#65 権力がない
本番を翌日に控えた金曜の夕刻、職員室に戻るといきなり声を掛けられた。
「響木先生、ちょっと」
このタヌキは、一体いつから僕のことをちゃんと『響木』と呼べるようになったのか。
「……なんでしょうか」
心当たりはあるようでいて明確ではない。どうせ教頭から僕への文句は無限にあるのだろうが。
「はは。明日の文化祭、楽しみですねえ」
「? ……ええ」
本当に思っているかはなんとも言えない。本心でないとすれば、なにか他に『楽しみ』な理由でもあると言うのか。いや、深読みはよそう。
「それで文化祭の後に部活動を終わるち言う話は、生徒たちにはちゃんとしてもろてるんでしょうね」
ドキリとしてしまった。
話していない、わけではないが。
「そこんとこ、しっかりとお願いしますよ。後味悪いんはお互い嫌ですもんねえ」
ああ、わかっている。でも生徒たちの気持ちはどうなる。
「約束ですからね。文化祭以降は『なにがどうあっても』部活動は終わる、ちいうのは」
「それは……生徒たちが部の存続を強く望んでいてもですか」
「そうです」
く。堅い大人め。
「それを説得すんのも響木先生の役目です。そのくらいわかってもらえとるち思てましたけどねえ」
ああ。その通りだな。自分の意に反していても、それが役目だからと割り切る。それがいわゆる立派な大人で、実にくだらない大人だ。
「では鍵を返してください」
「えっ……」
なんだって?
「今後音楽室の鍵は私が預かります」
「そんな、なぜですか」
「そのくらいせんとあんたはまたやる。生徒らに泣き付かれたら『なんとかする』ち、絶対に言うでしょう!」
参った。返す言葉がない。
「響木先生が説得できん言うなら、生徒らには私から言いましょう」
「いえ、それは僕がやります」
「なら同席します」
ああ、お手上げだ。
ごめん、みんな。
僕には……権力がない。
空は晴天、気温は高いが風はからりと秋の風。
今日は文化祭当日──。
楽器搬入を終えて個人の音出しの間、少しだけ外に出て風に当たっていた。
今後どうなるにしても、『全校生徒』は今日で最後だ。春からいろいろあった。そもそも創部から、部員ゼロからここまで来たんだ。
我ながら、よくやったとそう思う。
悔いがないと言えば嘘になるが、ここでの終わりはある意味できりはいい。
今日この本番が終わったら、部活動の終了をみんなに告げる。鍵まで奪われてしまってはもう強行のしようもない。
ここまで、か。
「秋の空というのは、美しいですがどこか物悲しさがありますねえ」
突然聞こえた声に驚いて振り向いた。
「……ああ。お久しぶりです、宮下さん」
「はは。もしかしてまた一服なさってるのかと思ってドキっとしましたよ」
笑われて「まさか」と緩く否定した。
「今はまだ『僕』ですから」
「あれ以来は安定しておられるんですね」
「はは……まあ」
すっかり合宿での印象が残ってしまったらしい。
「またリハーサルから見させてください。そして今度こそ記事にさせていただきます」
「ああ……。よろしくお願いします」
その『記事』が、のちのミト中にとって意味のあるものとなることを、切に願う。




