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#57 怒ってはない

 翌朝。

 バス停で、と言ったのに美咲先生はちゃんと天ぷら屋まで迎えに来た。案の定おかみさんに「どないしたん?」と目を丸くされてしまい対して僕は目を細める。


「コンクール、高校の部を観に行くんです」


 事実を述べたのに「ほほう?」とニヤつかれて参る。


「なんや二人ずいぶん仲良うなったね? 二回目の合宿のあとくらいからやろか」


「……気のせいでしょう」


「いんや。だって昨日も二人で夜に喫茶店なんか行ってたんじゃろ?」


 横目で見られてたじろいだ。なぜバレているのか。特殊連絡網でもあるのではないかと疑いたい。


「昨日は反省会をしてただけですよ」

「先生らだけで?」

「……そうですけど」


 う。なんだろうな。居心地の悪さにたまらず「バスに遅れちゃまずいので」と早めだったが打ち切った。


「行きましょう」そう促した相手を改めてしっかり見る。と。


「……なんですか?」

「いえ……べつに」


 綺麗だな。などと思ったことを慌ててかき消した。なんなんだ。生徒のコンクールとはいえ音楽鑑賞をしにホールに行くんだ。ある程度品の良い格好くらいしていて当然なのに。


「あ、待って」

「えっ、なんですか」


「糸くず。取ってあげる」


「…………」


 やりづらい。それに尽きる。


「美咲先生」

「はい?」


 誤解を招くような行動は

 お互いのためでもあるから

 妙な噂が立っては困るし


「…………なんでもないです」


 面倒になって思考を手放した。


 にっこり笑顔で陽気に手を振るおかみさんに見送られ、ギクシャクしながらなんとかバスに乗り込んだ。



「昨日のこと、怒ってます?」

「……どのことですか」


 思い当たることがありすぎた。

 相手もそれがわかったらしく「ぶふっ」と噴いて笑う。


「じゃあまず、お酒、飲ませようとしたこと」

「べつに怒ってないです。憤っただけで」


 バスはやたら大きな排気音を立てながらのっそりと動き出す。いつも思うが相当の高齢バスなんじゃないだろうか。


「ふふ、怒ってはないんだ?」


 ポジティブは長所とは限らない。


「潰れるまで飲むのとか……やめた方がいいですよ。いくら慣れた場所だからって」


 がたん、と車体が揺れて僕と彼女の身体が密着する。バスの座席が狭いからって少し近すぎやしないか、とわざと端に寄る。


「普段はそんなことしませんよ」


「ずいぶん慣れた雰囲気でしたけど」


 会計をしてくれたマスターとはほとんど親戚のように話していた。


「……昔はね。離婚したばっかの頃は」


 あ……。


「それこそ、ヤケ酒。誰が悪いわけでもなかったから、気持ちをぶつける先がなかったの」


 この話題には立ち入るべからずとずっと思ってきたが、こうなればあえて避けるのも悪い気がしてあえて話題を変えようとはしなかった。


 ふわ、と効きすぎた冷房の風が手の甲に掛かる。


「相手は……責めないんですか」


 訊ねてみると美咲先生は僕が事情を知っていることに対してとくになにを言うでもなく淡々と答えた。


「彼は悪くないよ。私が選ばれなかった、そういうことだから」


 ほら、吹奏楽でも校内オーディションとかよくあるじゃない。ソロ奏者決めとかね。あれみたいなもんよ。とあえてなのか軽く言ってくるからこちらは反応に困る。


「けど結婚してからそんなの……酷いじゃないですか」


 なんとなく声がしりすぼみになってしまって気まずい。


「だけどそれが現実。彼にとって、私じゃなにかが足りてなかったんだよ」


 例えば転校していったはずの絶対エースが急な親の都合でコンクール前に戻ってきたとする。その時すでにソロを勝ち取っていた生徒はどうなる?


 同じと考えるにはあまりに差があるようにも思うが、心境としてはたしかに似ているかもしれない。


 部の勝利ために。

 ひとつの家族となるために。


 どちらを選ぶのが最善か────。



 美咲先生はあえてなのか堂々とした顔でまっすぐ前を向いていた。その横顔を僕は眺める。車窓の濃い青空をバックに日の光を浴びるその横顔は、なんとなく神々しく、綺麗だった。


「彼の隣にいるべきなのは私じゃなかった。私の居る場所じゃなかった。……それだけのことです」


 悲しく微笑む美咲先生の目が、光る涙で満ちてゆく。その光景を幻想的だ、と思う僕は自分勝手な人間だろうか。


「……まだ、好きなんですか?」


「……へ?」


 振り向いた拍子にほろりと雫が落ちる。それから彼女は少女のように「あはは」と明るく笑った。


「ないです。もう過去だもん」

「本当に?」

「うん」


 それっきり、会話は途切れた。

 冷房が当たらなくなると、窓から射す日の光がじり、と僕の白い肌を灼いた。


 相手を恨むことはない。

 相手の妻を恨むこともない。


 強い人だな、と思った。




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