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#62 大丈夫ではない

「梅吉、テンポ悪い!」

「梅吉合ってない」

「梅吉」


 ここで異変に気がついた。合奏をとめると指揮棒を置いてひとりの生徒に向かって訊ねる。


「体調悪い?」

「えっ……。そんなことない」


 梅吉はそう答えてトランペットを再び構えた。「よ『響木先生』に戻れ」そう言われたがそうはいかない。


「ナンプ、熱みて」


 僕の指示でナンプが楽器を置いて梅吉の額を触ろうとした。けど相手はそれを強く拒む。


「やーめろ、大丈夫やち言うとるじゃろ! ほれ合奏するぞ、文化祭までもう時間ないんじゃ。指揮棒持て、ヒビノ!」


 頑固だな。気持ちはわかるが生徒の健康は最優先だ。少し悪いとは思いつつ、まあ本人もそれを望むようだし『あの手』を使うことにした。


「……帰れ」

「えっ」


 指揮棒を片手に坊主頭を見下ろした。


「邪魔」

「な……」


「音が揺れてる。テンポもずれる。合奏の邪魔だ。帰れ」


 力のある涙目を見ても俺はなんとも思わない。


「おまえが抜けないなら今日の合奏はもう終わる」


 梅吉は、部想いのいい部長だ。涙目のまま俺を睨んで、音楽室を出て行った。




「じゃ終わります……ん」


 合奏を終えると僕の耳は微かにその音をキャッチした。これはトランペットの音。まさか、いや間違いなく、梅吉のものだ。


 音楽室を出て足早に階段を降りると、ナンプがついてきた。


「あいつ帰ってないんか」

「みたいだね」


 二人で教室のドアを開く。窓際の席に、トランペットを机に置いたそばで突っ伏すキウイ頭があった。


「梅吉!」


 触るとやはりかなり熱かった。


「なんで帰らへんかったんや、アホか!? こんな熱でラッパなん吹けるか!」


 ナンプに一喝されると「時間……ないやん」となおも立ち上がろうとする。仕方なく先に楽器を取り上げた。


「……なんするんじゃヒビノ。俺の楽器に」

「今日は帰って。梅吉」

「嫌や」


「まず治すこと。それがいちばんの近道だよ。こじらせて本番出られなくなったらどうすんの」


 梅吉は悔しそうに睨んでいたが、「はあ」とため息をつくとそのまま再び突っ伏してしまった。


「歩けん……」


 やり過ぎだ、どう見ても。



 ずし、ずし、と効果音が鳴るように、僕の両足は歩みを進める。暑い。九月はまだ夏だ。


「代わろか? ヒビノぉ」

「大丈夫……」


 小柄だがそれでも男子中学生。背負うのは結構重い。だけど養護教諭も運悪く不在でその上もうすぐ下校時刻。自宅への連絡を本人が断固拒否したためもうこれしか手はなかった。


 隣の貫禄生徒の方がいくらか安定感がある気はしないでもないが大人の意地で交代はしたくない。


 だらんと身を預けて眠る梅吉はまだかなり熱く、時折「うう」と唸っている。すると。


「ヒビノ……」


 背中からかすれた小さな声が聞こえた。


「学指揮、やりたい」


 梅吉……。


 とにかく家まで運ばなければ。息を上げながらナンプと並んで田舎道を進んだ。


「ここじゃここじゃ」


 ナンプが指さす先には『梅田』と太く書かれた表札があった。いたって普通、少し小さめの一軒家。春に家庭訪問で訪れて以来、二度目の訪問となる。




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