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幕間 借金ではない①



「なあ先生ぇ、これ、先生の?」


 心底不思議そうな顔をして天ぷら屋〈たちばな〉のおかみさんが母親の顔で問う。その手には見慣れない黒のTシャツがあった。


 合宿にコンクールにと怒涛の日々が終わり、高校の部があった昨日を一日休日とした休み明けの朝、出勤前のことだった。


「え……っと」


 見慣れない、と思ったがどこかで見たことがある気がしてきた。もちろん僕の、ではないが。



 下宿という名の居候をしているわけだが基本的に洗濯は任せていない。おかみさんは「そのくらいやってあげるのに」と言うがいくら大家さんだからといってそこまで甘えるわけにはいかない。まして下着なんかを見られるのもどうかと思うし。


 とはいえ干すのは天ぷら夫婦の衣類と同じベランダの竿だし基本的に帰りの遅い僕に代わっておかみさんが取り込んでおいてくれることはよくあった。……というか、まあ、なんだ、ほとんど毎日そうだった。


 というわけでこの謎の黒Tが天ぷら夫婦の洗濯物に紛れてしまっていたらしい。


「先生ずうっと忙しかったもんねぇ、たぶん合宿の日ぃの洗濯物やったみたいなんやけど。生徒さんの誰かのが混ざってしもとったんやろか」


 渡されて手にすると男性用のMサイズ。前面は割とシンプルだが背面は大きめの英文がなかなか激しいデザインだった。


 生徒の誰かの……か。なるほど。宮下さんからタバコをもらっていたという合宿三日目の僕の行動を思えばまあだいたいの予想はできた。


「心当たりあるので。預かってもいいですか」



 確信はないが合っている確率は極めて高かった。サイズやデザインから消去法で彼しかいない、とも言えたわけだが。


 にしてもなんでよりによって『彼』だったのか。サイズ的な問題だとしたらそこは温厚なナンプとかにしておいてくれたらあとも怖くなかったのに、と今更どれだけ思っても後の祭りだ。


