#58 同じ場所と思えない
バスから電車に乗り換えて数駅、そこから歩いてたどり着いたのは【県立総合文化会館】。昨日と同じ大ホールに再び足を踏み入れると、高校の部とあって客席を埋める人数も多い気がした。
制服姿の高校生が多いが、中にはビシッと決まった部独自のユニフォームに身を包む名門校もある。皆真剣な顔の生徒ばかりで、こちらも自然と気持ちが引き締まった。
アマ高の出番を確認しつつ、美咲先生と並んで座席に腰を降ろした。
二度目の合宿で突然『顧問』という指針を失ったアマ高吹奏楽部。はじめこそうろたえていたがそれでも生徒たちは必死にくらいつき、弱点を強化し、歯を食いしばってやってきた。
それを、その全部を今日、この場にぶつけるんだ。がんばれ。アマ高のみんな。
「やっぱり高校生ってレベル高いですよね」
「そりゃ、中学生とは経験だけじゃなく肺活量だってちがいますから」
「響木先生は、高校の先生になろうとは思わなかったんですか?」
「……ええ?」
いきなりなんだ。
美咲先生は「興味本位。あと暇つぶし」とニタリと笑った。相変わらず困った人だ。
「べつに大した理由はないです。ただ高校って中学からやってきた生徒と高校から始めた生徒がいるじゃないですか。だから最初から実力に差がある。でも中学はほとんどの生徒が初めて楽器に触るわけですよね。スタートが同じっていうのがなんかいいなって、ただそう思っただけです」
「ふうん」
訊いておいて三文字で返すな。
つっこむ間もなく最初の出番の高校が舞台袖から現れ始めた。
心配した松阪先生の体調はなんとかなったようだった。舞台上の彼女をひと目見ただけではその変化はまったくわからないが、やはり服装は少々ゆったりとした印象だった。もっともそれに気づくのは彼女が妊娠していることを僕たちが知っているからなのだろうが。
やがて舞台上の生徒全員が着席。指揮台に立つ松阪先生の指揮棒が、す、と挙げられた────。
上手い学校というのは一音目ですでに違う。その点でやはりミト中のレベルの低さは否定できない。
ああ、これは。
そう思わせるほど、アマ高は上手かった。
宮下さんが録音してくれていた僕が指導した合宿三日目の合奏、あまりちゃんと聴かなかったことを少し後悔した。まだ消してないようならあとでデータをもらっておいてもいいかもしれない。
音の粒が明瞭だ。
跳ねて、転がる。それが心地よく揃う。
テンポのズレが少しもない。
個人の演奏レベルも高い。
ひとりずつがちゃんと曲と楽器を理解して、妥協せずに一音ずつに全力を投じている。
ああ。いいな。心地がいい。音程のピッタリ合った音が溶け合って、まるでひとつの楽器のようだ。
鳴る。鳴れ。そう、そこだよ。
なんと美しい吹奏楽か────。
涙混じりの歓喜の声が響く。ここは昨日僕らが悔し涙を飲んだのと同じ場所のはずなんだが。
同じ場所、とは思えなかった。
「おめでとうございます。アマ高、金賞。支部大会進出、すごいです」
確かにもともとアマ高の演奏のレベルは高かったもんな、そんなことを思いながら素直に賞賛すると松阪先生はこんなことを言い出した。
「やだ、ぜんぶ響木先生の指導のおかげですよ」
「え!?」
なにを言うのか。
明るく微笑む松阪先生を前に目を見開いて恐縮した。
「そんなまさか。生徒たちと松阪先生の実力ですよ」
本当に思って言ったが相手はそれを大きく否定してきた。
「お世辞じゃないです。合宿を境にあの子たち本当に変わったんです。だから絶対に響木先生の指導のおかげなんです」
そう言われては上手く否定はできないが。
「もし良かったら、また指導しに来てください。支部大会に向けてまだまだ練習しなければならなくなったので」
「はは……」
言ったほうに悪気はないんだろうが、じつに羨ましいセリフだった。
「それに私も見てみたいですし。指揮をする『響木先生』」
「えっ、いやあ……」
大先輩にはとてもお見せできるようなシロモノではないのだが。出張指導については曖昧な返事で流しつつ、忙しそうな松阪先生に頭を下げてその場を離れた。
帰り道、美咲先生が「本当に上手かったもんね」だとか「来てよかったです」だとか話していたが、僕は曖昧な返事しかできずにいた。
そうか。金賞か。支部大会か。
自分たちがあえなく掴み損ねたそれを、こんな近くで見事にもぎ取られてしまうとは。
もちろん簡単に獲たわけでないことはわかっている。マグレや奇跡でないということも、彼女たちがそれ相当の、血のにじむような努力をしてきたことだって、理解している。
でもそれは、ミト中だって────。
関わった学校の快挙はもちろん嬉しい。だけどそれ以上にあるのは、羨望、嫉妬、そして後悔……そんなくだらない気持ちばかりだった。
はあ。いけない。
「悔しいですね」
声にはっとして隣を見ると、美咲先生がどこか頼もしい表情で拳を握っていた。
「悔しい……ですね」
言葉を染み込ませるように、繰り返してみた。すると美咲先生はこくこくと大袈裟に頷いてくる。
「はい。悔しいです。ホント言うと、なんでなのっ! っていろんなものをぶっ壊したいくらい、悔しい! ホント、悔しいっ! でも、もう済んだことです。だから、……だから、いっぱい悔しがって、切り替えましょう」
ああ、本当にその通りだ。
「……ありがとうございます」
思わず頭を下げると「な、なんですか」と目を泳がせるからなんだか笑いが込み上げた。
「なっ、なんで笑うの?」
「……いや、すみません。『ちゃんと悔しがれ』って生徒たちに言ったのは僕だったのに」
「言ったのは『ワタル』じゃなくて『タクトくん』でしょ?」
「その説明はもう省略しません?」
美咲先生は「ふふ」と楽しそうに笑った。
「憂さ晴らしにバッティングセンターでも行きます? たしかこの近くにありましたよね」
言いながら野球の素振りをして見せる。
「僕がそんなのやるとでも?」
一瞬黙って見つめ合って、どちらからともなく笑った。とめていた歩みをまた進める。
「ああ。でも美咲先生のおかげで吹っ切れました。あと、こうやって本気で悔しがったり羨ましがったりできるのが、ほんとに幸せなんだなってことにも気が付きました。そう。こういうのがやりたかったのかもしれないです。僕はずっと」
「へ? 悔しがりたかったの?」
微妙にはずして来るからまた笑う。
「勝利ばかりが『いいこと』とは限らない、ってことです。負けて悔しい、この経験が糧になる。人としての魅力になる」
一瞬キョトンとしていた美咲先生は、それからなんだかとても嬉しそうに俯き加減に口角を上げていた。
夏の夕空は水彩画のようで芸術的だった。盆踊りでもあるのか、駅前には浴衣姿の人がちらほら見える。
「いい夏でしたね」
「……そうですね」
湿度を帯びた夕風が僕たちを弱く包む。盆踊りの太鼓の音が弱い蝉の声に混ざって微かに聴こえる気がした。
その苦味も、あの輝きも、全部含めて『良さ』だと思う。全部含めて、好きだと思う。
いつもありがとうございます。
『3 コンクール期』これにて終了です。次は文化祭!




