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#04 ヒビノではない

 午後に行われた入学式の片付けをしてから職員室に戻り明日の準備をしていると、「今日はもう帰ろや」とやる気なさげな中村先生に声を掛けられた。


 下宿先へは歩いて帰る。中村先生とは校門で別れ、まだよく知らないこの土地の景色をぼうっと眺めながら歩いた。


 沈みかけた西日で淡く霞んだ景色はやはり田畑がそのほとんどを占める。四月の今は田植え前らしくそこに生命力はなくどこかもの寂しい。見かけるのは人よりも虫や鳥のほうが断然多く、当然というかコンビニなど一軒もない。代わりにあるのは寂れた自販機と精米機が一台ずつと個人商店が一軒。それから中学校近くに小さな喫茶店が一軒。店といえばあとは下宿先の天ぷら屋だけだ。


「おっ!?」


 すっかり気を抜いて歩いていたところ、脇の林から突然そこそこ大きめのサルが現れて腰が抜けかけた。


 え、待って。こんなの僕は対処できない!


 とにかく視線を他所へ逃がして目だけは合わせないように努めた。鼓動は激しくなり全身が嫌に汗ばむ。


「あれ? なんしてるん、ヒビノ」

「う……わあ!」


 緊張の中のん気な声で話しかけられて心臓が止まるかと思った。寿命は確実に縮んだ。


「え、もしかしてサルこわい人?」


 言い方が不愉快すぎだ。そこには今日やたらと会う気がする坊主頭が自転車に跨っていた。


「ち、ちがうよ、珍しいから……。梅田うめだくんは、なにしてんのこんなところで」


「はは、梅吉うめきちでえーよ。梅田くんなん、誰も呼ばんし! ひっははは!」


 照れる笑顔はまだまだ少年の中学二年。彼の本名は梅田 大吉だいきち。名前の通り古き良きを思わせる坊主頭が特徴の小柄で愛嬌のある生徒。


「なら僕も『ヒビ()』じゃなくて『ヒビ()』ね」


「え!? ヒビノじゃないん!? 教頭もそう呼んでたし」


「自己紹介したろ……」


「えーっ、一回憶えたん直すんむずいわ。ヒビノはヒビノやろ」


 よくわからないが要は直せないということらしい。残念だ。


 とはいえ梅吉のおかげでうまくサルをかわすことはできた。はあ、助かった。お礼は言えないが内心では拝み倒すくらい感謝した。


 梅吉はそのまま「ほんじゃ」と自転車を駆っていった。……かと思ったら、数メートル先でいきなり振り向いて大声で訊ねてきた。


「そいやヒビノんちってどこ?」


 こういう大声を出す行為は田舎特有だよなと思いつつ、こちらまで大声で返すのは嫌だったのでもう目の前になっていた天ぷら屋を静かに指さした。すると坊主頭の少年はその目を見開く。


「まじで。天ぷら食い放題やん……!」


 輝く瞳に苦笑いで応えた。


「ほんじゃあな、ヒビノ!」


 友達かよ、と思いつつ無邪気な坊主頭を見送ってからその戸を開いた。


「いらっしゃい! ああ先生、おかえりなさい!」

「はあん!? なんでこいつがここに来んの!?」


 目を疑った。


 そこにいたのは昼に職員室で見た例の美咲先生、しかもなぜか天ぷら屋の格好をしている。


「そ……そちらこそどうして」


 威圧的な態度にすっかりやられて声が上ずる。


「なんや二人、もう知り合いなんか!」

「私はこの男キライなんですっ!」


 はっきりと言い切った。たぶん今はもう酔っていないはずなのに。


「くっははは。美咲ちゃん、そら怒りの矛先まちごうてるっ!」


「うっさい! もう! だからなんでこの男がここに来んのよ?」


「そら先生の家やからな! ここは」

「はあっ!?」


 見開かれた大きな瞳から出るビームのような視線が僕に鋭く刺さる。痛い。本当に痛い。


「ほら美咲ちゃん、お水出したげて。先生も突っ立ってないで、座ってくださいねぇ」


 おかみさんが現れてビームはいくらか鎮まる。おかみさんの言うことは聞くらしい。


 ──ことん。


 普通店員がなにか言うところだがこの店員は僕のことが絶望的にキライらしいのでこの沈黙には耐えるしかない。


 目の前に無愛想に置かれた水を見つめながら一応会釈はしておいた。


「美咲ちゃんね、今日からうちで働いてもらうことになったんよ。響木先生、よろしうね」


 おかみさんが僕の晩ごはんとなる天丼を運びながらそう教えてくれた。


「そ、そうなんですか」


 お礼を言いつつ受け取り、席の隅にある箸に手を伸ばすとまた痛い視線のビームを感じてその手をとめた。


「豪華すぎない?」

「えっ」


 なんだ。なんでこの人はこうも僕につっかかってくるんだ。嫌いなら関わらなければいいのに。というか関わらないでほしい。


「はは! 美咲ちゃんの分もあるから! 勤務時間終わったら食べてから帰んな」


「そういう意味じゃないって」


 口を尖らせていたが新たな来客があり美咲先生はそちらへ向かった。


 まるで別人のようなその接客態度に僕は無言で目を見開いた。




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