#60 ホールではない
寝る前、天ぷら屋の二階の自室で小さな画面を開く。
検索内容は『県立文化会館利用料金』。
「う……そんなにするのか」
小ホールとはいえそこそこの広さのある会場。楽屋利用や他にも必要経費を考えるとかなりの高額になりそうだ。
「んん……」
学校に頼むことはまず無理だろう。教頭の憤慨する顔が目に浮かぶ。近隣の店にスポンサーになってもらう手もなくはないがやはり教頭に嫌がられそうだ。そもそも近隣に店がほぼない。
ではどうすれば……。
ふと見ると、「私をお忘れなく」と言うようにカバンからある人物の名刺が顔を出していた。
『迫田出版 記者 宮下 重雄』
たしかにその存在のことはすっかり忘れていたが、今宮下さんに連絡をしたところでなんの解決にもならない。
ため息をついてしまおうと名刺ケースを開く。するとまた別の名前が目に飛び込んできた。
『天原天文博物館 館長 西野 湊斗』
梅吉がこの名刺をもらって興奮していたのを思い出す。『館長』の肩書きで価値はあるのかわからないが『有名人』には違いない。
──僕でなにかお役に立てることがあれば、なんでも仰ってください。
たしかにそう言われはしたが、大人の世界でのそれはいわゆる『社交辞令』。真に受ける奴はそういない。
だいたい『西野 湊斗』の名前があったところで小ホールが無料になったり安くなったりするものでもない。というか彼の名前を利用するなんて『打倒・西野 湊斗の母校!』なんてスローガンが本末転倒だ。
「ああもう」
考えが迷宮入りして畳の床に寝転んだ。
その拍子に名刺ケースから宮下さんと西野さんの名刺が畳に滑り出た。
ふと思い出したのは初夏にやったサマーコンサート。あの会場も、悪くはなかった。
──利用料金とかはないんですか?
──ええ。毎年無料でお貸ししています。
そんな会話も、たしかした。
じっとその名刺を見つめて「ああ、そうか」と僕はゆっくり起き上がる。
「……天文博物館だ」
小ホールにこだわる必要がないことにやっと気がついた。
「わざわざお越しいただかなくても、電話でもよかったのに」
歳の割に若く見える50歳手前の館長さんは天文博物館の館長室でそう笑った。聞けばあの頭の宮下さんと同学年だというから世の中は実に不公平だ。
「いえ。こういう話をするのにお会いできる距離にいながら伺わないのは失礼ですから」
とはいえ一日数本のバスで片道一時間もかかるが。
「それにしても、本当にこんな小さな所でいいんですか? せっかくの文化祭なのに」
疑問に思われるのは当然だが理由をすべて話すのはあまりよろしくないので「まあいろいろと事情がありまして」と茶を濁す。
仮の日程とだいたいの予定観客数、公演時間などをざっくりと説明させてもらって打ち合わせは終わりとした。
「ありがとうございます、本当に助かりました」
改めてお礼を述べると館長さんは「いえいえ」と微笑んだ。
「嬉しいですよ。いつかちゃんと話してみたいな、と思っていたんで。響木先生と」
「えっ、僕とですか?」
有名人にそんなことを言われて嬉しくないことはないが一体なにを話したいと思われたのか。
「『全校生徒で吹奏楽部』。聞いて純粋に楽しそうだなと思います。僕は部活とかはやってなかったので」
「ああ……はは」
『無茶だ』という声も少なからずあるが。
「響木先生、失礼ですが今おいくつですか?」
「え、28ですけど」
突然の質問に戸惑いつつ答えると「ああやっぱり」と微笑んでこんなことを言う。
「僕が『宇宙飛行士』を志したのもちょうどそのくらいでした」
「えっ!? そうなんですか?」
驚いた。てっきりもっと早くから目指さなければなれないものかと思っていたから。
「それで実際職に就いたのはもっと先、30代後半ですからね。だから──」
言いながら館長さんはまたにこりと笑む。
「響木先生も、これからの人生まだ何が起こるかわかりませんよ」
妙に説得力があった。経験した者にだけできる業なのかもしれない。
「どうでしょうね……」
「はは。すみません。いきなりこんな話。じつは響木先生の指揮のこと、少し娘から聞いていまして。その才能、カリスマ性。宮下さんも絶賛していました。だからもしかしたら、響木先生の未来にはなにか凄いことがあるんじゃないかって、なんとなく思ったんですよ」
参った。ああ、すごく参った。
「や、よしてください。買い被りすぎです」
全力で否定したが「はは」と笑われただけだった。
「チャンスはどこにあるかわかりませんから。見落とさないように、潰してしまわないように、よく気をつけてください」
そう言うと「お引き留めしてすみません」とお辞儀をされたのでこちらも慌ててお辞儀を返した。
「ミト中と響木先生の幸運を祈ります」
うん。やはり有名人はひと味違った。




