#07 愛の告白ではない
翌朝教室へ入ると「おはよーヒビノ」といつも通り馴れ馴れしい口調で手前の数人に挨拶をされる。舐められているようにも思えるがこのくらいは気にしない。
変わらない朝、と思っていたがその雰囲気はやはり昨日をそのまま引きずっており暗さがかなりにじんでいた。
そんな生徒たちを前に、昨夜考えた『あの案』を言うかどうか、実のところまだ決めきれずにいた。言えばたぶん、あとには引けない。
だけど。
これは、チャンスでもある。僕にとっても、みんなにとっても。
「朝の連絡の前に昨日の話で、僕からみんなにひとつ、提案があるんだけど」
挨拶をしたあと生徒たちが着席したところで改めてそう切り出した。全員のキョトンとした顔が見える。静かに息を吸い込んだ。
「『数年前の卒業生の栄光』よりも、『在校生の功績』の方に勝ち目はないかな」
こちらに注がれる16人の眼差しを受けつつ続ける。
「僕にできるのは『音楽』だけだよ。それなら教えることができる。『音楽』それで日本一を獲れば、かなりの話題になると思うんだ」
「えっ、どういうこと?」
訊ねるのは梅吉だ。
「部活をするんだ。吹奏楽部。そのコンクールが夏にある。それで全国大会まで行ければ……どうだろう」
「そんなこと……できるん?」
言うのはナンプ。今回の件にいちばんショックを受けていた生徒だ。
「わからない。けどそれが一縷の望みかなと思うんだ」
「え、待って。それってつまり『中学の吹奏楽コンクールに出て日本一を獲る』ってこと? それって、めえっちゃ無謀やない?」
真知さんが言うとクラス全員がうんうんと頷いた。
「そや。音楽なん無縁じゃったし」
「楽器……リコーダーくらい?」
「リコーダーも下手じゃろおまえ」
「おまえもな!」
無謀、たしかにそうだ。恐らくほぼ全員が初心者だろう。かく言う僕自身も顧問としての経験はゼロだ。
「けどそれくらいしないと『有名宇宙飛行士の母校』には勝てないよ」
「それはそうかもやけど……」
全員が困惑していた。気持ちはわかる。僕だって何言ってんだこのイカレ教師が、と思うところだ。
「目標は『全国大会金賞』! それも全校生徒で出場してだ。そんな話題、絶対他校にはない! それさえあればこの中学の名前を消してもいいなんて言える大人はぐっと減る! 廃校は免れられないにしても、名前だけでも残したいんだろ!? どーなの!?」
「「やるっ!」」
言い終わるのとほぼ同時に二つの大きな返事が被さって驚いた。予想通り梅吉とナンプだった。
「ヒビノ、自信あるんじゃろな!?」
「えっ」
思わぬ問いに面食らった。
「そんだけ言うなら! ちゃんと指導、できるんじゃろな!?」
訊ねるその目は真剣だった。
「……もちろん。僕は、そのために教師になったんだから」
とはいえ実際、頭を抱えていた。
『全校生徒で』と決めた以上その説得をひとりずつしていかないといけない。気乗りしない生徒もいるだろうし、圧倒的に向いてない生徒が出てくる可能性だってある。無茶をさせれば保護者だって黙ってはいないだろう。
それから創部するにしても、合併が決まった今からなんて快諾してもらえるとは思えない。これも戦いになる可能性が高い。
そして部がないところから始まるわけだから当然楽器が全くない。そして予算もない。無償で貸してくれるあてをなんとか探さなければ。
さらに全てが揃ったところで全体のレベルはもはや未知数。地区大会は八月あたま。現在すでに四月の中旬。四ヵ月を切っている。
普通に考えて不可能だ。どうやっても不可能。
だけどやるしかない。もうあとには引けない。
なりふり構っていられない。
使えるものはなんでも使わないと。
「あの。用ってなんですか? できれば私、あなたと話したくないんですけど」
出だしから敵意むき出しなのはどうすればいいんだ。取説か攻略本がほしい。
『使えるもの』なんて言ったら本当に殺されそうだがいちばんに浮かんだのはやはりこの人だった。嫌われているのは百も承知。だけどだからといって貴重な『経験者』の力を借りないわけにはいかない。
天ぷら屋の勤務終了時間を狙って裏の休憩室で震えながら声を掛けたわけだった。
「美咲先生。僕と、美音原中の吹奏楽部の顧問をしてもらえませんか?」
「はあ?」
「お願いします……!」
深々と頭を下げた。ストレートに懇願。手はこれしかない、と思っていた。
「バカにされるかもしれないですけど……『全校生徒で吹奏楽部』を、やろうとしてるんです」
「え?」
「合併の話、ご存知ですか? 美音原中と、天原中の。このまま合併すれば美音原中の名前は消されてしまう。そのことで生徒たちがとても悲しんでるんです。……それで、考えたんです。『全校生徒で全国大会出場』これを果たしたらどうかって。世間的に話題になればその中学の名前を消すなんて安易にできなくなると思いませんか?」
熱く見つめあった。伝わる、きっと。音楽を愛したこの人になら。
「…………バカじゃん」
真顔で言うか。だったらいっそ笑ってくれ。
「無理ですそんなの。無理。絶対無理。まず全校生徒を説得するってだけでも茨の道でしょ。その上全国大会って……バカでしょ、あんたバカ」
指をさすな。唾を飛ばすな。
「バカは承知ですよ。けどそれしかないでしょ。いいんですか、美咲先生は。大切な母校の名前が消えても!」
「はー。男ってそういうの好きですよね。どうせ梅吉とかそのへんと盛り上がったんでしょ? バカが目に浮かぶわ」
「話を逸らさないでください。いいんですか? 美咲先生は!」
「いいわけないでしょ!? バカだな、ほんとに……」
強めに問いかけてみると反論しつつ窓辺に向かった。構わずその背中に声を掛ける。
「あなたの力が必要なんです。どうか僕を助けてください!」
再び頭を下げた。なんだか愛の告白みたいでとても嫌だが仕方ない。
「私を……巻き込まないでください」
涙声のそれは予想外の答えだった。
美咲先生は顔を伏せたままカバンを掴んで逃げるように出ていってしまった。
ふいにぞくりと背後に視線を感じた。
「振られたな」
「ああ。振られてたな」
天ぷら夫婦……。
「や。ちがいますよ」
慌てて大きく否定して会釈をするとまだニヤつく二人の前をすり抜けて自室へと逃げた。
振られた……というと語弊があるが、断られた理由は一体なんだ。
僕のことが気に食わないというのは少なからずあるにしても、彼女は学校に戻りたいと願っていたはずだ。
なのにここまで拒絶されるとは正直思っていなかった。
「先生」
「えっ」
ふすまを振り向くと、そこにはおかみさんのにっこりふくふくした顔があった。