#37 いいわけない
案外スムーズに風呂の順は進んだらしく、日付が変わるよりいくらか前に男子に順番が回ってきていた。
風呂上がりの梅吉とナンプが台所にちょうどいたのでアイスを手渡す。
「みんなに差し入れだって。美咲先生から」
「えっ、美咲来てたん!?」
「さっき少しだけね。これだけ置いてすぐに帰ったけど」
これで暇そうな生徒にはほぼ全員配ったはずだ。部屋の隅では「ドライヤーはどうしても必要な人だけひとり五分以内で交代ー」と松阪先生が叫んでいた。忙しそうな彼女を手伝うべきかと一瞬考えたがこういう時男の僕に出来ることはたぶんあまりない。せいぜい隅で通行の邪魔にならないようにするくらいだ。
「そいやヒビノ、風呂は?」
水色のアイスをかじりながら梅吉が言う。
「僕はいちばん最後に入って片付けをするから。まあ気にせず」
礼儀として簡単に風呂掃除をするつもりでいる。先輩となる松阪先生にも僕の前に入ってもらう予定だ。美咲先生がいたらどうだっただろうかと考えるが結局は僕がいちばん若手で下っ端なのに変わりはない。
梅吉は「ほーん」と返事をしてまたアイスをかじった。暇そうな二人に「食べ終わったらさ」と台所の戸棚を開けて『例のもの』を取り出して見せた。
「これ。どう?」
「おおっ!」
合宿夜の『おやくそく』、特大の花火セットだ。
「やりたい人、外に集合ー!」
「男子は全員やぞー!」
というわけで皆一斉に外へと繰り出した。女子たちのノリも思った以上に良く、約半数以上が外に出ていく。
手持ち花火に打ち上げ花火、綺麗系から爆発系まで、満天の星空の下でギャーギャー騒いで楽しんでもらった。そうだよ。部活ってのはこういう時間も大事にしなくちゃな。
台所の土間にあったサンダルをこのまま拝借して僕も外へ出ようとしていたところ、風呂上がりの小柄な男子に背中をつつかれた。
「先生、ちょっとええですか」
梅吉でもナンプでもない。その生徒は『ある悩み』を合宿の夜という独特の空気の中で僕に打ち明けようと決めたらしい。
みんなの笑い声が向こうに聴こえる。僕たちはその輪には混ざらずに、二人で縁側に腰を下ろしていた。キラキラと火の粉を輝かせて騒ぐ若者たちを遠巻きに眺めながら。
縁側の隅ではレトロな渦巻き蚊取り線香が湿度の高い空気に白煙と独特の香りを溶かしていた。お寺の人が気を利かせて設置してくれたらしい。近くで生い茂る草陰からは生徒たちの笑い声に重なるように虫たちの鳴き声が響いていた。
「……辞めようか、悩んでます」
ポツリと言った。ショックではなかった。それはこの生徒の性格を、僕もそれなりに理解していたからだ。
「そっか……」
優しく見つつ僕が言うと、居心地悪そうにしてもともと小柄な身体を更にいくらか縮める。スポーツ刈りのこの生徒は、一年生のさく坊。一年生で最初に入部を決めてくれた生徒だ。担当楽器はホルン。性格は真面目で、そして心配性だ。
「打ち明けてくれてありがとう、さく坊」
「はあっ!? さく坊!?」
おっと。このまましっとりと話がしたかったのだがいきなり太めの大声に空気を裂かれてしまった。
「待て! 待て待て! なんやて? なんでじゃさく坊っ!」
声の主は貫禄生徒のナンプだ。梅吉に比べて冷静な印象の彼がこんなにも熱くなるのは珍しい。それほどショックだったようだ。勢いでさく坊に掴みかかろうとするから慌てて間に入った。
「辞めるなん、あかんに決まっとるじゃろが!? なんでなんやさく坊、おまえがおらんなったら『全校生徒』じゃなくなる! そしたらなにもかもパアやぞ!? 俺らの努力も! ヒビノの努力も! なにもかも無駄になるんやぞ!?」
体温の上がったその身体を押さえるが押さえきれない。力は僕より断然ナンプの方が強い。
さく坊はぐらぐら揺すられながらも、強い目をしていた。涙を溜めた、強い目を。そして小さく掠れた声でナンプにこう言ったのだ。
「……ナンプ兄には、わからんよ」
その言葉に失速したのか、ナンプの力が緩んだ。その隙にさく坊はするりと僕たちの脇を抜けて走り去ってしまった。
「おい!」と追おうとするナンプの腕を僕が捕まえた。
「少しいい?」
「えっ……」
貫禄生徒は僕の顔を見て冷静さを取り戻したようで、血走っていたその視線をするすると暗い足元へ落としてコクリとうなずいた。




