#50 盾にはならない
ところで宮下さんは昨夜はどこに宿泊したのか。道すがら訊ねてみると驚くべき答えが返ってきた。
「ああ、梅吉くんの家ですよ」
「梅吉の!?」
「本人はまだ寝ていましたが、親御さんにご挨拶をして朝一番出てきました。昨夜は天ぷら屋ですっかりご馳走になって。そこで梅吉くんにも部活動についてや響木先生についていろいろと教えてもらいました。ああ、それで朝一番からここで響木先生を待たせてもらう約束を大将にしていただきまして」
「はあ……」
なんて要領のいい人だ。
「いやあ、どこかに宿を取りたかったんですがね。この土地にはないようでしたので。厚意に甘えさせていただきました」
だからと言って出会ったばかりの人を簡単に自宅に泊められる梅吉も梅田家もなかなかすごい。
「そうだ。響木先生にひとつ、お尋ねしたいことがあるんでした」
言いながら宮下さんは皺のある太めの人差し指を軽く立てた。
「……なんですか?」
「コンクール後は、本当に部活動を終わるおつもりなんですか」
……なるほど。いい質問だ。
「いや、梅吉くんから聞きまして。教頭先生とそういう約束をしている、と」
「約束は、そうですね」
なんとなく目線を外す。
「結果に関わらず?」
「約束では」
「辞めてしまうんですか」
直球が来た。
そこはもう校庭の脇だった。ギラギラ眩しい日差しの中、分厚く濃い色の葉を茂らせる木々から聴こえる蝉の鳴き声がやかましく重なる。
その横で僕は、ふ、と少しだけ笑って、そしてこっそり秘密を打ち明けるようにしてこの憎めない『記者さん』に本音を語った。
「本当は教頭も丸め込めれば、と考えていたんです。けどどうもウマが合わなくて。まあ……とにかく今はコンクールに集中しようと思います。今後のことは結果が出てからゆっくり考えるとします」
「存続も有り得ると」
「んん……。できたらいいな、とは思ってます」
存続。望まないわけがない。でもそれは僕の望みであって全員のそれとは限らない。まず美音原中自体がそもそも無くなるわけだ。合併後……そんな先のことまで考える余裕は今はない。
「少なくとも生徒たちは望んでいるんじゃないですか」
「そう……ですね」
梅吉、ナンプ、みんなの顔が順に浮かんだ。
「順調に勝ち進んだとして、全国大会は十月ですよね? それから文化祭、そして春の閉校式。全校生徒が吹奏楽部での閉校式なんてそうあることじゃない。できることなら、都度取材をさせてほしいです。この中学の行く末、そしてあなたのことも、私は追いたい」
「……買い被りすぎですよ」
苦く笑って、校舎に入った。
廊下を進むにつれて音が聴こえてきた。これは、トランペットの音だ。
もう吹いているのか
梅吉。
先程聴いた録音では梅吉にもかなりキツめの言葉を浴びせていた。たしかにその演奏はまだ不安げで、鳴らし切れていないものだった。
だけど今朝のこの演奏は────
「上手くなったね」
顧問の立場で安易に言っていい言葉かわからないが口をついて出た本心だった。
「……え。……ヒビノ?」
坊主頭の少年は楽器から口を離すと目を丸くして僕をまじまじと見つめた。
「おはよう、梅吉」
なんだか久々に会う気がした。
僕がそう答えると瞬時に驚きの表情は喜びと安堵の表情へと移った。そして楽器を置きこちらに駆け寄ってきて、僕の腹にぎゅうと抱きついた。
「おかえり。おかえり、ヒビノ」
複雑な心境だったがぴったりの言葉ではあった。
「……どこ行ってたんや、大事な合宿の途中で」
「ごめん……」
謝ることかわからないが元はと言えば自分が無理をして招いた事態ではあった。
「俺たちがどれだけ恐かったか!」
恐かった、か。たしかにかなり声を荒らげて叱っていたから。
「どんだけ厳しくされても、最後はいつも『ヒビノ』に戻るから安心して付いて行けとった。けど昨日と一昨日はずうっと『響木先生』のままやったから。もしかしてこのままずっとヒビノに戻らんかも、……ヒビノにもう会えんかも、ち思たら、恐くてしゃーなかった」
あ……はは。なるほど、そうか。
『恐かった』というのは『響木先生が』かと思ったがそういうことではないらしい。
「片方だけじゃあかん。どっちもおって、俺らの『響木先生』なんや。片方でもおらんと、不安でしゃーない」
「梅吉……」
「もうおらんくなるなよ、ヒビノ」
「ああ」
梅吉なりに、ちゃんと『僕』を理解してくれている。梅吉だけじゃない、生徒たちみんなだ。
どっちがいい、とかじゃない。どっちも僕、どっちが欠けても僕じゃない。そういうことなんだ。
きちんと受け入れてもらえているから、僕は『響木 亘』として自由に顧問をやれている。
「じゃあもっかいちゃんと聴いて」
「ちゃんと?」
「響木先生が昨日、言うとった。朝、ヒビノに吹いて聴かせろ、ちて」
「……なるほど」
それで判れ、ということか。
すると梅吉は真剣な顔つきになって、すらりと楽器を構えた。
──……
「……どう?」
まだ緊張感のある音ではあるが、進歩は見られる。なにより僕が吹かせたい『梅吉らしい音』が見えてきているのに驚いたし嬉しくもあった。
「まだまだ午後にしごこうかな」
笑いかけて言うと「褒めへんのかい」とつっこまれた。
「えっ、戻っちゃったの!?」
天ぷら屋にて高い声を出すのは美咲先生。この人は本当に僕をどうしたいのだろう。
コンクール前日の今日、最終調整の部活を終えて夕方に帰宅。そのまま宮下さんと天ぷら屋で前夜祭をすることとなった。
「しかし驚きました。美咲先生が響木先生の下宿先で働いておられるとは」
この人がなにを考えているのかは知らないがニヤニヤしながら言うのはやめていただきたい。
「だからって彼女とはなんでもないですよ。狭い土地ですからたまたまそうなだけで」
僕が『あっち』でいた間におかしな認識になっていないか気がかりだった。今朝も『可愛らしい方』だとか妙なことを言っていたし。
案の定「隠さなくてもいいのに」と宮下さんがぼそりと言うのを聞いてしまった。ああもう。憂さ晴らしにえび天をかじる。
「美咲先生も、いろいろとご迷惑をお掛けしました。ミーティングとか僕のフォローもたくさんやっていただいたとか」
「ほんと、どう償うつもりですか」
盾になるかと思って宮下さんを連れてきたのに。この人に防御系の武器は通用しないようだ。となればいよいよ催眠魔法でも覚えなければこの身は守れないということか。
「償うって……?」
僕にだけなぜか悪態をつくこの店員は腰に手を当てて僕を見下ろしていた。どうせまた『タクトくんになれ』とでも言うのだろう。
「……もうあんな無茶しないでください」
「え?」
「戻れて、ほんとよかった」
パチクリする僕に「ふん」と鼻を鳴らして去っていった。
隣で宮下さんがビールを注ぎながら「いいですな、いい関係。ははは」と笑うので「よくないですよ」と苦く返しておいた。
さあ、いよいよ本番だ。
なんでだよ、と思いつつ宮下さんと仲良く布団を並べて眠りに就いた。




