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#26 ヒビノではない

 音楽室にいた全員が固まったようだがあまり気にはならない。


 はあ、とため息をついて舌打ちをひとつ。ついでに動きづらいから腕もまくろう。まったく、毎回なんでこんなキッチリとボタンを留めてんだか。


「……あんね。()は『ヒビノ』じゃなくて『響木』だろ。今更言わせんなよ。いくらバカでも音楽やる時くらいはちゃんとしてほしーんだけど」


 俺は『あいつ』のように甘くはない。音楽をやる上で下手な馴れ合いなんか一切不要。


「はい、早くそこどけ。次」


 いちいち感想を述べる必要はない。淡々と進めて、やがて全員が終了。音を立てずに指揮棒をそこに置く。するとその瞬間、これまで張り詰めていた空気が不思議とふっと緩む。


 あーあ。やっぱりこうなったか。だけどまあ、このくらいなら想定内だ。


「はーい。おつかれさまでした。よかったよ、みんな音も出せてるし。けどもちろんこれで満足しないでね。僕も顧問や指揮のこともっと勉強しようと思う。だからみんなも────」

「ち、ちょっといい? ……ですか」


 話の途中で申し訳なさそうに梅吉が発言した。はいはい。どうぞ。


「あのその、ヒビノ……いや、響木、先生、……さっきのって」


 なんなん……? と聞きたかったらしいが敬語を気にしてか詰まる。


「ん。さっきのって?」


 説明するには今はまだ早い。下手だがここはシラを切ることにした。


「……いやだから、敬語がどうとか、ヒビノじゃないとかって、その」


「ああ、ごめんごめん。まあ気にしないで」


 いつも通りに緩く笑うと「じゃ、今日は終わりまーす。自主練は17時までね」といつも通りのセリフを残して足早に音楽室を出た。


 僕のこの『秘密』をみんなにちゃんと明かすのは、最初の合奏の日にしたい。


 そう考えていたんだけどな。



 壊れるほど勢いよく職員室のドアを開いて坊主頭は現れた。


「ほんまはどう思ってるんかちゃんとえやっ!」


 なるほど、こうなるか。


 ひとりデスクに向かっていた僕に梅吉はそう詰め寄った。その後ろには久原くんの姿も。


 そうか。彼になら推理されてもおかしくはない。


「なあ。ほんまはちゃんと敬語使って、『ヒビノ』やなくて『響木先生』って呼んでほしいってこと?」


 肩を掴んで揺すられる。わざと怒らせようとしているのかなかなか手荒だ。僕は小さくため息をついてペンを置くと梅吉の方を向いた。


「ちがうってば」

「けどそういうことやないん? さっきのは、普段言えん本心、ちことじゃろ?」


「ちがう。……言ってたろ。『音楽やる時くらい』って」

「え……?」


 意味がわからないという反応だった。まあそうだろうな。


「もう下校時間でしょ。片付けは済んだの?」


 伸びをしつつ訊ねると、梅吉の視線は僕のデスクの隅に置いた指揮棒ケースに向いていた。


「ああ、こら梅吉っ」


 僕より先にさっとそれを手に取ると梅吉はゆっくりとふたを開いて中の繊細な棒を慎重に取り出した。そのまま右手を取られて、そっと握り込まされる。抵抗はしなかった。遅かれ早かれ、明かすことになるんだ。


「……ヒビノ?」


 恐る恐る、というように声を掛けてきた。そして相手がぞくりと驚くのが伝わる。


「ちっ……鬱陶しい」


 バカはバカらしく受け流していればいいのに。こういうことだけはやたらと追求したがるんだ。


 きちんと座った体勢を窮屈に感じて脚を組む。手に持たされた指揮棒を眺めながら仕方なく教えてやった。


「そう。『指揮棒を持つと変わる』それが俺」


 目を丸くする二人は兄弟にも見えた。でこぼこ兄弟。


「べつに厳しくしたいってわけじゃない。けどなんでも思ったら即言うのが『俺』。だから合奏以外でも俺が指揮する時は、普段みたいな生易しいことは言わない、と思ってもらえれば」


 言いながら梅吉からケースを取って指揮棒をしまう。


 ──ぱちん。


 乾いた音が人のいない職員室に響いた。


「……混乱させて悪いね」


 はあ。説明は僕の口からしたかったんだけどな。組んでいた脚を元に戻してため息をつきつつ椅子に座り直す。


「……ヒビノ?」

 生唾を飲んだ。という顔だった。


「うん。隠すつもりはなかったんだ。けどあえて言うのも変な話だしね。それと久原くんの件は……まあ作戦だったんだ、ある意味『賭け』でもあったけど」


「賭け……?」


「いやね、なんて言うかその。ああいういかにもって感じの『不良』って僕は苦手で。うまくあしらうにはこの手しかないと思って。それであの日は指揮棒を隠し持ってたってわけ。結果的に上手くいってほんとよかった、口調や態度が変わっても戦闘力は増さないからね」


 言いつつ苦く笑った。


「やっぱそうやったんか」


 久原くんは納得した、というように頷いて答えた。



 ◇



 ──ぱちん。



 あの日、揺れるバスの中で久原くんは僕に訊ねた。


「あの、変なこと聞くけど、その、さっきのタバコの人って、……同じ人?」


 不良にしては訊ね方が的確で参った。なるほどこの生徒は油断できないな。緩く笑ってまくっていた袖を戻し、その皺を撫でて伸ばしながら僕は答える。


「さっきのも僕。そして今のも僕」


 答えはそれしかなかった。


「いや……けど、別人やったで。『俺』言うてたし」


「はーあ。タバコ吸っちゃった。大学以来だよ、もー……最悪」


 追求されるのをかわすためにも盛大にため息をついて今更何度かむせた。これを美味しいと感じるなんて気が知れない。久原くんはそんな僕を不思議そうに眺めていた。


「はは……不思議? まあ、そのうちわかるよ」

「それって、二重人格……いうこと?」


 うは。やはり勘がいいらしい。まあこの状況なら出て当然の答えとも言えるが。


「……どうかな。言えるのは、『どちらも僕』、それだけだよ」


 明かすのはまだ早い。僕は笑いかけると、あとは創部の話や美咲先生の話、それから中学合併の話へとなんとか話題を変えていった。



 ◇



「あの時言ったでしょ? 『そのうちわかる』って」

「……ああ」


「けど僕は僕だからね。あの時も言ったけど」

「い……いやいや、全然別人やろ。『俺』とか言うてるし、口調だけやなくていろいろ」


 青ざめつつふるふると首を振って否定する梅吉に苦笑いをした。


「まあ……昔から指揮に関してはちゃんとしたいと思ってて。べつに別人格に支配されてるわけじゃないし、僕は僕。意識も記憶もちゃんとある。ただ指揮中はつい強めに言うところがあるから、まあびっくりさせるだろうけど」


「なんでそんな体質なんや?」

「う、それは僕も知りたいよ……」

「医者は? 行きよん?」


 こういうことを言うのはやはり久原くんだ。


「行ってない。病気じゃないだろうからね」


 苦く笑って「さ、帰ろう。おつかれさま」と少し強引に二人を職員室から追い出した。



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