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九話 崩れるソラ

 翌朝、MaTsurikaのいない事務所は、とてもつまらなかった。突然お気に入りのアイドルグループを切った社長に、社員たちは「気まぐれ社長だ」「会長におこられたんだ」なんて好き勝手言ってくれる。最後の社長権限で解雇にしてやろうか! なんて思うが、それは私の望むところではない。最終的にMaTsurikaが上手くいかなかったとしても、再びId∞lに所属してもらえるくらいの安心感は残しておきたかった。離職率の高い職場はあまり空気がよろしくないだろう。

「ジャスティナ社長、おはようございます」

 そんな中、いつも通りにひょこっと私の前に顔を出してくれたのは、他でもない宙くんであった。

「おはようございます」

 相変わらず眩しいな、という感想を抱く。

「MaTsurikaのこと、聞きました。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。移籍させたのは、私なので」

「……そうですか。MaTsurikaは、大手と相性良くなさそうでしたし、いい判断だと思います」

「……はい、そうですよね」

 本当は、私が最後までMaTsurikaを育てたかった。恋愛ゲームのシナリオのために、どうして私がここまで愛情を込めてきたグループを、まんまと他事務所に、新人プロデューサーに受け渡さなくてはならないのか。

 だけど、この世界は今の私にとって紛れもなく現実だから……皆が一番幸せになれる未来を選びたかった。そしてそれはきっと、マツショクの世界線に乗ることなのである。

「大丈夫。MaTsurikaは無事にデビューしますから」

「……はい。ありがとうございます」

 さすが王子。さりげなくこちらの気持ちを察してフォローをしてくれる。トップアイドルになれるわけだ。

「ところで社長、明後日なんですが、お時間ありませんか?」

「……明後日ですか?」

 ドキリと心臓がはねる。明後日は、私が別荘に引越しする日だ。記者対策で、私に扮した女性が国際便に乗るということもあり、明後日はどこも時間を設けることができない。

「申し訳ありませんが、明後日は……」

「そうですか……」

「この前の、相談の続きでしょうか? それでしたら、今日か明日でも大丈夫ですが」

 どうせ、業務を既に引き継いだ私にやることは大して存在しない。最後に宙くんのメンタルケアができるなら本望だ。そう思ったのだが……

「いえ。ただ、社長と一度ふたりで食事にでも行ってみたかったなと思いまして」

「……はい?」

 ぱちりと瞬く。爽やかな顔で一体何を言っているのだろうか。私が女社長であることから、スキャンダルになりそうなことは常に気を配ってきた。あまり表には私自身の顔を出さないようにしていたし、所属アイドルとの密会なんて以ての外。

 それは、Id∞lトップである宙くんならばよく分かっているはずだ。それなのに、彼が私を食事に誘う真意はなんだろう。

「あぁ! もしかして、元気づけようとしてますか?」

 宙くんが、私を口説くつもりでないことくらい分かる。ならば、現状事務所で孤立状態の私を哀れんでくれたのだろう。

「大丈夫です。アイドルに慰めてもらうほど弱くありませんから」

 とはいえ、彼の優しさにかなり心が救われた。慕ってくれるMaTsurikaと緑さんを失うことは、想像以上に私にダメージを与えていたようである。

「その言い方だと……アイドルじゃなければ、慰めてもらうんですか?」

「わ、嫌な聞き方しますね……まぁ、アイドルよりは社員の方がプライベートで接しますからね」

「社員……。高槻さんとはプライベートな関係だと?」

「……。……宙くん、やっぱり何かありましたか?」

 まるで、悪質な記者のような誘導尋問が恐ろしく、口を噤んだ。彼の顔面こそいつも通り爽やかだが、表情や声色からは刺々しいものを感じる。

「! す、すみません。僕、失礼なことを……」

 私が指摘すれば、宙くんは普段の朗らかな空気を取り戻してくれた。

「……何か悩み事があるなら聞きますよ?」

「すみません……ありがとうございます。うぅ〜ん……僕って話すの下手なのかもしれないですね」

「えぇ? バラエティもそつなくこなしているのに……」

「そんなことないです。えっと……その、まず僕は、社長をもっと知りたかったんです。よく考えたら、あまり仕事以外の関係ってなかったので……MaTsurikaのこともあったので、気が急いたのかもしません」

「……いい人なんですね、宙くんは。そうですね……スキャンダルは怖いところですが、たまには面談と称してアイドルと雑談だけの時間を設けるのもいいかもしれません。社長が所属アイドルの良さを多面的に見るのも大事なことでしょうし」

 後任社長にはそうするように伝えよう、と密かに決める。私の言葉に、宙くんは何とも言えない表情を見せた。彼とは、意思疎通ができているようでずっと何かがすれ違っているような気がする。

 その違和感を、以前の――前世を思い出す前の私なら、きっと放置しなかっただろう。だけど、宙くんの未来を知っている私は、それも彼の糧になるのだろうとそのままにしておくことにした。

 歯車というのは、小さな錆が狂わせていくことを、完全に忘れていたのだ。


***


 ついに、引越しの日がやってくる。どこからか辞任の噂を聞き付けた記者たちは、やはり私の周囲を嗅ぎ回っていた。辞任発表自体は明日だが、事務所の周りには今朝からコソコソと嫌らしい記者たちで静かに賑わっている。そんな中、サングラスをした銀髪の女性が、こそこそこと緑さんの運転する車で事務所を出ていく。窓越しにその様子を眺めていると、近くに停車されていた自動車たちもこぞって緑さんを追うように動き出した。

『社長、確認していた記者は全員追ってきているようです』

 繋いでいた通話で、緑さんがそう伝える。

「……ふぅ、そうですか」

 私はその報告に大きく息を吐いた。

 元々、私は顔出しの少ない社長だということもあり、影武者を本物だと信じて愚かな記者たちは空港まで追跡してくれたようだ。本物は、向かいのビルで全貌を見守っているというのに。

「社長、屋上にヘリコプターを手配しました」

 窓際でスマホを耳元へ当てる私に、父親の秘書が報告に来る。

「……ここまでする必要があるんですか?」

「会長のご指示ですので」

「まるで犯罪者の気持ちです……」

 徹底して私の動きを隠してくれるのは、MaTsurikaにバレないという点で素晴らしくはあるが……ここまで協力的にやられると若干の不気味さまである。

『社長……いえ、ジャスティナさん』

 私が自嘲気味に笑うと、緑さんが電話越しに私の名を呼んだ。

『これから一年、ジャスティナさんはほぼ幽閉状態になります。それは、想像以上に辛いと思います』

「ですね。別荘も森の中ですし」

『無理はせず、嫌になったらすぐに事務所に戻ってきてくださいね。とはいっても、NEXTプロダクションの方ですけど。私の後輩ポジションなら、いつでも空けておきます』

「……ふふ、ありがとうございます。次に緑さんと会うのは三ヶ月後でしょうか。その時までどうかお元気で」

『こちらのセリフです。というのも、変でしょうか。ですが、お身体にはお気をつけくださいね。では、また』

 名残惜しそうに、数秒経って電話が切られる。MaTsurikaはまだしも、緑さんに関しては今生の別れでもないだろうに、と少し笑った。その後は、しばらくしてから秘書に連れられて屋上に行き、事務所に別れを告げる。

 療養しに行くというのに、幼少期から離れたことのなかった事務所から遠ざかっていくのは、なんだか少し清々しくもあったのだった。

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