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#51 余裕ではない

 暑くなりそうな晴天の日だった。雲は端の方で濃い青に白を際立たせて高く積み上がり、朝から焦がすような強い陽射しを受けた蝉たちがそこらじゅうの木々から大声を出して叫ぶ。


 楽器を積んだトラックを走らせて、僕はその『会場』へと向かっていた。助手席の宮下さんは朝から興奮気味だったが途中からは車内の冷房に当たりながらうとうとと船を漕いでいる。


 約二時間ほどかかってたどり着いたそこは。


『県立総合文化会館』


 かつて僕も生徒としてコンクールやコンテストに挑んだ場所だ。


 トラックから降りてその外観や景色をひと通り眺めてみる。甦る懐かしさよりも、今は待ち受ける未来への期待の方が大きかった。


 今僕は、顧問だ。顧問としてこの場所に帰ってきた。改めて実感すると更にいくらか気持ちが引き締まった。



 ギラりと日の照る屋外。もわんと熱を帯びた空気の中、入口近くの日陰で整列した部員たちの前に僕は立った。42人の澄んだ視線が、まっすぐこちらを向いてくる。


 高揚か、緊張か、あるいは不安か。それぞれの奥に潜む心情はまだわからない。


「おはよう。いよいよ当日です。今日が最後にならないように、『美音原中学』の名前が消えないように、いちばんの演奏を届けてください」


「「はいっ!」」


 やはり少し硬いか。


「緊張……してる?」


「してる!」


 答えたのは梅吉だった。素直な怒鳴り声に笑う。つられてみんなの表情も少しは砕けた。


「僕はしてないよ」


 言ってやると「な、なにぃ?」と睨まれた。


「ちゃんと練習してきたじゃない」

「お、おう」


「だからだよ」


 大丈夫。なんて言葉は安易に言えないが。それでも、信じることくらい、させてほしい。


「僕らが出すのは? 梅吉」


「ええ?」


「この場所でなにを出す?」


 キウイ坊主はこの日のために頭を刈ってきたらしい。短く揃った生え際は、撫でたらさぞや気持ちいいだろう。


「……全力」

「そうだよ」


 頷いてみんなを眺めて、そしてもうひとつ。


「僕らが獲るのは? ナンプ」


「金賞!」


 そうだ。


「やれる?」


「「はいっ!」」



 ベタではあるが、円陣を組んでその顔たちを順に眺めた。


 春から、四ヵ月。たったの四ヵ月か、と思うほど何年分かをぎゅっと凝縮したような濃い日々だった。まったく知らなかった生徒の個々に触れて、時にぶつかって、理解して。そんな日々が思い出された。


 なんでも首を突っ込みたがるキウイ坊主の梅吉。そのなだめ役と妙な安定感のある貫禄生徒、ナンプ。さらにそのまとめ役の真知さん。真面目なさく坊。漫画家センセイの咲良さん。不登校を乗り越えた芹奈さん。肝が据わった多妹弟だいかぞくのお姉さん、ミクさん。それから憎めない不良の久原くん。時に共にバカをして笑い合って、時に共に悔しがって涙し励まして、42人が、やがてひとつの音を紡ぎ出す。


 このメンバーで。


 このチームで。


 ずっと来たいと思い続けていた場所に今僕はいる。噛み締めて、一度俯き、目を閉じ、そして開いた。



 さあ、はじめよう。


 緩く笑って、魔法の呪文を唱えた。



「『音』を『楽』しんで、


 『音』を『楽』しませて」



「美音原中学────」


「「うおおおおおっ!」」



 男子の割合に対して案外ハイトーンなのは男子の多数が変声期前だからか。余計なことを考える余裕はまだあった。



 ミーティングを終えて楽器搬入。


 各自楽器を手にしたら、個人音出し、パート音出し。


 全員揃って音合わせ(チューニング)、そして順番を待ってからリハーサル室にて本番通りにリハーサル。


 音の感じは、悪くはなかった。あとは本番でどれだけ実力を発揮できるか……なんだけど。


「梅吉」

「えっ、は、はいっ!」


「ふ、僕だよ」


 舞台袖に向かう廊下。僕が両手を広げて指揮棒を持っていないことを示すと梅吉は「ああ」と気を抜いた声を出した。


 顔が白い。「大丈夫?」と訊ねてみると白キウイは「えっ?」と首を傾げた。


 彼が緊張しいなのは知っていたがそれにしても部長がこれでは締まらない。


「汗、すごいよ」

「え……うわ」


 言われて初めて気がついたらしい。慌ててこめかみ辺りを手の甲で拭う。


「だ、大丈夫やっ」本人は慌ててそう言うがとても大丈夫には見えなかった。まあ無理もない。この状況で平静を保てる生徒のほうがきっと珍しい。


 本番において緊張感は持っていても問題はない。けど少し、過多だ。忍ばせていた『棒』を取り出した。


「息吸って」

「え……」


「息吸え」

「う、え!? 響木先生!?」


「早く」


 深呼吸は意外とちゃんと効果がある。近くにいたほかの生徒たちも巻き込んで「もっかい」「もっかい」と二度三度。見違えるほど、とはいかずとも少しはましになっただろう。


「緊張は悪いことじゃないよ。でも負けないで。飲まれないで。それすらも、楽しんで」


「あ……れ、ヒビノ」

「ふふん」


 出したりしまったり。「自由すぎじゃわ……」と呆れられた。


 いやいや。僕もこれでも緊張というか、調整をしているわけだ。


 『指揮者』がちゃんと出てくれるかの。


 けどなんとなく、あの『分離』を経て前より歩み寄れた気がしていた。まあ僕の独りよがりかもしれないが。



 さて。そうこうするうちに出番となった。


 軽く息を吸い、はく。



「行くよ」


「「はいっ!」」



いよいよ本番!:( ;´꒳`;):

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