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#53 「そりゃそうだ」ではない

 建物から出て真夏の空の下で思いを巡らせていた。館内と違い外の空気は熱と湿度と風があって、自然の音もよく聴こえる。


 葉のこすれ合う音。鳥の囀り。蝉の声。すぐそこの細い側溝を排水が流れていく音。遠くで車が行き交う音。


 冷房で冷えていた身体に熱が戻って、じんわりと汗が滲んできた頃、背後から突然声がした。


「ヒビノ!」


 振り向くと、梅吉を先頭にして生徒たちが揃っていた。やっとみつけた、という顔だった。探されていたのか。


「……ありがとうございましたっ!」


 梅吉が大声でそう言いながら頭を下げると、それに倣って全員が僕に向かって頭を下げた。


 おいおい待ってよ。

 なんだよ、これ。青春かよ。


 焦げるような眩しい陽射しの中、向かい合って僕も彼らに頭を下げる。


「……こちらこそ、ありがとう」


 蝉の声がなぜかやんで、その刹那、あたりはしんと無音になった。



 全国大会を本気で目指してやってきたという割に、その結果は無念にも地区大会止まりの銀賞だった。



 つまり僕らはここに、儚く散った。



 創部したてで、しかも全員がコンクール初出場。そりゃそうだ、と言われても仕方ない。でも本気で金賞を狙ってやってきた僕らからすればそれは「そりゃそうだ」ではない。


「ごめん……」


 足元の短く濃い影を見つめたまま呟いていた。


 そう。僕の力不足だった。まとめ切れなかった。サポートが足りなかった。今考えればもっと生徒たちのためにできたことはあったはずだ。もっと、もっと────「ヒビノ」


 梅吉の声に、顔を上げた。


「楽しかったなっ!」


 その笑顔が涙に濡れていて、僕は自分のそれをどうにも堪え切れなくなってしまった。


「く……は……ごめん。……ああ、『楽しかった』ね、たしかに」


 甦る、たくさんの記憶。音が出ただけで喜んでいたあの頃から、よくここまで成長したものだ。それもあんな厳しい『指揮者』で、毎日あんなにしごかれて。正直、よく付いてきてくれた、とそう思う。


「なあ、『響木先生』にもお礼言いたい」

「え」


「今『ヒビノ』じゃろ?」


 照れたように笑う梅吉に弱く笑い返した。


「おっかなくて話しかけられないんじゃなかったの?」


「ふは、そんなことないわ」


「はは……」


 まあそうしたい、と言うのならそうさせてやろう。「わかったよ」と取り出した小さなケースを開いて、そっと指揮棒に触れる。


 あ、これは。と思った時にはもう遅かった。


 数秒、顔を伏せて「は」と笑った。『ワタル』の甘さを、つくづく感じて俺は笑った。


 ごし、と袖で顔を拭ってから、今度はじっと睨むように全員を見据えた。お礼だと? そんなもんいるわけない。


「響木先生……?」

「一発目の音」


「え……」


「聴いた瞬間、『ああ、こいつら俺と音楽してくれてない』ってそう思った」


「……!」


 全員の凍りついたような顔。俺のこの言葉がこいつらの心に一生残る傷を作ることは承知の上で言っている。わかった上で、言っているんだ。


 ちゃんと後悔しろ。

 そしてちゃんと向き合え。


「おまえら。なんかすげースッキリやり切ったみたいな顔してるけど、もっと『悔しい』とかないの? おまえのせいだって、指導不足だろって、俺に殴りかかってくるくらいの気持ちないのかよ!? あれで、あんなでやり切っただと!? バカ言うな!!」


 びくり、と梅吉の肩が揺れた。


「たしかに悪いばっかじゃなかった。実際よかった部分もあった。だから『銅』じゃなく『銀』なんだ。だから余計に悔しいんだろーが! よかった、それで? それで満足なんかしていいわけがない。目指してたのは『金』だったはずだろ! だったら『金』以外じゃだめなはずだろ!?」


 女子生徒が次々しゃくり上げて泣き出した。つられるように男子たちも、全員が泣き始める。梅吉も、ナンプも、あの久原でさえも顔を伏せていた。耐えきれずしゃがみ込む者もいる。皆震えて、嗚咽をもらす。ああ、酷い光景と言えた。そんな生徒たちを一瞥すると俺はため息混じりに背を向け歩き出した。


 感謝を述べ合うだけの舐め合いなんかまっぴらだった。醜かろうが、ちゃんと全員が傷ついて、ちゃんと落ち込まないとだめなんだ。


 『悔しい!』


 その気持ちを美化した過去なんかで誤魔化しちゃいけない。押し込めちゃいけない。なにかに八つ当たりしてでも、真正面からしっかり向き合わなければいけない。


 そうすれば、その気持ちは何より強いバネになるから。ヤツらがこれから見ることのできる未来もきっと大きく変わるから。


 まだ中学生なんだ。まだまだ先はあるんだ。


 だから。


 ──パチン。



 離れてからケースに指揮棒をしまう。ため息をついてちらりと後ろを振り返ると美咲先生がミーティングをしてくれていた。生徒たちはこれで一度解散、その後学校に再集合して反省会を予定している。


 反省会……か。どんな意見が出るだろうな。


 青空に向かってまたため息をつき、少しの間会場周りの木々をぼんやり見つめて過ごした。風がごう、と耳に触れていく。なんだか力が抜けて、しゃがみ込みたくなってしまった。


 ああ、タバコがほしいって、こういう時なのかもな。初めてそんなことを思った。



 やがて僕はゆっくりとその場を離れて館内の休憩所へと向かった。自販機で缶コーヒーを買ったところで背後から聞き慣れた声がした。


「私の分もいいかしら」

「え……ああ」


 振り向くと美咲先生が立っていた。なんでだよ、と思いつつも「おつかれさまです」と今買ったばかりの缶コーヒーを手渡す。


「どーも」と機嫌よく受け取って先に椅子に腰掛ける。随分偉そうだがそれほど年の差や身分格差はないはずだ。


 仕方なくもう一本同じものを買って近くの椅子に腰を下ろした。美咲先生が僕になにか話したいのがわかったから。『僕』に……かどうかはわからないが。


「『タクトくん』になってください」


 やっぱそうですか。


「……なんでですか」


「タクトくんに話があるの。お願いします」


「……さっきのことなら、本心ですよ。僕が言った感謝の気持ちも本心。後で言った厳しい感想も、あれも本心です」


 今でなかったとしても、いずれは言ったと思う。生徒たちのために。


「タクトくんに聞きたい」


「なにをです?」


「これからどうするのか」


 なるほど。手元の指揮棒ケースを眺めた。これからどうするか。そんなの僕でも充分答えられる。


「救います。生徒の気持ちを」

「……救う?」


「廃校まではまだ時間がある。このまま終わりにすることはない。ここからがまた、始まりだと思っています」


 そう。まだ終わってはいけない。


 一気に飲み干したコーヒーの空き缶をゴミ箱に入れると、僕は美咲先生を残して休憩所をあとにした。



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