#59 タヌキではない
翌、月曜──ここは職員室。
今日は近くの神社で祭りがあるとかで朝からそれについての連絡があった。
教頭は生活指導で見回り担当の中村先生と打ち合わせがどうの、と忙しそうにしていたが、僕はそこに恐縮しながら「すみません」と割って入る。
今日じゃないとだめなんだ。
コンクール明け初日の今日許可をもらわないと。
「はあ、言うと思いましたわ」
向かいに座るタヌキおやじは忙しいなか時間を取られて不機嫌極まりない、といった様子でそう言った。盛大にため息をつかれてはこちらもさすがに不快だ。
「このまま終わっては生徒たちの気持ちがおさまりません」
用意してきた文句を述べるが、果たしてタヌキに通じるだろうか。
「ほんまにそうですかねえ……。言うたら悪いですが、気持ちがおさまらんち言うんは、日比野先生自身なんやないですか?」
ふむ。ついに面と向かって小言を言われるようになったか。
「生徒たちのせいにして、彼らを巻き込むんは、やったらいかん」
黒タヌキ……。
「演奏……」
「……ん?」
「生徒たちの演奏、ちゃんとお聴きになったことはありますか」
「ああ、いっつもここで聴いてます。まあ素人の耳でもそれなりに上手なったんはわかります。それも日比野先生の実力やち、私も理解はしとりますぅ。ほでも、約束は約束。三年生は受験も控えとる」
「職員室から微かに聴くのと、目の前で聴くのとでは音は全く違います。一度ちゃんと聴いていただけませんか。『美音原中学吹奏楽部』の音を。全校生徒の声を」
「……んん」
ただでさえ暑いちいうのに、と小声で言うのが聴こえた。僕の発言が暑苦しいって? 言ってくれる。
「文化祭という、機会をどうかいただけませんか」
お願いします、そう深々と頭を下げた。
ミト中の生徒たちのためなら、僕はもうなんだってできる気でいた。何度だって頼み込むし、しろと言うなら土下座だってやる。
こんな中途半端で、終われるわけがないから。
「……ふぅむ。わかりました。けどほんまにこれで終わりですよ。これ以上は付き合えん。二度目の延長は絶対にせんと今ここで約束してください」
文化祭は九月末。つまりたったのひと月半しか活動延長は許されなかったということだ。
「約束、できますか」
じりっと睨み合った。
「……わかりました。活動は、文化祭で終わります」
「ほんまですね?」
「本当です」
教頭はなおも信用ならん、という顔をして「ふん」と鼻を鳴らした。
大人として、今度の『約束』はたぶん無視できない。だが許可は出た。それならこれでいい。あとのことは、あとで考えればいい。
最後にまた深々と頭を下げて職員室を出ると、廊下で梅吉とナンプが待っていた。
「……練習してろって言ったのに」
「なん言う。またひとりでカッコつけよって」
苦笑いをして二人とともに廊下を進む。
「教頭ほんまに最低じゃ。ヒビノのこと勝手なやつみたいに言いよって」
腐るのは梅吉だ。
「入ってって怒鳴ってやりたかったけど、ナンプがとめるよって」
「梅吉ひとりでギャーギャー騒いでも変わらんじゃろが」
「あのタヌキ、ヒビノが羨ましいんじゃわ」
「おいおい、悪口はよしてよ」
慌ててそうとめた。僕は思っていても絶対に口には出さないからな。
梅吉は構わず話し続ける。
「春に来たばっかやのに、みんなからこんに慕われて部活も上手くいって気に入らんのじゃろ」
なるほど。いや、だけどさすがに大人だ、そんな気持ちだけで嫌がらせをされては困る。
「教頭の言うことももっともだよ。約束が守れない教師なんて生徒たちに示しがつかないからね」
梅吉は「ふうん」とだけ応えてまだ不満げにしていた。
僕はくすりと笑って「曲決め、早速進めよう」と切り替える。
「おう」と元気な返事がもらえた。
さて、次の課題は『会場』だ。
学校行事の文化祭とあって少しは学校に資金援助を期待したが甘かった。タヌキおやじ。僕のことはともかく自身の娘である美咲先生だって関わっていることなのに。
「ああ。基本的に会話はほとんどしないから」
天ぷら屋の店員姿の彼女は僕にコップの水を出しながらそう話した。
「あのおやじは『音楽』が嫌いだからね。だから音楽教師になった私のこともよく思ってないの」
冷ややかに言う姿を前になるほどいろいろと納得ができた。
「あのタヌキに味方になってもらおうなんて甘い考えは捨てたほうが懸命です。むしろ妙な手で邪魔されないように警戒した方がいいくらい」
「実の娘がそこまで言うんですか」
「ほんとにですよ」
やはりタヌキなのか。まあここに来てすっかり悪役に化けたあたりもタヌキらしいが。
とにかくなにをされようが文化祭を成功させるだけだ。というか自校の行事を邪魔する教頭なんてさすがにないと思いたい。




