#61 わかっていない
こうして会場もなんとかおさえた。曲目も決まってあとは来賓の依頼とそして練習……と、ひとつやりたいことがあった。
「がくしき……?」
「そう。『学生指揮者』。この中から誰かひとりに『指揮者』として振ってもらいたいんだ。一曲だけだけど」
言いつつひとりの顔を見た。
「久原くん、やってみない?」
訊ねると違う方向から「えっ」という声がした。反射的にそちらを向くと見慣れた坊主頭がこちらを見上げている。
「それ俺やりたい!」
言うと思った。
「ああ……。やる気があるのは嬉しいけど、梅吉は部長でしょ? 兼任はなあ」
普通は部長とは違う生徒がやるものだ。
「べつにええんちゃう? 梅吉でも。ちうかなんで俺?」
言う久原くんの顔には『面倒ごとパス』と書いてあった。
「けど誠司兄にならなに言われても誰も反発はせんよなあ?」
言うのはナンプ。そう。僕もそれを考えていた。古くからの仲の彼らには緩いが上下関係が植え付けられている。下に見ている者からの指示や助言を素直に聞くのは年齢的にも難しいのでは、と考えた。
「それにもし誠司兄が暴走しても、真知がおるし」
ナンプの発言に真知さんは「え、なんで私!?」と目を剥いた。
「誠司兄の世話役言うたらいつでも真知じゃろ」
雑多な言い合いになってきたので話を総括して改めて彼にオファーを出してみた。
「どう? 嫌? 久原くん」
「嫌」
はは、即答だ。
「……まあ無理にとは言わないよ。でもちょっとは考えてみてほしい。ああ他の人ももしやる気があれば遠慮なく言いに来てください」
不貞腐る梅吉が視界に入っていたが今は触れずにこの話は打ち切った。
「ヒビノ……」
来ると思った。
「ダメだってば。部長ってだけでも文化祭ではいろいろ仕事があるでしょ。楽器の練習する暇なくなったら本末転倒」
「でもやりたい」
「ダメ」
「なんで」
「無理してほしくない」
「無理ちがうわ」
「無茶だよ」
「でもやりたい」
正直ここまで食らいついてくるとは思っていなかった。情熱は嬉しいけど、これを許せば梅吉だけを僕が贔屓していると取られる可能性だってある。
「俺、ヒビノから、響木先生から指揮を学びたいんや!」
真剣な目を見ていられなくて近くの楽譜に視線を逃がした。
「……とにかく兼任はダメだよ。部長として梅吉も学指揮に合いそうな人を探すの手伝ってよ」
不服の顔を残して僕は先に音楽室を出た。
結局その後も立候補者は現れず久原くんにもきっぱりフられて学指揮の席は空いたまま日だけが過ぎていった。
「梅吉にやらしゃええやろが。あんなやる気あんのになんであかんのじゃ」
久原くんはそう言った。僕もそれがいいと思わないわけではない。それでもできれば別の生徒にやらせたかった。
「潰れるかな、と思って」
理由はそれに尽きる。
「潰れる?」
久原くんは眉間に深くシワを作ってこちらを見た。う。なかなか恐い。
「侮ってるわけじゃないけど、心配なんだよ」
やることが増えればそれぞれに対してやれる量は減る。それが知らず知らずのうちに技術向上の妨げとなって、『できない自分』に苛立ち、やがて破滅へと向かう。
「ふうん……。俺はやらさん方があいつがどうなるか心配やけどな」
「……ええ?」
僕はまだまだ、生徒のことをちゃんとわかっていなかったようだ。