 はー。タクトめ。

 僕がいない隙によりによって久原くんに『借り』を作るとは。これはあとが怖いぞ。




「おー。大事な限定モンのTシャツやからなあ。キッチリ『借り』は返してもらわんと」


 この生徒とは正直あまり関わりたくない。

 その日の部活終わり、僕は嫌々ながら久原くんを呼び止めていた。


「だから。返したでしょ。ほら」


「現物だけ?」

「……ほかになにがあるの」

「感謝の気持ちは?」

「……持ってるよ。ありがとう」

「いやいや。目に見える形で示してもらわんと。『利子』とか『利息』って言葉、知りよんやろ? 大人なんやから」


 ほら。こういうことになるんだ。


 な? と肩に触れてニッと笑う顔がサマになり過ぎていた。あまりの上手さに本物の借金取りかと見紛う。


「わるいけど、特別になにか買ってあげたりとかは」

「大丈夫。買わしたりはせん」

「……ええ?」


 また変なことを言ってくるんじゃないだろうな。思わず身構えると久原くんはニヤリと笑ってこんなことを言い出した。


「今夜の祭り、付き添いやってや。俺の」


「……付き添い?」


 そうだ、今日が神社の夏祭りだと朝に教頭が言っていた。


 たしか生活指導担当の中村先生が見回りに出るだとか聞いたはずだが。


「なんで付き添いなんか」

「ブラックリストでよ」


 不穏な言葉にたじろぐ。

 怪訝な顔をする僕に不良は微笑んだ。


「去年ちょっとな。タバコ、バレてもて。今年は『良識のある大人』と一緒やないと会場に入れんのよ、俺」


「なんなのそれ」

「だからブラックリストやん」


 問い返す気も失せた。


「ほんまはおまわりの人に頼もかち思うてたんやけどな。あんたが空いてんのならそのほうが自由度も上がるやろうし」


「嫌と言ったら?」


 ちらり、とそこの譜面台に置いた指揮棒を見つつ言う。


「おいおい。これは『頼み』やのうて『利子』やちうの」

「断れないってこと?」

「悪い話やないやろ。どうせ見回りに駆り出されるんやろ、若手のあんたは」

「いや……」


 駆り出されてなんかない。たぶん戦力外と思われているんだろう。こちらとしても好都合だが。


「なんでそうまでして行きたいのさ。なにか目的でもあるの?」


「ある」

「なに」


「射的や」

「射的?」


「景品がいいんよ」

「はあ」


「俺がやれば絶対獲れるもん」


 すごい自信だな。


「どんな景品なの」

「最新のゲーム機」

「え」


 正直意外だった。久原くんとゲームが結びつかないような気がして。


「久原くんもそういうの興味あるんだ」

「あるわ。俺をなんやと思いよん」


 彼もこれで中学生らしい面があるんだな。


「天原の中古屋に持ってけば新品なら最低でも三万はくだらんで。射的一回の二百円が三万になるんや。こんなチャンスなんとしてもものにしたいやろが」


 やはり久原くんは久原くんだった。


「とにかく今夜。六時に鳥居んとこな。ほんじゃ」


 というわけで見回り担当でもないのに夏祭りに出向くことになってしまった。



 夏はなかなか日が落ちない。

 夕刻とはいえ暑さはそれほどやわらがず、僕のシャツは汗を吸ってじっとりと肌に張り付いてくる。


 鳥居で落ち合った僕らは男二人連れ立って屋台の並ぶ境内を進む。


 りんごあめにチョコバナナ、からあげ、ポテトフライ。田舎にしては充実のラインナップだ。


 食べ盛りのはずの久原くんは脇目も振らず進んでゆく。買わないのかと問うてみると「祭りで男二人で食うてもウマないわ」と。ほんとうに子どもらしさのカケラもないな。


「そいや前から思いよったんやけど」

「なに」

「なんでいつも長袖なん?」


 思わぬ素朴な質問に笑ってしまった。


「べつに。なんとなくだよ」


 買うのが面倒。それとエアコンがつく職場にいると時に寒さにみまわれるためだ。長袖は捲れるが半袖は伸びない。説明してもどうということのない理由だから説明する気はない。


「暑いやん」

「まあ暑いね」


 久原くんは「わからんやつや」とボヤいて前を向く。


 射的だけが目的だと言うから今日は射的だけ付き合うという約束にしてもらった。


 前回のハンバーガー店での面倒ごとを思い出したわけではないけど、とにかく僕はこの生徒とあまり関わっていたくないんだ。


「射的屋って、あれかな」


 前方に見えてきた屋台を指して訊ねてみると、「おお。そやな」と久原くんが頷く。


「ほんならちょっと待って」

「え?」


 言うやわき道に逸れてカバンからクシや帽子を取り出し支度をし出す。


「……なにしてんの」


「なにって、変装」


 ほんまは黒髪にでもしたらええんやけどな、などと言いながら髪を撫で付けてひとまとめにし、帽子を目深に被った。


「今から俺はあんたの弟、いう設定や」


「はあ?」


 なんでそんなことになるんだ。


「普段は海外に住んどって、夏休みってことで兄貴の下宿に遊びにきた。今日すぐ帰らなあかんから思い出作りに祭りにきた」


「妙に細かいな」

「細かな設定がないとリアリティが出ん」


「でも言葉がぜんぜんちがうでしょ、僕ら」


 さすがに弟が訛りすぎていては不自然じゃないか。


「そんなの余裕で直せるよ」


 う、おお。不覚にも鳥肌が立った。完璧なイントネーションだった。


「すご……いね」

「俺を誰だと思ってんの。お兄ちゃん」


 う……なんなんだこれは。全力でやめてほしい。湧き出る手汗が半端じゃない。


 久原くんは「イケるよね?」と不敵に笑うと射的屋にむかって歩みを進めた。いやちょっと待ってくれ弟よ。


「待って待って。まずなんで変装なんかするのか教えてよ」


「そりゃ『久原 誠司』は出禁だからだよ」

「出禁!?」

 なにをしたんだ。


「見ればわかる」




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