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#67 未熟ではない

 掴みとなる一曲目にはここが天文博物館ということと、なるべく全世代にわかってもらえる名曲ということで『星に願いを』をチョイスした。


 見せ場は我が吹奏楽部の『隠し玉』、咲良さんのユーフォニアムソロ。この演奏で「意外と上手い」と思ってもらえればこちらのものだ。


 うん。やはり上手いな。でもここだけの話、彼女からは文化祭後に退部する旨を聞いている。腕前を思うともったいないと言わずにはいられないが、本人が「そのぶん最高の作品に仕上げるつもりですから!」と鼻息荒く言うのでつい笑って了承してしまった。



 拍手を頂戴して二曲目は『コパカバーナ』。選んだ理由は最近CM曲として耳馴染みがあるというのもひとつだが、この曲は、そう。約三ヵ月前にまさにこの場所でアマ高とともにサマーコンサートで演奏した曲だからだ。


 曲を候補に挙げた時、生徒たちは驚く者のほかに過去の失敗を思い出したように苦い顔をする者も何人かいた。まあ無理もない。たしかにあれはトラウマにならないか心配するようなレベルの演奏だった。でも。


 どうだ。今は。


 指揮台に立って、その顔ぶれを見渡す。


 あの日の怯えや迷いの混ざった不安げな瞳は、もうどこにもない。


 あえてあの日と同じ曲を選んだのは、生徒たち自らにその成長を実感してほしかったからだ。


 吹ける。鳴らせる。ほとばしる。

 そうだよ。ほら、こんなにもちがう。


 ワッ、と客席から拍手が沸き起こった。



 さて、三曲目と四曲目は流行りのポップスを短めのアレンジで流して観客を飽きさせないよう工夫して、次の五曲目。


 ……に、入る前に、十分休憩を挟む。


 これも観客を飽きさせない工夫……というわけではない。いわば『こちらの都合』なんだ。


 『祭』はそろそろひとつめの山場を迎える。


 五曲目の選曲は高校野球の応援曲でおなじみの『エル・クンバンチェロ』。曲名でピンと来なくとも聴けば「ああ」と頷く人も多い一曲だ。


 指揮台の横に立って観客に向かい一礼する。こちらは至って普段通りなのだが、観客たちは拍手をしつつも困惑の色を浮かべていた。


 当然だ。だって演奏席に()()()()()()()()()()のだから。


 さてさて。祭の開始といこうじゃないか。


 曲のはじめに掛け声があるのがこの曲の特徴なのだが、今回は少しちがうアレンジをしている。


 獣のく声。

 野太く、時に甲高く。


 はは。やたらと上手いな。

 これからなにかが始まることを予感させる。


 『エル・クンバンチェロ』

 直訳では多少ちがうのだが、その意味するところは《バカ騒ぎをする奴ら》。はは。ぴったりだ。


 はじまりから勢いがあるのがこの曲の特徴だ。アップテンポで一気にまくし立てる。


 その中を、茶色の毛皮が二匹、もつれ合うように塊となって舞台上に転がり込んできた。


 サルとイヌだ。……いや、梅吉とさく坊なんだがな。


 そう、演奏しているのは女子生徒だけ。男子たちは各々、動物などに扮装して舞台上に登場してくる。


 しかしまあ、その再現度たるや。


 衣装の監修は芹奈さんとミクさんがやったらしい。練習ではじめて見た時はダンボールや画用紙を工作しただけのひどいものだったが、女子二人が協力してからはみるみる仮装のレベルは上がり、本番の今日はもはや特殊メイクと言えるほどにまでなっていた。


 その動物たちが、バカみたいにキレよく踊る。


 指揮をしながら笑いが堪えられない。なんなんだ。なんでそんなにそれぞれに合う動物なんだ。しかもなりきっているんだ。どんだけ上手く吠えるんだ。


 さらにそこになぜか野球のユニフォームを着た生徒がまざっていてなおよろしい。投手はサルかよ。しかも下手丸出しじゃないか。


 ああ、バカだな。バカが眩しい。


 客席からは笑いと賞賛が混ざった声援が飛んでいた。はは。最高だよ。大成功と言えるんじゃない?


