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#52 まっさらではない

 広いホールの客席に、人、人、人。これだけ人がいて、加えて外は猛暑だというのに、熱も、音も、ここにはなにもない。しんと暗く冷えた空気の中にホール特有の匂いが漂っているだけだ。


 強い照明の熱にジリジリと照らされる舞台上からは、客席に座る人の姿はよく見えない。最奥の、非常灯の緑だけが鮮やかに輝いて見えている。


 今日のこの客席にいるのは、観客ではない。静かだが、熱のある視線をこちらに刺してくる他校の生徒(ライバル)たちだ。


 その客席に向かってゆっくりとお辞儀をしてから、またひとつ呼吸をして指揮台に上がり42名の顔を見つめた。この数ヵ月、ほぼ毎日合わせてきた、美音原中学の42名。


 光に照らされるその表情はどれも硬く引き締まっていた。それがいいことなのか、あるいはあまり良くないことなのか、この時点ではまだわからない。


 静寂の中ゆっくりと挙げた指揮棒。微かに動かすと全員が揃って息を吸い込む。


 それを、一気に振り下ろした────。



 それはまさにこの四ヵ月を表すが如く。あっという間の出来事だった。



 まずは課題曲。マーチは明るく晴れ空の下、ずんずんと進む如く。歩みを、歩幅を揃えるイメージを持て。そしてひとりももれるな。


 く、硬い。硬いが、食らいつきはいい。ホルン、揃えて。微妙に差がある息の量、コントロールしろ。合わせろ。引き継ぐのはトランペット。梅吉。


 ぐ。やはり緊張があらわだ。けど音は出ている。前に、前に。濁るなよ。ちゃんと息を吸って。まっすぐ鳴らせ。お前の音を。


 トロンボーンが重なって、ここからフルートとユーフォが歌う。この安定感はうちの最大のウリだ。いけ。そう、響かせて。


 全体が、鳴る。鳴る。

 気を抜くなよ。のまれるな。のるんだ。


 あとはフィナーレに向かうのみ。落ち着けよ。落ち着いて。テンポを守って。走るなよ、誠司。全員ちゃんと指揮を見ろ。


 そうしておわりの一音を、────とめた。


 余韻はまあまあ美しかった。

 わずかな静寂のあと、つぎは自由曲だ。


 ふ、と息をついて、再びみんなと向かい合う。


 これは『終わり』じゃない。『つなぐ』ための一曲にしなくてはならない。


 英語すらままならない中学生たちに海外の気候や文化を説明するところから、今回の自由曲の練習は始まった。


 数ヵ月前がもう懐かしい。あの頃はみんな、まだまっさらだった。


 今はもう、そうじゃないよな。


 中低音から、低く始まる。伸びやかに。揺れるな。踏ん張れ。フルートが囀るように重なる。溶け込む。


 旋律が繰り返されて、次は真知のクラリネットソロだ。


 すらりと見下ろすと、バチ、と目が合う。少女は小さく頷いて見せた。いけ。


 ほほう。ずいぶん堂々と吹いたものだ。泣きづらを見せていたあの日の弱気さはもうどこにもない。思わず口角が上がる。よし、ここから一気にラストに向かおう。


 鳴らせ。響かせろ。

 ミト中の音楽を────。





 夏の空は濃く青く。


 雲は相変わらず端の方で濃い白を高く積み上げ、朝より強くなった陽射しを受ける蝉の叫び声は今は暑すぎるせいでかいくらか弱い。


 我らミト中の奏でた音は一体どのくらいホールに、審査員の心に響いただろうか。


 当然だが、創部したてだとか全校生徒で学校名を賭けているだとかそういったことが審査に影響することはない。


 生徒たち自身はどう感じただろうか。

 美咲先生はどう感じただろうか。


 僕は、響木は、最善を尽くせたと言えるのだろうか。



 全出場校の演奏が終わり、少しの休憩を挟んだあと、結果は割とすぐに出た。


 吹奏楽コンクールの本番は一度きり。一発勝負だ。


 演奏後、出場校はそれぞれ金銀銅の賞に振り分けられて、さらに金賞の学校の中から支部大会へ進める学校が決まる。言うまでもなくかなりの狭き門だ。



 狭き門────。


 だからと言って、それを言い訳にはできない。



結果は次話!:( ;´-`;):

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