表情で熱心に願っているようだった。たしかにこの人はパワースポットや占いなんかが好きそうだ、などと考えていると「あれ、もう終わったの?」と訊ねられて「はあ、とっくに」と気の抜けた返事をした。


「いいんですか? もっとあれこれ願わなくて」


 思いがけない言葉に少し笑って「いいんですよ」と答える。


「先のことは自分でなんとかするつもりなんで」


 格好つけたつもりはなかったのだが「意外と自信家だよね」と呆れられてしまった。


 おみくじの列を横目に境内をぶらぶらと歩いた。「おみくじは?」と訊ねられたが「いや、いいの出たためしがないんで」と断った。


「なあんだ。あ、じゃあお団子買ってもいいですか? みたらし団子」


 団子の袋を手にするといよいよすることがなくなった。


「ワタルくんは? なにか欲しいものないの? 御守りとか御札とか」


 何度言われてもこの呼ばれ方にはそわそわする。すっかり機会を逸していたが意を決して「その呼び方」と切り出してみた。


「いやですか?」

「えっ」


 はっきり『嫌』というわけではないが、心地はわるい。


「私のことも、『美咲』でいいんですよ」


 もう先生じゃないんだし。と言われてたしかにそうだと今更気がついた。思えばこの人と教師として関わったことはない。ただ初めて会った日に中村先生から『美咲先生』と紹介されたからそれがそのまま根付いたというか。


 とはいえ。


「いや、今更直せないですよ」

「直せるよ。気持ちひとつで」


 ひゅる、と弱い風が抜ける。正月の神社特有の煙たい匂いとそこの団子屋の香ばしい匂いが冬のひなたの空気に混ざる。


 なにか言いたかったのかもしれない。彼女が、ではなく、僕が。だけどこの口からは結局なんの音も出てこなかった。


 棒を持っていれば、あるいはなにか変わっただろうか。


「……帰ろっか」


 伏せた彼女のまつ毛を眺めて、とても大事な機会を僕は今、逃したのかもしれない、そんなことをふいに思った。



 とにもかくにも、例のあの石段『くだり編』のスタートというわけだ。ああ。


 膝の震えに関しては想像通りだった。そして筋肉がとにかく痛い。滅茶苦茶に痛い。ああ。見かねた美咲先生が手を貸してくれてなんとか降り進むことが出来ていた。


「はあ……。すみません、ほんと」


 情けないやら悲しいやらつらいやら、とにかく惨めだった。まったくなんて正月だ。


 するとその時、僕を支えてくれていた彼女が突然立ち止まるからこちらは危うく段を踏み損ねそうになった。危な。


 何事かとその顔を見ると彼女は数段下の一点を見つめ顔色をなくしていた。倣ってその視線の先を見ると、僕も彼女と同じように動けなくなった。


「……芹奈さん」


 もちろんひとりではない。そして友達と一緒というわけでもない。つまりは、家族と来ていた。美咲先生の()()()である父親と、()()母親と、とても楽しげに笑い合っていた。


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