 こうして六曲目。何食わぬ顔で動物姿のまま演奏席に座る男子たちがまた滑稽でいい。さらにまじめにバラードなんか演奏してなおいい。


 まったく愉快なやつらだ。



 さて。いよいよフィナーレを意識しはじめる七曲目。ここで二つ目の山場を迎える。


 ……しかしまあ、まさか『サル』のままでやるつもりとは。


 けどある意味で一生忘れられない思い出にはなるかもしれないな。


 客席に向かって一礼してから、演奏席を向いてちょいちょい、と手招きをした。


 サルはその場に立ち上がるも「意味がわからない」とジェスチャーで返してくる。「ウキキ」とか言いながら。その様子に「まだサルなのね」と客席からはくすくす笑いが起こる。


 僕は「いいから」と手振りで反論して先程よりも大きく手招きをする。しかしサルはなおも「イヤだ」と反抗する。そこで僕が取り出すのが……バナナだ。


 するとサルは目の色を変えて飛びついてくる。それもものすごい勢いで、だ。おいおい、本当に容赦ないな!?


 僕は押し倒されてサルはバナナを奪いむさぼる。本当にその場で、僕に馬乗りになってもしゃもしゃと食べる。やがて食べ終えた皮を僕の頭にのせ、「うま。ごちそーさんでした!」ととびきりの笑顔で合掌する。しゃべるのかよ、と思わせるところまでが台本だ。


 この最悪すぎる筋書きはバカウケだった。仕掛け人の彼のことは今後『舞台演出家の久原先生』と呼んでもいいかもしれない。合宿の夜といい、彼の才能には脱帽だ。


 サルは僕がまだバナナを隠し持っていないか調べ始める。ポケットを漁って、ハンカチを抜き取り、ポイ。財布を抜き取り中身がまったくないのを見せて、ポイ。最後に指揮棒を抜き取り……まじまじと眺めるんだ。


 ……さて梅吉。本番だぞ。


 学指揮としての練習は毎日欠かさず熱心にやっていた。熱を出してまでやりたがったことだ、梅吉のこれに賭ける思いの強さはやはり並以上だった。


 僕もそれにしっかり応えなくては、と真剣に取り組んだ。無駄や妥協は一切なし。一分一秒すらも大切にして、教えた。


 僕の指揮を。


 すらり、と構えた指揮棒が僅かに震えていた。梅吉という生徒は緊張しやすいタイプだ。「サルになっときゃ多少マシなんちゃう」というのは久原くんの発案だった。


 大丈夫。やれるよ梅吉。あんなにも練習したじゃないか。


 僕はゆっくりと上体を起こすと立ち上がり、指揮者に「ちょっと待ってね」と合図を出す。そのまま舞台袖に引っ込んで、銀色の『それ』を手にして梅吉が元いた演奏席に腰を下ろした。


