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#72 想定していない

 いちばん重要となる掴みの一曲目は人気のアニメ主題歌に委ねた。


 だがそれだけではまだ弱いと判断した僕は。


「テンポ……200でもいけるよね?」


 リハーサルで確認した際のみんなの唖然とした顔はなかなか傑作だった。そう、この曲をテンポ200で演奏した経験なんて彼らにはない。要はめちゃめちゃな早さというわけだ。


 うはは。いいね。食らいつく必死さが滲み出ている。指が回るか? タンギング追いつくか? この暴挙はひょっとしたら曲に対して不敬と取られることもあるかもしれないが、今日だけは特例として許してほしい。


 ほら。体育館の隅でバカなことを企んでいたらしいチンピラたちが全員ポカンとしたマヌケヅラでこちらに釘付けだ。


 そういえばお気づきの人も多いと思うが、指揮中の響木の心の声は『僕』のままだ。棒を持っている以上発言は当然『タクト』のものになるわけだが、『思い』自体は僕が持っている。


 分離して戻った合宿以降か、あるいはコンクール当日以降か。明確ではないが少なからず『彼』と『僕』になにかしらの歩み寄りのようなものがある気がするのはたしかだった。


 交流会の演奏の方に話を戻して。


 一曲目でアマ中の不良たちと生徒みんなのハートをがっちり掴んだ僕らは、次の二曲目に進む。二曲目だからって普通の演奏会に戻ると思わないでもらいたい。


 僕が取り出したのは、懐かしの管楽器、リコーダーが三本だ。


 これらは先程急きょ美咲先生に連絡して一走り購入してきてもらった、僕の血と汗と涙の努力の結晶だったりするわけだが今はその話はいい。


 天才演出家の久原先生がいればと思わないでもないが、僕だってそれなりに即興演出くらいできる。


 ひとつは梅吉に。

 ひとつはナンプに。

 ひとつはさく坊に。


 仕込んであるのはただひとりだ。


 こういう演出は観客の注目を集めるのに最適なんだ。ほら、一体なにが始まるのかってもう目が離せないでしょう?


 僕は指揮台からひとりずつに合図を送ってリコーダーを吹かせる。「自由に」と指示でもない指示を出すから、梅吉もナンプもなんだかヘナヘナとしたよくわからない演奏をしてくれる。つまりどちらもハズレだ。下手なリコーダーを聞かされて会場には笑いにもならない微妙な空気が拡がりはじめた。


 さて。ここで三人目。さく坊だ。


 ……いくよ。


 いち、に、さん、ハイ


 聴こえ出すのは、誰もが耳に馴染みのあるあのメロディー。


 『もののけ姫』だ。


 はっきり言ってこの曲は「吹ける!」と言う生徒も多いだろう。しかし我らがさく坊の演奏はひと味どころか、普通とはまるでちがう。


 鋭い高音が、脳天に轟く。

 たしかな中低音が、心臓に響く。


 これが誰もがよく知るあのリコーダーの音か、とまで思わせるんだ。


 森が見える。水の流れ、野鳥のさえずり、獣の気配。ゆれる葉音、土の質感。


 プラスチック製であるはずのリコーダーから木の温もりが感じられる。


 精霊が、見えたか? はは。


 つまり「自分にも吹ける……けど、こんなんは吹けん!」と思わせるのがこの演出のポイントなんだ。


「え、うま」


 微かに聴こえた観客のつぶやきを耳にして僕はニヤリと笑った。


 ひとりのつぶやきを境に、客席に静かにざわめきが拡がる。なんだ、この上手さは。なんなんだ、あの生徒は、と。


 説明すると、さく坊という生徒は人一倍練習熱心な生徒だ。だから音楽に関しても部員の誰より熟知している。


 楽譜の読み込みも段違いにいい。

 つまりどういうことかというと、本番前の空き時間にほんの少し教えた程度でもリコーダーのような単純な構造の楽器はかなり上手く演奏できる、ということだ。


 当初この曲ははリコーダー抜きのただの演奏の予定だったわけだが、この演出は不良たちのために直前に大急ぎで準備した。それにしてはなかなかよかったでしょう?


 さく坊のリコーダーソロの終わりと同時に楽譜通りの指揮を始める。ここからは吹奏楽の凄さをお聴かせしよう。


 リコーダーでの単音を聴いてからの大合奏。それだけでも充分に痺れてもらえると思うが、この楽譜にはもうひとつ痺れるポイントがある。


 またしても『ソロ』があるんだ。それも


 ホルンのソロが。


 いけ。さく坊。今度はキミの愛するホルンで存分に奏でるがいい。鳴らして、聴かせろ。渾身の、ホルンの音色を。


 ……上手くなったな。ほんとうに。



 さて。いやだいやだと最後の最後までゴネていた我が校の『姫』は、ちゃんと大役を果たしてくれるのだろうか。ここからは当初から準備していた『演出』なのだが。


 曲の終盤、二つ空いた演奏席。

 いないのはナンプと真知さんだ。


 曲終わりと同時に、のっしのっしと舞台袖からその姿が現れた。


 ぶっは! さすがに噴き出しかけた。


 猫耳ならぬ、犬耳のカチューシャ。毛足の長い白の衣装に身を包んだモップ──ではなくナンプ扮する『山犬』が、なんとなくそれらしいお面をつけた『姫』を背に載せ僕の後ろをゆっさゆっさと横切っていく。大丈夫だ真知さん。顔は見えてない。


