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#35 必要なものではない

『合宿編』スタート!

 見慣れた田舎道から見慣れない田舎道へ。続いてバスではなかなか精神的に疲れる狭い山道へ入って約三十分。


 どうして精神的に疲れるのかというと、運転手がこの僕だからだ。部活顧問になるつもりでいたから大型免許は随分前に取得していた。残念ながらその後長年必要にはならなかったわけだが、こうして役に立つ日が来たことはじつに喜ばしい。


 運転は数年ぶりだがちゃんと教習所で練習させてもらってきたからそこまで酷くはないはずだ。にしても。


 道といえる道なのか。生い茂る木々のせいで薄暗く見通しが悪い上にツル植物が道にまでゆらゆらと拡がってきているし、本当にいつサルやイノシシが出てくるかわからないからまったく気が抜けない。じっとりと湿る手でハンドルを握り込みながら、ゆっくりと坂を登る。後ろのみんなのように歌や菓子を楽しむ余裕なんてまったくなかった。



 やっとのことで着いたそこは、笑えるほどボロい、しかしまあまあ立派なお寺だった。


 停車したバスの中で「ボロいボロい」と騒ぐ生徒たちに目を細めて、小声っぽい大声で声を掛ける。


「あのっ。住んでるお寺の人いるんだから、バス降りてからは絶対そういうこと言わないでねっ」


 中学生とはいえ子どもっぽい振る舞いは勘弁願いたい。粗相があっては今後の関係にも影響しかねない。


 さて、自分も降りるか。と最後尾の生徒を見るとやたらと大きなカバンを抱えた小柄な女子生徒だった。


「咲良さん……なにその荷物」


「えっ! 必要なものです!」


 言いながらよろよろと転がりそうになるから仕方なく持ってやった。ずっしり……。うん、少なくともこれは『(吹奏楽部の合宿に)必要なもの』じゃない。というかたぶん紙の束だ。それもかなりの量。これまでに描いた漫画か、あるいは描くための資料か。はたまたこれから描く白紙か。原稿にかかるための作家の山篭りとかと勘違いしていないといいのだが。


 巨大なカバンを背負わされすっかり肩を痛くしながら着いた入口は古い和風家屋の玄関、という感じだ。デカい木彫りの熊が鮭を咥えて目を光らせていた。


 と、そのつややかな上がりかまちの隅で小さな男子が座り込んでいた。座敷童子……なわけはない。


「……さく坊?」

「うっ……すんませ……うぐっ……」


 顔が青い。つまりバスに酔ったらしい。こちらこそ運転が下手ですみませんでしたね。


 お寺のかたにいただいた水を渡して「少し休んでて」と言っておいた。



 さて。入ってすぐは広めの座敷だ。すでにアマ高の生徒たちがバラバラと個人で音出しを始めている。ここは畳の上にカーペットが敷かれていて椅子を並べられるように配慮されていた。アマ高が毎年合宿をしているというだけあって迎える側も慣れているらしい。


 部屋の隅に荷物を置いて先日下見で松阪先生から聞いた通りに、今度は僕が生徒たちを案内する。


「ここはパート練習とかで使う感じかな。夜は女子部屋としてここに布団を敷きます。布団はそこの押し入れね」


 言うやスパン! と押し入れの襖を叩き開いて「ほんまや! めっちゃ布団あるやん!」と喜ぶ少女がいてどうしたらよいか困る。


「こらミホ! 大人しくする約束やろ!?」


 母親のような声を出すのはミクさんだ。そう、どういうわけかこの少女はミクさんの妹、小学四年のミホさんで、お泊まりをすることになった姉を「ズルい!」と言い無理やり付いてきてしまったそうだ。絶対に迷惑はかけませんから、と言われたはずだが本当に大丈夫だろうか。


 ……はい。施設案内に戻ろう。その広い座敷の脇の廊下を進むと少し狭めの座敷がある。


「ここは荷物置き場兼男子部屋。僕も一緒に寝るからよろしく」


「よっしゃ。男子で最初に寝たヤツ顔に落書きすんで」

「ぜったいやめて」


 久原くんって絶対ガキ大将だった人だろ。まじで苦手だ。


 戻って広い女子部屋の脇の縁側を通過すると廊下を挟んで台所と階段が見えた。


「台所は必要なら使用OKだそうですが使いたい時は先生に言ってね。二階は物置なので立ち入り禁止でお願いしますとのことです。ちなみに台所の勝手口は離れの風呂場と直結してます。トイレは風呂場の隣ね。外からでも行けます」


「トイレから風呂場は覗けますかー」

「覗けません」


 もう黙ってくれ久原。


 続いて台所横の廊下を奥に進むと縁側のある明るく広めのひと部屋に着いた。ここにもアマ高生が数名いて、こちらに気がつくとにこやかに挨拶してくれた。ここは畳ではなく板張りでパイプ椅子が既にたくさん用意してもらってあった。


「ここが『合奏室』として使わせてもらう予定の部屋。椅子はあとでみんなで並べます」


 施設案内が終わると「じゃ早速」と手を打った。「楽器搬入だ」



 なるべく速やかに済ませたいのとまだ中学生の部員たちでは力不足のところもあるため搬入は大人の僕も大いに加勢する。とはいえ僕も『多少マシ』程度にしか筋力はないのだが。


「……なあ、ヒビノ」


「ん、なにナンプ」


 この生徒とはなんだか久しぶりに話したような気がした。力持ちの貫禄生徒は額に汗を光らせながら僕とともにトラックの荷台に乗り込み、大型楽器の搬入作業にかなり活躍してくれていた。


「このトラックも、ヒビノが運転してきたんじゃろ?」


「まあ、そうだね」


 重いマリンバを担ぎながら話すのは僕には結構キツイのだが、ナンプは構わず話してくる。


「……ん? でもそれ、どうやったんや?」

「どう……って?」


 楽器を降ろして再びトラックに乗り込みながらナンプがなにを訊ねたいのかを考えた。


「……ああ。何往復したのか、って話?」

「いや往復もやし、その方法いうかも」


 たしかに不思議に思われるかもしれないな。


 トラックへの積み込み自体は昨日の部活後にみんなで終わらせていた。それをそのままひと晩学校に置いておき、今朝未明にここに僕が移動させたわけだ。


 ただ、それだと僕が山から戻る足がない。そこで登場するのが美咲先生だ。自家用車を持つ彼女にこの山の上まで来てもらい、共に下山、美咲先生はそのままミクさんの家に送って、僕は今度は美咲先生の車を借りてアマ高に行く。そしてアマ高の楽器の乗ったトラックに乗り換えそれを山まで運ぶ。戻りは追走していたアマ高顧問の松阪先生の車に乗せてもらって再び高校へ。今度は高校所有のバスに乗り換え、運転手としてまずはアマ高生たちを山の上に届ける。それからカラのバスでまた山を降り、ミト中に戻ってみんなを乗せて、ようやく今に至る、というのが事のあらましだ。


 つまり夜明け前からトラックやバスで三往復半もしたことになる。ついでに美音原から天原までもそれなりの距離があるから大変だ。うん。我ながらなかなか頑張った。朝というより夜の三時から起きてやっていたんだ。


「は……三時起きで、四往復!?」

「いや三往復半」

「ほぼ一緒じゃわ」

「はは、うん。さすがに無茶だったね」


 これを八月にもう一度やると思うと苦笑いだ。でも弱音を吐いてもいられない。やるしかない。


「ヒビノって案外根性あるんやな」


「ふふ、そうかもね」


 緩く笑いつつ最後のティンパニーを運び終えた。




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