 ふうん。なかなかいい眺めだ。

 久しぶりに舞台でコイツを鳴らしてやれる。気持ちが自然と昂った。


 指揮棒が動き出し、はじまるイントロ。

 やがて僕に目線がきた。


 ゆったりとしたイントロに、僕のトランペットの音が重なる。やがて音楽は最高潮となり────久原くんの叩くドラムとともに、弾ける。


 梅吉が指揮をする七曲目の選曲は『オーメンズ・オブ・ラブ』。世間的にはそこまで知られていないかもしれないが、吹奏楽曲としては定番中の定番だ。


 僕は楽器を構えたままで梅吉を、指揮者を見つめた。


 さあ、鳴らしてみろ。その指揮棒で、このトランペットを。最高の舞台にしてやるから。


 ああ、本番は、いい。

 なんて愛しい時間なんだ。


 この時間がずっと続けばいいのに──そう思うのはいつものことだ。


 しかし曲は滑らかに進み、転がり、きらめき、そして厳粛な鐘の音とともに一気に終焉へと向かう。


 最後の一音をその握りこぶしに収め、僕は指揮者に賞賛と労いの眼差しを向けた。なんだろうな。つい目が潤んでしまった。


 揃って大拍手に向かって頭を下げた。


 さて。ここからはいよいよクライマックスに向けて加速する。


 八曲目はアップテンポのアニメソングで助走をつけて、九曲目は感動系のドラマ主題歌で徐々に場の空気を作ってゆく。


 そしてラストの十曲目、その前に、このしっとりとした空気の中で先にしておくことがあるわけだ。


 それこそがこの文化祭のメイン。


 マイクを取るのは副部長兼部長代理のナンプだ。扮していた黄クマのメイクはキレイに落とされ、服装もいつもの制服に戻っていた。これは先程までの演奏中に少人数ずつで抜けて着替えを済ませる段取りをしていたためだ。だから今は部員に動物は一匹も混ざっていない。


 指揮台の横に立ったナンプが「聞いてください」と言い静かに頭を下げた。立ち上がっていた生徒全員も頭を下げる。ちなみにこの時僕は舞台袖で待機だ。これは生徒たちが主体でやるから意味をなすから。


 ナンプがポケットから取り出した紙をカサリカサリと開いてゆく。それは僕と彼とで何度も打ち合わせを重ねて、ようやく昨日完成した『声明文』だ。


 この役ははじめからナンプしかいなかった。梅吉が学指揮でなくて部長のままだったとしても、おそらく『声明文』はナンプが書き、読んだだろう。


 なぜなら彼が美音原みとはら中学を誰よりいちばん愛しているからだ。


 ナンプはまっすぐに前を見据え、そして語り出した。



「僕は美音原中学が、大好きです」


 伝われ。


「古い校舎も、ボロい体育館も、所々壊れたロッカーも、ぜんぶ、ぜんぶが、大好きなんです」


 伝われ。


「僕ら美音原中学吹奏楽部は、この四月から全校生徒で部活動を始めました。ほとんどの部員が初心者でした。それでも僕たちは真剣に吹奏楽と向き合い、そしてコンクールに挑みました」


 今でも甦る、あの夏の苦味。だけどもう苦いだけじゃないはずだ。みんなの中で、あの経験は確実に変化してきている。


「無謀と言われました。舐めとる、ち言われました。でも、それでも僕らには『やらなあかん』理由があったんです」


 悔しさは、やがて必ず大きな力となる。


「美音原中学は来年度より隣の天原中学との合併が決まっています。そうなれば『美音原中学』の名前は消えてしまう。それで、最後の年になにかひとつ、『美音原中学』として『残ること』をやりたかったんです。


 僕たちの心に

 先生たちの心に

 今日来てくださったみなさんの心に


 『残ること』を。


 『美音原中学』は、僕たちの『ミト中』は、今、たしかにここにありますっ! あるんですっ!


 『吸収される』『廃校になる』『なくなる』


 そんなこと、言わんとってくださいっ! 消さんとってくださいっ! 僕は……俺は、『ミト中』が、心から好きなんじゃ! 大好きなんじゃあっ!」



 ナンプの魂の叫びに、舞台上の全員が、泣いた。


 伝われ。伝われよ。僕たちの、俺たちの想い。


 歯を食いしばるナンプの肩にそっと触れて「よし、やろう」と囁いた。


 ナンプを戻して指揮台の横に立つと、客席を眺めて一呼吸ついた。


 十曲目。最後の一曲。曲目はもちろん『市立美音原中学校 校歌』だ。


 深々とお辞儀をすると、温かな拍手が起こった。指揮台にあがって、生徒たちの顔ひとりひとりと目を合わせる。


 やがてゆっくりと、指揮棒を動かした。


 はじめは楽器による演奏。二番の繰り返しに入るところで生徒たちは楽器をおろして立ち上がる。


 天文博物館にピアノはない。伴奏なしの、アカペラだ。それでいい、それがいいと判断した。


 校歌をやるなら歌は必須だと考えていた。

 なぜなら校歌は、歌詞ありきだから。


 《我らの美音原中学校》


 響け。伝われ。


 これが『美音原中学の音』だ!




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