 助けになるかわからないが僕は指揮台の上からそんな二人を凝視する。「なんだこれ」という顔で。


 演奏がやんで静かになった会場で、山犬に跨る『姫』は、振動に音を震わせながら特段上手くもないリコーダーで『もののけ姫』を小さく演奏している。この小細工は直前に思いつきで入れたものだが地味に面白いポイントとなって結構よかった。


 こころなしか山犬がぜえはあと息切れしている気がしないでもないが、老犬の設定ということでひとつ。


 二人は立ち止まりもせずにそのまま通過して下手しもての舞台袖にはけていった。去りゆくシッポに僕は拍手を送って会場にも促した。


 ……というわけで三曲目。

 ここまで来たらそろそろ真面目に演奏しても聴いてもらえるのではないだろうか。


 というわけで用意したのは定番のクリスマスソングを二曲ほど。舞台袖から戻った真知さんがにっこりと僕に差し出すのはトナカイのツノカチューシャとデカめの赤鼻だった。


 よりによってこっちか。柏木商店にならサンタ帽くらいあるだろうと真知さんに頼んだんだがたぶん誰かが謀ったな。複雑に微笑んで受け取り、装着するとなぜか拍手が起こった。


 演奏は真面目にやるからな。

 しっとり聴かせてからアップテンポに勢いをつけてそして最後の五曲目だ。


 トナカイを脱ぎ捨て、今日のために密かに練習してきた特別な曲を披露する。


 それは、とても大切なこの曲だ。


 『天原中学校 校歌』


 ミト中同様、アマ中も今度の合併でこの校歌を失うこととなる。合併後、校歌は新たなものになるとのことだから。


 アマ中に吹奏楽部はない。つまり彼らは、校歌の生演奏は聴いたことがないはずなんだ。


「よかったらみなさん、先生方もご一緒に歌ってください」


 会場全体に向けて言うと、僕はゆっくりとお辞儀をして指揮台にのぼった。


 端から順に奏者たちを見渡してから、ゆるりとうしろを振り向く。アマ中の生徒たちが全員立ち上がって、歌う準備をしてくれていた。


 指揮棒を挙げる。

 呼吸が揃って、前奏が鳴りはじめる。


 演奏と歌。会場が、ひとつになる。


 ふたつの中学校が、ひとつになる────。




 全曲終えて鳴る拍手は演奏前のそれと全く違う、しっかりと感情がこもったものだった。指揮台を降りて客席を見ると、隅の方でマヌケにポカンと口を開いたままのチンピラくんたちの姿が見えた。


 少し笑って、お辞儀をして舞台を降りた。



 こうして交流会は無事に終了。ミト中とアマ中の仲も、それなりに良く…………ん!?


「なっ、なんでこうなった!?」


 翌日の部活始めのミーティングで僕の前に並ぶその顔ぶれを見て驚きに顔を引き攣らせながらそう訊ねた。


「なんでもなにも。三年が引退して、楽器も余っとるち聞いたからな。それにどうせ同じ中学なるんや。やから『体験入部』。よろしゅうな、()()()


 馴れ馴れしく僕をそう呼んでにっと白い歯を見せるのはなぜかここにいるアマ中の不良のリーダー『ケンちゃんの弟』もとい笠井かさいくんだ。周りにはその仲間三名の姿も。


「ええと……。笠井くん、だっけ。ああ、その、先生には言ってきた?」


 訊ねると「あ?」と鋭く睨まれてしまいいくらか縮んだ。もう、田舎の不良やだ。


「放課後俺らがどこでなにしようとあいつらに関係ないじゃろ。それよりヒビノ、あんたまたなんか雰囲気ちがうな……?」


 不思議そうにまじまじと見つめられた。まあ不思議だよな。


 憤りながら一応許可がないとダメと言うことと、今日は仕方ないから見学だけなら大目に見る、と伝えた。


「それと僕の『特徴』のことは……、ミト中の部員から聞いといて」


 面倒なやり取りを予想してそう言い置き、「さてと」と手を打った。


「では部活を始めます」




 冬休みは本番の予定も控えておらずこれといってすべき練習に追われることはなかった。


「本番の予定がないからってたるむのはやめてね。それぞれ基礎練に力を入れて、自主練も怠らないで技術向上に努めてください」


 とはいえ春からずっと走り続けてきたミト中吹奏楽部としてはこれは初めての『休息期間』というわけだ。


 アマ中の笠井くんたちはそんな変化のない部活動じゃすぐに飽きてしまうのではないかと思ったが、意外にも熱心に遥々足を運んでくれていた。いつの間にか担当楽器もしっかり決まって「いつでも本番いけんで」などと頼もしく親指を突き立ててくれるから僕の頬もつい緩む。


 一度心を許せばどんな不良も案外人懐っこいのはここらの土地柄なのだろうか。


 しかし前述の通り『本番』の予定は当面なく。クリスマスを終えた世の中はすっかり年末モード、加えてこの田舎の風物詩らしいドカ雪に見舞われ交通手段を絶たれた彼らの部活動は早々に休みに入ることとなった。


「良いお年を」

「年賀状持ってくわ」

「え? 直接!?」


 などという平和な会話をしながら、ほどなくして僕らも年末年始の休みに入った。



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