ポリニャック伯爵夫人
ヴェルサイユ宮殿では度々舞踏会が開かれます。
その舞踏会にはスウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵様の御姿も……。
アントワネット様とフェルセン伯爵様の視線でお気づきになられた方がございました。
その方はポリニャック伯爵夫人でございます。
ある日の舞踏会の際に私の目の前でポリニャック伯爵夫人が扇で口元を隠してアントワネット様に話されたのでございます。
「アントワネット様、フェルセン伯爵のこと……
私はお気持ちを分かりますわ。
私にも愛人が……おりますの。」
「!」
「どうかご安心くださいませ。
まだ気づいておらぬ方の方が多うございますわ。
私でございましたら、お二人が安心なさってお会いできるように出来ますわ。
私にお任せいただければ……。」
「…………。」
「王后陛下、御歓談なさっておいででございますが……。
あちらで国王陛下がお待ちでございます。」
「…そう。分かりました。……参ります。
楽しんでくださいね。ポリニャック伯夫人。」
「ありがとうございます。」
アントワネット様はルイ16世陛下の御傍近くに参られました。
「陛下、お呼びとか……。」
「えっ?」
「えっ?」
「……あぁ……そうだ。貴女に傍に居て欲しかったのだ。」
⦅ばあやね。私をポリニャック伯夫人から離したかったのかしら……。
でも……少し先にフェルセンが居るわ。
言葉を交わしたいのに……
……許されないのね……。⦆
アントワネット様は目の前にいらっしゃる貴賓ではなく、少し離れた所にいらっしゃるフェルセン伯爵様へ視線を送られていたのでございます。
いつか…いつか……多くの方に気付かれてしまう。
「もしかしたら、あのポリニャック伯爵夫人は気づかれて、アントワネット様に近づかれたのではないか?」と私は不安が募ったのでございます。
舞踏会が終わり、自室に戻られたアントワネット様が人払いをし、私に話しかけられました。
「ねぇ、ばあや……。
陛下はお待ちではなかったわ。
どうしてポリニャック伯夫人との会話を止めさせるようなことを言ったのです
か?」
「アントワネット様に近づき寵愛を受けようとしていると判断いたしました。」
「私の寵愛?」
「はい。アントワネット様が心惹かれることをお話になり、アントワネット様の御
心を掴み、そして……。」
「そして?」
「アントワネット様に強請り、ご自分のご親族を要職に就かせたいと……そのよう
に私からは見えました。」
「ばあや……貴女という人は……。」
「もう遅いのでしょうか?」
「何のことですか?」
「アントワネット様の御心を掴むお話のことでございます。」
「ばあや……。」
「もう掴まれてしまわれましたか?
フェルセン伯爵様の御名を出されて……。」
「ばあや!」
「アントワネット様の御心を掴むのは、フェルセン伯爵様のことのみだと私は思っ
ております。」
「……ばあや……。」
「アントワネット様、国王や王后は人事を決めるお力がございます。
間違った人事をなされば、国は…場合によれば無くなってしまいます。
近づく貴族には注意が必要でございます。
増してや、アントワネット様が秘されているフェルセン伯爵様の御名を出される
ようなお方。
お信じになられるのでございますか?」
「ばあや……。」
「アントワネット様、お気を付け下さいませ。
気付いた貴族が出て参ったのでございます。
どんなにフェルセン伯爵様を求めていらっしゃっても……
母なのだということを、どうかお忘れなさらないでくださいませ。
お願い申し上げます。」
「……分かりました。ポリニャック伯夫人を近づけることはありません。
フェルセンのことも気をつけます。」
「ありがとうございます。」
「ばあや、貴女はどのようにして忘れたのですか?」
「忘れられないままでございます。」
「忘れられないまま!」
「はい。」
「今も愛してると言うのですか?」
「はい。夫ではなく……ただ一人…平民のあの方を……。」
「お名前は? その方のお名前は?」
「……アントン……でございます。
この歳になっても、お恥ずかしいことでございますが………
今も名前を聞くだけで……名前を言うだけで……
胸が苦しくなるのでございます。
…………
忘れられないお方でも、その想いに蓋をせねばならないのでございます。
哀しいことでございますが、それが身分でございます。
そして、それが貴族……王族なのでございます。」
「……そうですね……。」
その夜はアントワネット様と二人で過ごす時間が少し長くなったのでございます。




