#54 終わりではない
会館を出る前に他校の先生たちの所へ挨拶に回っていると、廊下でひとり壁にもたれる梅吉に出くわした。
「あれ、まだ出てなかったの」
「ヒビノ……」
表情は暗かった。理由は察しがつく。だけど慰めたり励ましたりするのは僕の役目ではない。
「悪いけど、僕はもう次を見てるから」
「え……」
微笑んでその肩を叩いてやった。そのまま去ろうとすると、呼び止められた。
「次なん……ないやん」
絶望が窺える声。一体誰がこの生徒をここまで落ち込ませたのか。ああ、僕だったな。
「文化祭」
「え……」
「文化祭で、ここのホールを借りる」
「なっ」
「まあ今日のコンクールみたいな大ホールってわけにはいかないけど、小ホールの方ならたぶんなんとか」
梅吉は僕の意図がわからないらしく難しい顔のままこちらを見つめていた。
「そこに、来賓を呼ぶんだ」
「……らいひん?」
う、バカだった。
「簡単に言えば『偉い人』ってこと。今度の中学合併の話を進めてる、合併後の『名付け』に関わるであろう人たちに、直に訴えかけるんだよ」
「えっ、そんなことできるん!?」
「さあ。わかんない」
肩を竦めて笑うと梅吉はお約束と言わんばかりにずっこけた。
実際実現は、かなり厳しい。まず『コンクールまで』という約束をしている教頭にそれを文化祭まで『延ばす』交渉をすることから始めなければならない。嫌な顔をされるのは必至だ。
そしてホールを借りる資金の調達。まさか小さな中学の文化祭で生徒や観客からお金を徴収するわけにはいかないのでそれも考えなければならない。その上で来賓の招待……。またかなり無謀なことをしようとしているのは明確だった。
「だけどそこで僕たちのことを知ってもらって、その上でいい演奏ができたなら、美音原中学を応援してもらえるかもしれないってわけだよ」
少年はようやくはっとした。
「そうなれば、ひょっとしたら名前も残る……かもしれない。最後の『賭け』だ。その文化祭がどういう結果になるかで、今後の僕たちの運命が決まる」
難しい顔のままの梅吉に緩く笑って、僕はまた歩き出した。
夕方学校でも、暗い雰囲気の生徒たちに同じ話を告げた。
「文化祭は九月末。今からやってもひと月半しかない。曲目は十の予定だから余裕はないよ。休みが明けたらすぐに練習を開始します」
「えっ、十曲も!?」
「文化祭はコンクールとは違う。お客さんを楽しませなきゃならないわけだ。知らない曲をだらだら聴かされるだけじゃ聞き手は楽しめないでしょ? だからそれなりに幅広い世代にウケる短めの曲を、面白く、楽しく演る必要がある」
「楽しく……?」
「歌って、踊る。そして、『伝える』」
「伝える……」
「キミたちの、『美音原中への想い』を」
「いやいや。いい反省会でした、響木先生」
帰り支度にまだ賑やかだった中で話しかけてきたのは、気を使ってかここまで存在が消えていた宮下さんだった。
「文化祭まで存続なさると聞いて安心しましたよ。じつは今回のことで教頭先生のほうから『恥になるからコンクール出場のことは載せんでほしい』と言われてしまいましてねえ」
「えっ」
教頭、最近大人しいと思っていたらここに来て『恥』とはまた言ってくれたな。
「文化祭、楽しみにしています。それが大成功となったら今度こそ広報に載せさせてもらえるでしょうし」
宮下さんはうんうん、と頷いて微笑んだ。
「響木先生の存在も大々的に広めるチャンスですから」
なにを言ってるんだこの人は。
「いや、僕のことを書くのは最小限にしてくださいね」
「ええ? そんなもったいない」
名物顧問として有名人になれるのに。と望んでもないことを言われてしまった。恐ろしい人だ。
「はは。とりあえず私は一度役所のほうへ戻らないといけないのでひとまずこれにて失礼します。いやあ、ここ最近でいちばん楽しい取材でした」
帽子を取って下げた頭はひな鳥のようにほやほやと薄かった。見ないようにこちらも深々と頭を下げた。




