#18 恨んではない
「すみません、ほんと」
申し訳ないとは思いつつ出されたものを断ることはできずにとりあえず手をつけた。芹奈さんとお母さんも一緒に、なんとも落ち着かないが三人で食卓を囲む。
食事中に真剣な話をするのは難しく、他愛のない世間話でその場は凌いだ。会話の流れでお母さんがこの土地出身でないこと、ゆえに言葉の訛りがこの親子にはないのだと教えてもらった。
「それで……」
腹いっぱいになったところでお母さんのほうからそう切り出した。さて、なにから話そうか。
「はい。……お母さんは、芹奈さんが学校へ行かないことについてはどうお考えですか」
こんな訊き方でいいのかわからないが、したい話題はこれなので。
「もちろん行ってほしいですよ。けど芹奈がしたいようにさせてあげたくて」
この人なりに娘への後ろめたい気持ちがあるのだろうか。どんな理由にせよ自分の身勝手で娘の気持ちを掻き乱したわけだから。
「芹奈さんがたまにフルートを吹いていることはご存知ですか」
「えっ、先生」
慌てる芹奈さんに頷いて、お母さんを見た。
「……やっぱり、そうだったんだ」
「や。美咲先生と会ってたわけじゃないよ? ひとりで、その、たまに気晴らしに……」
芹奈さんは慌ててそう弁解する。
「でも楽器は……?」
お母さんの問いに、芹奈さんは固まった。美咲先生のもの、と言って母親がよく思うはずはない。
「学校のフルートです」
僕の言葉に驚いた二つの顔はよく似ていた。
「芹奈さん、吹奏楽部でしたよね。その頃使用していたものを今も自宅で保管されている、と先程芹奈さんから伺いました」
「あ……そう、なんだ」
母親の視線を受けて芹奈さんはこくこくと頷く。
「実はこの春、美音原中の吹奏楽部を再開することになりまして。それで、芹奈さんも参加してもらえないか、と話させていただいたんです」
「え……」
「顧問は、僕です」
まっすぐ見つめて、念押しを込めてそう言った。勝負はここからだ。
「芹奈さんは『参加したい』と言ってくれています。学校にも行く、と」
お母さんは驚いて芹奈さんの方を見た。芹奈さんはその目を見ながらゆっくりと頷いた。
「ただ、部活動をするのに経験者がいない。教えることのできる者が僕以外ほぼゼロです。顧問も僕ひとりでは行き届かない部分が出てきますし、他の先生に楽器経験者はいません。それで──」
まっすぐ、見つめ合った。おそらく僕がこれから言おうとしていることを相手はわかっている。それを承知の上で、続けた。
「美咲先生にも手伝ってもらうことを考えています。つまり芹奈さんと美咲先生が会うことを、お母さんに許可していただきたいんです」
お母さんはその目線をそろりとテーブルの隅へと逃がして黙り込んでしまった。どういう答えが聞けるのか。
沈黙を破ったのは、お母さんではなかった。
「……私、お母さんがまた『お母さん』になってくれて、嬉しいよ」
「芹奈……」
「恨んでなんかないし、また家族になれて、ほんとによかったと思ってる。都会で生活してた頃の話も面白いし、お料理のレベルも上がっててびっくりしたし。また一緒に暮らせて、ほんとに嬉しい。……だから」
娘は瞳を潤ませていた。
「だから、美咲先生の方がいい、とかそんなこと、思わないよ……」
堪えきれず頬を伝う涙は、母親の頬にも伝っていた。
「けど、けどね、美咲先生のことは、好きだよ。今でも……好きなの。お母さんが悲しむかなとか、考えないようにとか、思ってたけど、だけどやっぱり、気持ちに嘘はつけないよ……」
娘の本心に母親は「いい、もういいから」と手のひらを示していた。
「……はあ、ごめんなさい。本当は、わかってて見ないフリをしていたんです。芹奈を取られるんじゃないかって、勝手に怖がって……私はこの子から、大切なものまで奪ってた」
お母さんはティッシュで目頭と鼻元を押さえつつ、僕にそう話した。
「自分のため……ばっかりでした」
そうして母は娘のもとへ寄り添うと、「ごめんね」と抱きしめた。
やがて僕に「ありがとうございます」と深々と頭を下げてきたので慌てて「いや、そんなそんな」と恐縮した。
「気持ちが通じあえてよかったです。じゃあ芹奈さん。明日からは学校で、待ってます」
そうお辞儀をして、「カレーごちそうさまでした」と付け加えつつ家を出た。
夜道を歩きながら、瞬く星空に向けて息をついた。想定外の家庭訪問となったが結果オーライだ。芹奈さんをクリアできたとなれば、美咲先生の説得にもきっと希望が持てるはずだ。