#69 怒ってはない
宮下さんから連絡があったのはそれから約ひと月後のことだった。ずいぶん時間がかかったように思うが市の広報が月に一度の発行だから仕方ない。
『響木先生、やあっとできました! いやあ時間がかかってしまって申し訳ない。早速そちらに発送しますので、楽しみになさっていてください』
学校宛に小包が届いたのは二日後のことだった。各家庭の郵便受けに届くよりも少し先取りできたことになるそうだ。
「おお……」
興奮する生徒たちとともにページを開いた。もちろん引退している三年生たちも一緒に。
【部員ゼロからの挑戦! 天才顧問と全校生徒、奇跡の吹奏楽部!】
特集の見開きページを大きく使われており、片面には文化祭のステージの写真が大きく載っていた。仮装も涙もまだの序盤の整った姿の写真でホッとしたのは僕だけじゃない。
それにしても『天才顧問』と来たか……参ったな。
文にはミト中のこの春からの創部や合宿、コンクールを経て文化祭までの歩みと、僕自身の厳しい指導についてや普段の雰囲気とのギャップの話まで詳細に書かれていた。
『顧問である響木 亘氏は指揮者としては天才的な能力とカリスマ性を兼ね備えている。時に厳しい言葉も飛び出すが、生徒たちからの信頼は絶大。的確な指導で確実にバンドのレベルを引き上げている。ところが普段の様子はというと合奏での厳しい表情とまるで別人のように柔和で朗らか。"先生よりも生徒に近い存在"を意識しているという氏の生徒への接し方はたしかに先生というよりは仲の良い友人のような雰囲気がある。その最高のメリハリがバンドの音にもしっかりと活きている』
「うわあ、めえっちゃ褒められよんやんヒビノ。『天才顧問』やて」
そうなるだろうな、とは思っていたが早速目眩がした。
まあ、素直に喜ぶとしよう。
厚くお礼の電話をすると『よかった。怒ってません?』と記者は笑った。
広報誌はそれなりに大きな反響を見せた。天文博物館の西野館長にも手渡すと、「ああ、拝見しましたよ」と笑ってから「宮下さん、これでもかなり抑えたほうと思います」と驚くべきことを言ってきた。
校長や市長の計らいもあってか、その後少しばかり地方誌や地方局から取材を受けるという機会もありミト中はそれなりに有名になっていた。ついでに教頭の僕への扱いもまさに手のひらを返したように柔らかになった。
この頃男子生徒たちの間で《長いものには巻かれろ》という言葉が流行ったらしいがそれに関しての理由などは僕は知らない。
それで、あとは校名。まあここまで来れば名前というものにしがみついてこだわることもない、とは思うが。
発表は案外あっさりとなされた。
『市立天原第一中学校』
「なるほど無難に攻めたちわけやな」
ナンプは意外にも冷静にそう言った。
「『美音原』の『み』の字もないね」
予想はしていたがここまでばっさり斬られるとは。
「しゃーないわ。高校と同じ名前やもん、いろいろ便利なんじゃろ」
貫禄生徒は鼻から息をついて大人のように、しかし大人に対して呆れたように笑った。
「もうええんじゃ、名前は。それよりももっとええもんが俺らにはあるもん」
胸を叩いたようだがどうしても中年オヤジのような腹回りに目がいった。彼はこれで本当に中二か。今更思うが。
「来月のアマ中との交流会、楽しみだね」
その交流会では『クリスマスコンサート』という名目で演奏もすることになっている。三年生と咲良さんが抜けて新体制となってから初めての本番だ。
この機会に演奏を聴いて「やってみたい」という来年度の入部希望者がアマ中にも現れてくれて、吹奏楽部存続の手助けとなってくれるといいのだが。
しかしその期待は見事に裏切られることとなった。ふむ、なるほど。つまり『こちらがこうならあちらもそう』というわけだ。




