#68 終わりではない
アンコール曲が終わっても会場に響く大きな拍手はなかなか鳴り止まなかった。先に舞台を降りてパーテーションの裏に入ると、うずくまって動けなくなった。
終わった──。
これで、終わりだ。
終わりなんだ。
美音原中学吹奏楽部は、今日をもって解散となる。生徒たちがどれだけやりたかろうが、僕がどれだけ続けさせたかろうが、叶わない。そのことをこれから、彼らに伝えなければならない。
今、おそらく絶頂にいる彼らに。
それがどれほど残酷なことか、大人たちは考えもしないんだろう。『当たり前のこと』『前から言っていたはずだ』『迷惑をかけるな』そう言うんだろう。
つくづく嫌になる。
部員たちが部の存続をどれだけ願っているか、僕だって痛いほどわかっている。
わかっているけど。
僕はただの中学教師だ。どれだけ足掻いても、抗おうにも、敵わないことはある。
ため息をついてようやく立ち上がり振り返ると、「うおっ」と思わず声が出た。そこには梅吉とナンプをはじめとした真剣な表情の全校生徒がずらりと並んでいたからだ。
「ヒビノ、なに隠してる?」
「えっ……」
真っ直ぐこちらを見つめる坊主頭はまだ観客の賑わいが残る会場の片隅で思わぬ質問を投げてきた。
「わかるわ。いつもの本番と全然様子が違う。ヒビノも、響木先生も、全然違うかった」
「あ……はは」
参った。その通りだ。努めて『普通』を心がけたつもりだったが、どうしても今日の本番に全身全霊を賭けて取り組んでしまったのは事実だ。
その理由は明確。『今日で最後だ』と強く意識していたからだ。
「ちゃんと話せ。仲間じゃろ」
仲間……か。
眼差しに真剣に向き合って、「わかった」と頷いた。ちらりと辺りを見回すと、パーテーションの陰に教頭の姿がばっちりある。僕が妙なことを言い出せばすぐに出て来てとめるつもりなんだろう。
万事休す。
僕の様子に生徒たちの表情が強ばるのを感じた。そのひとつひとつを眺めながら、ゆっくりと話し始める。
「怒らずに、最後までちゃんと聞いてね」
そう前置きをして。
「この部活動は、当初の約束通り、今日のこの文化祭をもって……終わりにしなければならない」
目を逸らせてはいけない。念じるように思いながら、僕は話す。
「約束を、守らなければいけない。抗議は受け付けてもらえない。僕たちは、従わなくてはならないんだ」
反論は案外出なかった。
生徒たちはただ呆然として、僕を見つめるばかりだ。
「力及ばず、申し訳ない。僕がもっとうまくやれれば。僕がもっと熱意を伝えられていれば。僕にもっと力があれば────」
「やめ。ヒビノ」
久原くんだった。
いつの間にか下げてしまっていた顔を上げると、ほかの生徒たちはもう涙でぐしゃぐしゃで、声も出せない状況だった。
「あんたのせいちゃう」
怒りを含んだような、強い声だった。
僕はまた耐えきれなくなって俯く。あの大成功の祭の後とは思えない、正反対の沈んだ空気だった。
「ごめんみんな……」
「やめる必要はないですよ。響木先生」
聞き慣れない紳士の声にハッとした。
え、なんだよ。この展開は。
泣き濡れたまま声の主を探すとその人はタヌキ教頭のすぐそばでその丸い肩に手を置いて紳士感満点に微笑んでいた。
「ええっ、こ、校長……?」
初めて見た、わけではないがその存在はかなり珍しいものだった。
美音原中の校長。ふさふさと若々しい見た目だが歳はバーコードの教頭よりもひとつ下なだけらしい。教育委員会と業務を兼任しているそうで普段はほとんど学校にはおらず、教頭が事実上の校長代理となっていた。
しかし校長は校長だ。すべての権限はタヌキではなく彼にある。
「演奏、素晴らしかったです。市長の松木くんも涙ぐんで、かなり感動していましたよ」
「な。校長、市長とお知り合いなんです?」
教頭が訊ねる。市長を『くん』呼びなどそう出来ることではない。
「ああ、高校の後輩です」
わはは。と無敵に笑った。
「市の広報にも今日のことを載せてもらえるらしいですね。我が校の素晴らしい吹奏楽部の歩みも一緒に。はは。いや、全校生徒でこんなことになっていたなんて僕は全く知らなくて。危うく恥をかくところでしたよ、教頭」
笑顔でたしなめられてタヌキは更に球状に縮んだ。校長への報告をわざと欠いていたらしい。
「今日の反響はかなりあると思います。そうなれば部の活動を許可しないなんて有り得ない。生徒たちのためにも、ぜひ続けてください。響木先生」
ああ。もはやなにも言葉が出なかった。目の前の男前の上司に、ただ深く深く頭を下げた。
「鍵です。どうぞ」
目も合わせずにタヌキは右前足でそれを僕に渡してきた。ああ失敬、右手で、だ。はは。
「ありがとうございます」と微笑んで受け取った。
『4 文化祭期』これにて終了です。
季節は冬へ。まだまだ続きます!




