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#42 甘くはない

直前合宿・分離編スタート!

 そして迎えた、二度目の合宿。いよいよコンクールまであと四日となった直前合宿だ。


 二度目とあってスムーズに進むだろうと予想していたが、なるほど。人生というのはそんなに甘くはないらしい。


 いや、たしかにスムーズに進んでいたんだ。朝もちゃんと寝坊せずに三時に起きれたし、三往復半した山道でサルやイノシシとの接触事故を起こすこともなかった。


 なかったんだが────



「響木先生! 大変ですっ!」


 事件が起こったのは一日目の昼前。合奏室をアマ高が使っていて、ミト中はパート練習をしていた時のことだった。


「松阪先生が倒れたって!」


「ええ!?」


 なぜこうなるのか。そのほうが面白いから、などというご都合主義な回答は控えてもらいたい。


 僕のもとに知らせに来たのは美咲先生だ。今回彼女は「今度こそなんとしても行きたい!」と自ら代役を立ててミクさんの家を知人に任せてこちらに参加してきた。すごい執念だ。


 屋内外問わず様々な場所で練習をしている各パートを順に回っていた僕を探すのに手間取ったらしく、美咲先生は額に汗を滲ませ息を切らせていた。


「今は、どちらに?」

「とりあえず座敷に布団を敷いて横になってもらってます」


 美咲先生とともに向かうとそれは男部屋だった。他の部屋はパート練習で使っているから仕方ない。


「大丈夫ですか!?」


 急いで駆けつけると座布団を枕にして寝転び扇風機に当たる松阪先生の姿があった。正直、見てもいいものか少し迷った。


「ごめんなさい。大丈夫……って言いたいんですけど、うーん」


 ゆっくりと起き上がって、気持ちが悪いのかぐっと堪えるような表情をしたあとで手元のペットボトルから麦茶をひと口含んだ。


「保冷剤とか持ってきましょうか」


 涼しい所ではあるが今は真夏だ。熱中症に違いないと僕も美咲先生も思ったわけだが松阪先生は「いえ」と首を横に振る。


 対してこちらは首を傾げる。すると松阪先生は少し恥ずかしそうに頬を紅くしながら小さな声で教えてくれた。


 倒れた原因はどうやら暑さのせいだけではないらしい。



「──ええっ!?」


「まだ学校では誰にも言ってなくて。すみません、本当に。今、かなり初期で、()()()らしい症状も先週から出始めたところで」


 『つわり』つまり松阪先生は妊娠しているということ。え、お幾つだったか? などと考えるのは野暮だ。


「だけどコンクールだけは、この大会だけはなんとか、あの子たちと一緒にやりたいんです」


「お気持ちはわかりますけど……」


 困惑した。しかし実際こんな状態では生徒たちも心配するに違いない。


「とにかく今無理するのは絶対にやめましょう。合宿も大事ですけどここまで来たらとにかく本番です。本番に松阪先生が指揮出来ないなんてことにだけはならないように、今は休んでください。合宿は僕と美咲先生でなんとかできますから」


「でも……」


「お願いします。生徒たちのためにも」



 こんなにも分身できればと願ったことはないが残念ながら僕に忍術の素養はない。ひとまずミト中の指導を美咲先生に任せて、僕はアマ高の学指揮の生徒、石川さんと話をすることにした。


「──そんなわけで、急だけどこの合宿の間は僕が代理で指揮をするから、いろいろと教えてほしいんだ」


「うそやん……」


 涙声の正直な感想は気を遣われるよりはありがたかった。


「なんとかするしかないよ。松阪先生のためにも。とにかく時間がない。早速だけど課題曲の──」


 ざっと要点だけを聞いてとりあえず楽譜を頭に叩き込む。こんな暴挙していいことじゃないのはわかるが他に手はない。


 初日の夜とあって遊びモードになる生徒たちの賑やかな声が聴こえていたが構う余裕もなく、「花火ないんかー」「アイスはー?」などという無邪気な声への対処もすべて美咲先生に任せた。晩ごはんすらもおにぎりひとつを適当に口に詰め込み僕は男部屋の隅でスコアにかじりついていた。


 トランペット、トロンボーン、サックス

 ピアノ、弦バス、バスクラ、ティンパニー


「響木先生」


 フルート、クラリネット、ホルン

 スネアドラム、チューバ、ユーフォ


 頭の中に楽器の音が鳴り響く。聴こえていたはずの賑やかな声も外の虫のもすべて無となり深く深く集中の水の中に全身を沈めていた。


 再びトランペット、そしてユーフォ、弦バス


「響木先生」


 トロンボーン、それからマリンバ


 だからいつから呼ばれていたのか、気がついた時には相手は心配を通り越して酷く呆れた目でこちらを見下ろしていた。


「響木先生」


「ああ……すみません」


「電話、鳴ってます」

「えっ」


 言いたいことがあってここに来たのだろうが美咲先生は床に放ってあった僕のスマホを指して「いいから出なよ」と目で示した。


「……すみません」


 冷えた視線に小さく縮まりながら通話ボタンに触れた。


「はい」


 電話の相手は知らない声だった。


『ああ響木先生ですか。わたくし、市の広報を担当してます、宮下みやしたと申します』


「えっ」


 咄嗟になにも言えなかった。気さくそうな話し方をする男性の声で語られる『市』『広報』などという言葉。予期せぬ内容の電話だったが心当たりはある。なんとか思考を追いつかせた。


『天文館の西野館長から連絡もらいましてこちらにお電話させていただきました。今、合宿中だそうで。ぜひその、お邪魔できないかなあと』


「え、合宿にですか!?」


 さすがに戸惑った。いきなりで、それもこの状況の中で対応ができるとはとても思えない。


「……や。すみませんがいろいろとアクシデントがあってその、とても取材を受けられるような状況じゃないんです」


『ええっ、それはでも困りますよ。だって今もう──』


 ──ガラガラ「来てるんですよ響木先生え!」


「っええ!?」


 慌てて立ち上がると美咲先生と共に部屋から玄関の方を覗いた。


「どうもこんばんは。宮下、と申します」


 案外カジュアルな服装をした中年男性の姿がそこにあった。



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